【高市早苗と保守(笑)主義者】←ヨブ・トリューニヒトと憂国騎士団に酷似 | 疑うがゆえに知り、知るがゆえに疑う

【高市早苗と保守(笑)主義者】←ヨブ・トリューニヒトと憂国騎士団に酷似







高市早苗の発言の意味や、それがもたらす結果を考えもせず、身ぶり手振りや表情や口調、自信に溢れた印象の演出等、プロパガンダ(説得)に容易く篭絡される自称愛国保守達(笑)。隷従への道、地獄への道は、正義と善意で舗装される。




【コミュニケーション戦略研究家でもある岡本氏が「高市早苗氏のコミュ力」について解説する。

菅総理の不出馬で動きが加速する次期自民党総裁選

 菅総理大臣が、次期自民党総裁選に出馬しないことを表明し、その座から降りることになりました。「仕事師」の異名を持つだけに、1年という短い期間に次から次へと長年の懸案を片付け、実績を積んできたわけですが、国民の不満は解消されませんでした。

 「発信力」「伝える力」の弱さが致命傷となったわけで、「何をどうするか」と同様に「何を、どう伝えるか」が重要であるという「現代のリーダーの宿命」を突き付けられたと言えるでしょう。

 かつては「あー、うー」ばかり言う首相、「言語明瞭、意味不明瞭」などと言われた首相もいて、多少の口下手は許されてきたわけですが、もはやその常識は通用しません。

 コロナ禍という前代未聞の危機にあって、リーダーの「コミュ力」が問われるなか、次期総裁選に向けた動きが加速しています。本連載では折々に、注目候補者の「コミュ力」にスポットを当てたいと考えていますが、まずは、9月8日に立候補を表明した高市早苗氏から見ていきましょう。 
 
 私は、ここのところの高市氏に対するネット民たちの熱狂ぶりに、ただならぬ空気を感じてきました。

 ヤフーニュースのコメント欄は、彼女を「救世主」とばかりに崇め奉るコメントであふれかえり、ネットユーザーに聞いた「次の総裁は誰がふさわしいか」というアンケートでは、高市氏がトップに立っています。

 いわゆる「世論調査」とはまったく異なる温度感なわけですが、8日の立候補表明会見を見て、その違和感が氷解しました。結論から申し上げれば、この方には「人心を容易に操る才がある」ということです。

 一言で言えば、「トランプ前米大統領と小池百合子東京都知事を足して2で割ったようなコミュ力」ということ。では、高市氏の「コミュ力」5つのポイントについて、詳しく解説しましょう。

高市氏の「コミュ力」5つのポイント

【1】感情を掻き立てる
 トランプ前大統領の話し方で特徴的だったのは、恐怖など「感情を掻き立てる言葉を多用したこと」でした。

 人は、とくに「恐怖心」を刺激されると、「心」が動きます。なかでも、保守派はリベラル層に比べて、「脅威に敏感で、恐怖心を覚えやすい」というのは、多くの研究で実証されていますが、トランプ氏はそうした支持者層の特質を理解し、「テロや移民の脅威」を声高に訴えたわけです。

 高市氏も、「恐怖心を掻き立てるワード」を巧妙にちりばめました。「国防にかかる脅威」「リスク」「災害」のほか「危機管理投資」といった言葉を多用しましたが、とくに力を込めたのが「海外からのサイバー攻撃」でした。

 細かい数字をそらんじてその激増ぶりを示し、「私たちの生活のあらゆる場面に、その脅威がある」ことを朗々と訴えかけました。

 「生命や財産を守りぬけない状況が続いております」「危機的状況」「新たな戦争の対応」などと畳みかける口調は力強く、よどみありませんでした。

 あえて、隣国の名前を出し、脅威をあおるのではなく、安心・安全を侵す、全国民共通の外敵の存在をさりげなく挙げて、感情をあおる策士ぶりがのぞきます。

 2つめのポイントは、「救世主」としてのポジショニングを確立するため、「ある言葉」を多用したことです。

「女性リーダー」の難しい側面を見事に回避

【2】「救世主」としての「サナエ」
 彼女が多用した言葉。それは「守る」でした。冒頭、「生命と財産を守り抜くこと、領土、領海、領空、資源を守り抜くこと、国家の主権と名誉を守り抜くこと。私のすべてをかけて働くことをお誓い申し上げます」と力を込めて言い切ったほか、「命、金融資産、個人情報を守り抜く」「日本の平和を守るため」「世界の平和を守るため」と「守る」を連呼しました。

 「さまざまな脅威にさらされている日本を守るのは私しかいない」というアピールであり、政治の旧弊を打破する役割を担うのは私しかいない、と「ジャンヌダルク的」ポジショニングを打ち出した小池都知事にも似た手法です。

 まるで、何かの託宣を受けた巫女か、救国の士、あるいは教祖にでも憑依したかのような彼女に、思想を同じくする人たちは無条件に惹かれてしまうのでしょう。

【3】女性ゆえの「地雷」を回避する「処世術」

女性リーダーのコミュニケーションは、実に難しい側面があります。私はかつて、今の政界の女性政治家には声を荒げて、怒りをぶちまける「上から目線系」か、男性政治家にすり寄り、猟官運動に励んでいるように見える「上目遣い系」が多く、ロールモデルになる人がいない、と「日本に『女性のリーダー』が生まれない深刻理由」で分析しました。

 女性が強い調子で話し、怒りをぶちまければ、「ヒステリックだ」と嫌われ、弱々しく、優しすぎた印象だと、「リーダーシップがない」と批判されてしまう。「強さ」と「優しさ」のバランスを取るのが大変難しいわけですが、高市氏はこの女性特有の地雷を上手に回避している印象があります。

 つまり、「口調は柔らかい」のに、主張を曲げることなく、「勇ましく言い切る」。硬軟をバランスよく見せているのです。

 4つめのポイントは、「惜しみなく振りまく『笑顔』」です。

「デュシェンヌ・スマイル」を大きな武器に

【4】惜しみなく振りまく「笑顔」
 女性リーダーにとって大切なのは「『怒り』を表情に見せない」ということです。「女性の怒った表情」は男性の怒り顔より反感を買いやすく、バッシングを受けやすい。それを心得た小池都知事は、絶対に「怒った顔」を見せません。

 高市氏も、同様に心得ているのか、意地悪な質問にも眉を顰めることなく、切り返しました。さらに彼女が大きな武器にしているのが「笑顔」です。

 日本の中高年男性は「やたら笑顔を見せてはいけない」とでもいうかのように、苦手な人が多いのですが、高市氏はこれでもかとばかりに笑顔を振りまきます。

 しかも、口元だけで笑うのではなく、目をくしゃっと細める「デュシェンヌ・スマイル」で微笑みかけるのです。

 19世紀のフランスの神経科学者デュシェンヌの「本物の笑顔とは口元だけで笑うのではなく、目元で笑うものだ」という研究に由来するこの笑顔は「人を癒す効果がある」と考えられています。

 「笑顔は伝染する」ものです。「誰かの笑顔を見ると安らぐ」というときがありますよね。

 この殺伐とした時代にあって、極端なタカ派的思想をくるみ込むように、惜しみなく笑顔を振りまく彼女に、「アンビバレント(相反する)な感情」を持ってしまうという人も少なくないかもしれません。

【5】コア支持者層に「憑依」する
「メダル噛み『お騒がせ市長』がなぜか当選続ける訳」でも触れたように、アメリカの研究によると、有権者が政治家を選ぶ理由は、「人柄」でも「政策」でもない、「次の2つ」です。

 有権者が政治家を選ぶ大きな理由、それは次の2つです。

①この候補者、政党は私と同じ価値観を「共有」しているのかどうか? 
②私のような人を「理解」し、気にかけているのかどうか? 
 要するに、「いかに自分の気持ちを代弁してくれているかどうか」。そういった意味で、彼女はそのコア支持者層の思想やイデオロギーに同化し、逡巡なく、「耳障りのいい言葉」を紡ぎます。

 これは、まさにトランプ氏の手法でした。人は「事実」より、「感情を刺激する言葉」にあっという間に動かされてしまいます。

 ロジックだけの「政策」は、誇りや怒りといった感情を誘う「思想」や「イデオロギー」にはなかなか勝てません。「美しく、強く、成長する国へ」という情緒的なメッセージは、まさに「コアな支持者層の誇り」をくすぐり、エンパワーする絶妙なメッセージングと言えるでしょう。

■「頭のいい人」より「いい気分にする人」が勝つ

 コミュニケーションにおいては、「いい人」や「頭のいい人」より、「(聞き手を)いい気分にする人」が結局、勝つものです。

 自分の思想を肯定し、最高に「いい気分」にしてくれる高市氏に超保守派層が雪崩を打ったように傾倒していくのは、火を見るより明らかです。

 支持者層が異様なまでに活気づき、ニュースサイトのコメント欄やソーシャルメディアをジャックし、対抗馬に対する批判も苛烈を極めています。つまり、もはや彼女以外の候補者は「野党」かのような扱いぶり。その声の大きさが、世論に影響を与える可能性はあるかもしれません。

 主張はタカ派でも、口調はハト派。エモーショナルな言葉も操る一方、当意即妙に歯切れよく政策を語り、ロジック構築をする力も抜群。そうした戦略性はこれまでの政治家には見られなかった底知れない不気味さを秘めています。

 メディアも他の候補者も、「泡沫」と見ているようですし、確かに今回の総裁選は難しいかもしれませんが、彼女がその先を見据えていることは間違いないでしょう。見くびるのは早計のような気がします。】


高市早苗は、“有害な表現”や“言論”への規制と、それによる萎縮効果を肯定している。高市早苗が、何が有害で何が有益かを判定し裁定するにあたり、高市早苗の“正気”を保障するものは何もない。高市早苗の自制心に期待するなど、実に愚かしい。権力は批判され規制され監視され抑制されなければ、健全な民主主義は機能しないのだが、高市早苗に熱狂するアホ達は、権力と統治のバランスはどうあるべきか?ではなく、高市早苗なら大丈夫だ!!と高市早苗個人に心酔している。まさに憂国騎士団。法の支配や法治ではなく、人治、“最良の専横”を希求する無秩序な暴徒達だろう。