不登校生もいつかは社会に出て、そこからが本番です。学生時代がいくら良くても、社会でつまずく人もいくらでもいます。結婚してから苦労する人もいます。逆にスムーズに一生いく人の方が少ないのではないでしょうか。変化は必ず来ます。
その変化にいかに対応するか、その対応力が必要になります。しかしこれも経験が一番で、波風立つことを悔やむ必要はありません。なんて言えるのも、いまが良ければこそです。途中経過のときには、そんな余裕なんかはまったくありません。後悔ばかりしてました。
それを乗りきるには、わたしが昔大嫌いだった学習をするしかなかったのです。福沢諭吉先生のまさに「学問のすすめ」なのです。別にどこかに行かなくてもスマホでできますし、オンラインでも無料でもかなりのことができ、その点では確かに便利にはなりました。
その便利さをどこで使うか、何に使うかが問題なのです。不登校がなぜ良いのか、まずは学校のことから人生の生き方まで、あらゆることを考えます。もし不登校に関係しなければ、そこまでは考えなかったでしょう。いつかは考えることを、ずっと早くに考え出したようなものです。
わたしも関係しなければ、ここまで教育委員会に行くこともなかったでしょう。教育委員会の人からも、なぜそんなに真剣なのですかと不思議がられました。真剣では悪いのでしょうか。おそらく面倒くさく感じられたのかもしれません。(笑)
それでもそんなことも一切気にせず、聞きたいことはわかるまで聞きますが、少しするとわかりました。不登校に関しては、こちらの方がいつの間にか詳しくなっていたのです。確かに不登校は少数派ですから、そこまでは知らないのも当然かもしれません。
不登校にならずとも、その予備軍もかなりいるかもしれません。生きずらい世の中の縮図か不登校にあるのかもしれません。不登校が問題ではなく、その先が問題になります。少し早めに将来を考えるようなものです。早すぎて悪くはないでしょう、ではまた明日。