旅をしてると、自分の力がいかに小さなものであるかを思い知らされることがある。
それはインド カルカッタのマザーテレサハウスで、まさに私の手の中で人が死に行く時であったり、震災後の釜石で街を埋め尽くす汚泥をシャベルですくっている時であったりと様々な場面で感じる。
この旅では、サハラ砂漠の雄大さを目の前に、自分の生命がいとも小さく見えた。
私を軽く一飲みにしそうなサハラ砂漠。その広大な「ほとり」に、私は足を踏み入れていた。
私の足元では2匹のフンころがしがフンを転がしていた。彼らにはこの砂漠はどう映っているのだろうか。
そうこうしている内に、今回砂漠の水先案内をしてくれるベルベル人が、私のラクダを連れてきてくれた。
さっそく私がまたがると、ラクダは怪訝そうな声で威嚇してきた。
ラクダに乗るのは初めてだったが、余りフレンドリーな動物でない事に始めて気付かされた。
なんやかんやで嫌々ラクダが立ち上がると、ぐっと私の視界が拡がった。
そこには、黄金に輝く無数の砂丘が、私の視界いっぱいに果てしなく拡がっていた。
その光景に思わず感動で溜息がでた。
こうして、私、砦さん、そしてイタリア人カップルの4人で編隊を組んで、1行はサハラの「ほとり」の奥へと行進を始めた。
行進を始めて暫くはラクダ草が辺りに点在していた。
私のラクダは、時折そのラクダ草を食べ、糞尿を撒き散らしながら進んで行った。
一歩一歩、ラクダを通してサクサクと砂の感触が心地よく伝わって来た。
砂漠の道案内をしてくれているベルベル人は、途中ヤシの実を採取しながら、素足で私達を先導してくれていた。
こんな360度砂漠が続く目印のない景色の中で、彼がどの様に方向感覚を得て、目的地を目指しているのか私にはさっぱり理解できなかったが、きっと彼には私達には見えない「道」がしっかりと見えているのだろう。
暫らく進むと、視界が急に悪くなって来た。
砂嵐だ。
始めはそよ風に砂が混じる程度だったが、一気に強さを増し、砂粒がガンガンと顔面を直撃して目が開けられなくなった。
私はとっさにフェズで買ったスカーフを取り出し、顔全体をターバンで覆う様に巻きつけた。
するとどうだろう、薄いスカーフは透けて私の視界を確保する一方で、砂粒が私の皮膚にぶつかるのをしっかりと防いでくれていた。
案内人のベルベル人も同じ様にスカーフを巻きつけながら、その小柄な身体にも関わらず、嵐をものともしないで突き進んでいた。
スカーフの偉大さ、砂漠の民の力強さを感じた瞬間だった。
砂嵐は2時間程続いただろうか。
その間、全く何も見えなかった。
こうしていると、遠い昔、サハラやシルクロードの砂漠を越えた旅人の苦労の記憶が、私のなかで蘇る様に感じた。
今でこそ飛行機で砂漠などひとっ飛びだが、昔の人々は皆大きなリスクに立ち向かい、それぞれの目的を果たすために死と隣り合わせで旅をしていたのだ。
暫くして、徐々に風が収まり、案内人も含む5人全員が無事な事を確認し私は少しホッとした。
やがて視界が完全に開けると、ラクダ草は消え、完全に辺り一面黄金に輝く砂だけの世界になっているのに気がついた。
映画の1シーンから飛び出した様な光景に心を奪われた。
先ほどの風で地形は大分変わったはずだが、案内人は迷うそぶりは微塵もなかった。
そして、彼の指差す遠くの方に、一つの点が見えた。
大きな砂丘のすぐ隣に一つのテントが佇んでいた。どうやらそこが今夜の寝床らしい。
こうして、1行は無事に目的地へ到着した。
あの砂嵐の中、目印のない砂漠で迷う事なく、私達をここまでリードしてきてくれたベルベル人の案内人に、私は畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
ちょうど陽が地平線に沈む中、案内人の合図で私のラクダも地面に沈んだ。
そして、私はサハラ砂漠での一歩を踏み出した。
それは、言うなれば、人類にとっては小さな一歩であっても、私にとっては大きな一歩であった。
