失敗者は長生きしないと損をする | 臨床美容師のつぶやき(豊後大野市共育塾)

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いくら良い言葉を並べても、お金がからむと真実が見えない。こころを商品化する社会にも同じ不安を感じる。そんなこころの悩みを和ダンボがつぶやきます。豊後大野市共育塾(場所ココミオ)では、そんな問題をみんなで語り合っています。お問い合わせは美容室WAKOまで。

失敗は貴重な経験です。だからこそ長生きしなければ損をするのです。見返りもなく途中で死ぬのはもったいないと、還暦を過ぎてつくづく思います。何がもったいないのか、それはとくに人の見方を失敗によって多く学んだからです。


「巧言令色少なし仁」の論語の教えを、これまで実践で数多く経験してきました。才能やセンスや見た目のカッコ良さが、人間性とはまったく関係ないことを学びました。顔やスタイルや着ている服も、人間性とは何も関係ありません。


確かに見た目(顔や体型)は親からの遺伝が強く、着ているものなどは経済力からくるものです。その本人の人間性とはまったく関係ないのです。「ボロは着てても心は錦」の格言もあります。しかしこの格言はアメリカなどでは通用しないようです。


これは日米での大きな違いだと思いました。それぞれに正当性があって優劣はつけられませんが、反対意見も知るのは良いことです。例えば二度と合えないかもしれないときの第一印象は大きいです。心の中までは見れないでしょうから。


せっかくのビジネスチャンスを逃すかもしれません。ところが見抜ける人は瞬時に見抜けるのです。わたしはそんな人に出逢ったことがありますが、そのときはこちらが金縛り状態になりました。自己紹介もまともにできないくらいでした。


わたしはその時はまだ30歳過ぎで、人を見抜けるほどはとてもありませんでした。しかしそのときだけは体が反応したのでした。単なる緊張ではなく、それ以来その経験は一度もしたことがありません。またそんな方に会っても何ともない人もいます。


そしてその時にその方から言われた「人は瞬時にしてわかる」の言葉は、今でも強烈にこころに残っています。もちろん見た目もあるでしょうが、総合的に話せばさらにわかるのでしょう。いくら口で良いことを言っても見抜かれるのです。


その方とは何度もお会いしましまたが、会うたびに次々と質問をされ、ことごとく外れたのを今でも思い出します(笑)。かなり鍛えられ今でもありがたく思います。それでも結局は日々の実践の中から、自分で身に付けるしかないのです。


ボロは着ててもの格言も、あえてボロを着るということでもありません。何をするにしても自問自答しながら、正しい道を歩きなさいの格言でもあると思います。今の時代はプレゼン大流行で、音葉が巧みな人がもてはやされます。


これは気をつけるべきことと思います。巧みな言葉を見抜く力、これも苦い失敗経験からしか学べました。しかしその経験はいずれ生かされるのですが、それまで生きていなければ話になりません。逆に長生きすればそれを生かせることにもなるのです。


高齢者の生かし方としては最高と思います。下手に年は取っていません。若い人もそこは見習う価値はありますよ。人をいかに見抜けるかは、後で大きな損失にも繋がるので要注意です。失敗に感謝する人生こそ成功かもしれません。


失敗したときに言い訳してては、学ぶことは決してできません。ここは大きな分岐点でもあります。周りの関係者にも責任があります。下手に間違いを擁護すればさらにややこしくなります。肩書きも何も関係ありませんから、正しい判断をするだけです。


高齢者の経験と知恵はAIも欲しがっています。年を取って穏やかにも良いですが、わたしは自分の失敗を生かしきって死にたいと思います。そのための受け入れ体制は万全です。今日も労働に励みます。ではまた明日。