「被差別部落」問題の驚くべき真相! | 創造する知性 金と表現と魂の交差点
♥マイケルは愛のメッセンジャー♥さんより転載


(本文内容)
   http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-6dc5.html
zeraniumブログより転載します

「被差別部落」問題の驚くべき真相!

(以下転載)

その頃の日本の領土は人数の割りにはとても広くて、気に入ったところが あれば自由に住みつくことができました。国という認識もまだない頃のことで、先住民族は縄文文化などの高度の文明を保持して平和に暮らしていました。そこ へ中東から追われたユダヤの集団が流れ流れて来て、日本の土地に安住の地を見つけ、彼らが持つそれまでの文明を展開するようになったのです。

ユダヤ人の大規模な日本への流入は7回あった

   彼らは移動中に、同時に世界中に散らばってもいます。
    その一つが、たとえばアフガニスタンの「パシュトン族」です。中国でも、景教徒の集団は彼らの子孫であり、その中からも、日本に大量の人々が流れてき ました。長い期間には渡来して来たなかにはさまざまな人々がいたはずで、ユダヤ人だけではなかったのですが、そうした中でも民族意識の自覚の強いまとまっ た人々ほど、自然と先住民族や他の集落に強い影響を及ぼしていくことになりました。その結果、日本のある場所に突如、高度の文明地域が現われるようになっ たのです。

   こうしてそれまであった文明には新たなものが加わり、浸透して、共通の生活スタイルや儀式がなどが広がることになりまし た。そして一方で、大量に流入した渡来人の集落が、大きな力を持つ先住の集落から、特別な待遇とともに吸収されるということもあったと考えられます。天皇 のルーツとなるような人もそうした集落のリーダーであったはずです。つまり積極的にそうすることで、先住民族の強力な集落はさらに力をつけていったと考え られます。

   その後、紀元前300年前後の応神天皇の時代に、日本の人口が500万人程度の頃に、実はユダヤ人が4万5千人も入って 来ています。このインパクトは大きいと思います。それが中国の秦の始皇帝の時代に、8000キロに及ぶ万里の長城を作った人たちの子孫であり、土木工事の 得意な人たちでした。こうした大規模なユダヤから日本への移動は、これを含め7回前後あったようです。

   ところで、現在の中国と朝鮮 半島には、ユダヤの血はほとんど残っていないことが明らかになりました。日本人の遺伝子を調べると、同じものが地中海や中東の人々に多く、つまり失われた ユダヤの10士族だと言われる、生粋のユダヤ人がもつYAP遺伝子をそうした多くの人々が持っているのだそうです。しかし同じ東アジア地域ではあっても、 中国人や朝鮮人は持っていないのです。

   本来、日本にももっとも古くからの人々によって、徐々に日本が形成されてきたわけですが、そ こへ東南アジアの海を回って来たユダヤ人や、朝鮮半島を伝って渡って来たユダヤ人らが混ざっていったのです。ユダヤの十支族の人たちは、朝鮮半島を経由す る場合、直接橋を渡るように日本にやって来るだけではなく、高句麗や新羅など朝鮮半島の国々でも有力な氏族となって混ざった人々もいます。中にはユダヤの 王族もおり、権力闘争や他国との戦いに敗れて日本に逃げて来たケースもあります。しかしながらなぜか、そのユダヤの遺伝子は朝鮮半島には残ってはいないの です。

「藤原氏」が日本に渡って来た代表的なユダヤ人

   さ て、応神天皇の頃には多くのユダヤ人がやって来たわけですが、それはキリスト教ができた以降に渡って来たユダヤであり、それが日本の中枢で活躍することに なった代表的な一族の藤原氏です。藤原氏は天皇家にも外戚などになってかなり入り込み、彼らは現代にまで続いています。そしてこうした人々が『日本書記』 をまとめたのです。つまり歴史というものはいつも、戦いに勝って権力を握った人が書き直すものであり、自分たちに都合のいいように書いて権威づけをするわ けです。

   藤原氏は『日本書記』の中で、アマテラスを天皇と結びつけました。
   ということは、その時代までアマテラスの 権威は大きく、彼女につなげることが彼に最も都合がよかったというわけです。アマテラスの前後の話は神話化されていますが、実際には神格化したいほどに、 当時からその名は知れわたっていたということです。逆に言えば、架空の人物であれば何も力はないのです。本来、日本では実在する偉大な人物を神に祀り上げ ます。日本人はいつの時代にも、戦いで活躍した人とか、権力闘争に敗れて憤死した人、また身近なご先祖までも祈りの対象として祀り上げて、神にするので す。アマテラスもそれと同じなのです。

アマテラスは最初のユダヤ人が渡来した頃の人物

   アマテラスは約3000年前に活躍した人です。
    豊かで勢力を伸ばした出雲や丹後の国で活躍し、実際にその後の日本の中枢を形成する人の祖先になったようです。3000年前と言えば、ちょうどカナン の地を出発したユダヤの十支族が日本に渡りついた頃なのです。旧約聖書の話は紀元前1500年ぐらいと言われているので、そういう計算になります。

    東アジアに流れて来たユダヤ人は「秦」(しん・はた)と呼ばれますが、始皇帝が建国した秦もこれに当ります。元総理大臣だった羽田さんも、昔は字が 「秦」のほうだったのです。現代まで続く藤原氏を中心としたユダヤ人は、キリスト教がつくられた以後の人々です。一方、アマテラスは3000年前ですか ら、同じユダヤ人でもここには「溝」(みぞ)があります。

  古いユダヤ人は、過ぎ越しの祭りなどでは羊を生け贄にして、穢れを寄せ付けないためとして、羊の血で門の前の木枠を赤く染めたりします。これが日本の神社の赤い鳥居の起源でもあるのですが、キリスト教以降のユダヤ人はこうい儀式を受け入れません。

    日本では、古いユダヤ人を新しく来たユダヤ人が差別するということがあったのです。これが「被差別階級」の発祥なのです。かつての被差別階級だとされ た人々の多くは、実は古くから日本にいるユダヤ人だったということを知って、自覚している人はほとんどいないでしょう。

被差別問題とは、古いユダヤ人とキリスト教後の新しいユダヤ人の間の問題

   京 都出身の往年の政治家、野中広務さんが食事に誘ってくれてご一緒したとき、彼は自分を被差別部落出身だと言うので、「同和というのはユダヤ人という意味な のです。つまりキリスト教ができる以前の、古い時代に渡来して来たユダヤ人が同和なんですよ」と話したのですが、キョトンとしてお分かりにならなかったよ うでした。

   昔はずい分と彼らは差別されてきたのだと思いますが、本人たちだけでなく、差別する側も同じく、なぜ差別が存在するのか さえ知らないのです。しかしその一方で、彼らの中の天皇と天皇家と結びつきの強い人は、「お庭」や「庭師」とも呼ばれていて、天皇の籠を担いだり、天皇家 の墓守などをして影で働いて来たのです。

   日本に後から入ってきたユダヤ人は、アシュケナージが出て来る以前なので、ユダヤ系の日本 人にはアシュケナージはいませんが、その差別は、現在のイスラエルで、途中から入り込んで来た自称ユダヤ人のアシュケナージが、本来のユダヤ人を差別して いるのと似ています。そして日本の被差別階級の人々は長い間、被差別部落の閉じられた世界の中で生活してきたのですが、同時にそのために、ユダヤの血が守 られてきた場所でもあるのです。彼らの顔をよく見ると、日本人離れした美しい人が多くいたりします。

   後に渡来した人々が、彼らを受 け入れずに意識的に彼らを追い詰め、近畿地方から追いやったということもあったようです。一方その後に、屠殺や墓守など特定の仕事を依頼するために東北な どから呼び戻して、特定の地域に囲って住まわせたりしました。特に近畿地方などに差別問題が長く続いてきた理由には、こういう歴史的な背景があるのです。 東北以北や九州以南などに追いやられた被差別階級の人々は、自然にその土地に馴染んでいったので、差別問題も近畿や中国地方のようにはひどくはなかったは ずです。

   差別問題というのは、一種の権力闘争の中で起こるものですが、最終的な敗者だけが被差別部落に住むようになるといった単純 な図式ではなく、たとえばアマテラスに近かった人々や、何らかの理由で差別される人々や、身を隠す必要のある人々が被差別階級に身を落としていることもあ るのです。

   アマテラスの勢力と出雲の勢力が、長い間紛争を繰り返している中で発生したものだと考えられます。スサノオの代には、ア マテラスが追われるという事態もあったようです。またオオクニヌシの孫は150人いたと言われています。ですから最終的に出雲が山和に国譲りをしても、簡 単には滅亡しなかったはずなのです。ですから逆に、長い闘争の中では、被差別部落の中に天皇家につながる人々が隠れて暮らす集落もあったのです。

   そして実際に、被差別部落のなかに天皇家につながる人々のお墓があることも多いのです。そして天皇家の棺を担ぐのは彼らなのです。昭和天皇がお亡くなりになった時もそうでした。


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