とくに自然環境などではなく、人の環境に対しての話です。自然環境でも同じかもしれませんが、力を持ちすぎると弊害も起きます。極端なことをいえば、アフリカのジャングルの中には住めません。密林の中には住みたいとも思いません。
それと同じで親が立派すぎても困ります。立派な親はお金もあり、子どもに何でも買い与えてくれます。実はこれがあまり良くないのです。お金はあっても使い方の問題ですね。これは子ども自身の持って生まれたものとの関係も大きいです。
まだわたしが小さい頃、親に連れられていとこの男の子と一緒に買い物に行きました。その子は店にあった一番高そうなおもちゃの刀が欲しいと、駄々をこねて親を困らせていました。店の人が見かねて売り物ではないと嘘を言ってました。
そのシーンを今でも鮮明に覚えています。おばちゃんが可愛そうにも見えました。その子はそのくらい意思の強い子で、その後は立派な学校の先生になりました。単純にわがままにも見えますが、持って生まれたものが大きいと感じます。
なぜなら、わたしもかなり甘やかされて育ったと思うからです。しかしそのときのわたしは、一番安いおもちゃで納得して買った気がします。小さい頃から物欲はなかったのかもしれません。それは随所で自分なりに感じてはいました。
もしも家が貧しければ、自然と耐える力は強くなると思います。その耐える力は貴重だと思います。わたしにはその部分が弱かったと自覚してます。ただそれを変えてくれたのが中学からの部活でした。ここで初めて耐える訓練をしました。
部活に入った理由は運動コンプレックスからでした。小学校の頃から体育は苦手で、運動会などはできれば休みたかったくらいです。その反動で部活には真剣に取り組み、やっと普通のレベルくらいにまではなれましたが、これは親のせいも大きいです。
おそらく過保護に育てたのでしょう(笑)。その付けは子どもに来ます。遅く生まれた子どもはどうしてもそうなる傾向にあるようです。しかしその環境は子どもに責任はありませんし、大事には育ててくれたので親には感謝はします。
あとは子どもが決めることで、親のせいにしていては情けないことになります。本当に親には申し訳ないのですが、大事に育ててくれたことを恨んだこともありました。それは意思の弱かった自分の逆恨みでもありましたが、耐える力は大事と思います。
今は耐えさせないような教育が、良いとされている時代です。自由にのびのびと育てるのが良い風潮にあります。その自由さもまた環境であり、その先でどのような子どもが育つかです。わたしは自分自身の体験から不安はあります。
子育ても半分は賭けかもしれません。あとではどうにでも言えます。アドバイスはしませんが、一つの例としてあげてみました。今日はお休みで病院のはしごをします。ではまた明日。