文殊菩薩真言で足もとを固めて、気が頭に上らないように徹底する | 創造する知性 金と表現と魂の交差点
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文殊菩薩真言
オン・アラハーシャノウ



この文殊菩薩の真言は、膝から下の脚部、足を開いて、サハスラーラ(第1チャクラ)、アジュジニャー(第2チャクラ)の沈静化と安定化を間接的に行います。
要するに、足もとを固めて、気が頭に上らないように徹底するわけです。

文殊菩薩は知恵の菩薩様です。
なぜ、足を開いて知恵の文殊菩薩なのかというと、常に気が下のほうにあるようにして、いつも冷静沈着で脳の働きを快適にしようということなのです。
「行功」といってお釈迦さまも、生涯ずっと歩いて旅をしながら悟りに至る修行をしていたわけだから、踵から地面に着いて親指の内側でしっかり大地を蹴るこの歩行法は文殊菩薩にとっても悟りへ到る重要な要素だったと言える。

知恵というのは知識とは違います。
知恵とは物事に対処する脳の働きで、物事の道理を悟ったり、是非・善悪をわきまえたり、物事の筋道を知り、前後をよく考え、正しく処理していく能力です。

学問を理解したり、記憶したりする知識とは違う能力なわけです。
なにか、物事が起きたときに、頭に血が上って混乱していたのでは対処ができません。
気は常時足元にあって冷静に物事を判断しなければいけないのは自明の理です。


文殊菩薩は問答の達人だったそうです。
現代で言うディベートですね。

当代随一の、問答では誰もかなわない、問答名人の「維魔居士」とも対等に渡り合ったぐらいの、常に冷静沈着当意即妙の大変な能力の持ち主だったそうです。
居士の病床を釈迦の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記され、知恵の菩薩としての性格を際立たせています。

つまり不動明王と釈迦如来で基本的な身体の基盤を作って、さらに気を下げて足元を固めて物事に冷静に対処できる身体を作ろうということです。
もちろん、足の血行がよくなりますし、リンパや神経系も開いて内臓の五行にも影響をあたえますので、歩きながら、ふとした瞬間に「閃いた!」なんていうことがあるわけです。
まあ、それでこの真言の主眼は、とにかく人間も神様も仏様も物事に対処するためには、落ち着きが肝心というわけです。