そんな光景を横目に見つつ、私達はフェズ・エル・バリを目指して歩いていた。すると、意図せず一つの集落に迷い込んだ。皮を剥がれ吊るされている牛やラクダ、七面鳥を両手にぶら下げたおつかい帰りの子供たち、ベールに身を包む女性。初めて目にするイスラムの世界に圧倒された。それは、すぐ目の前に迫っているはずの世界一の古代都市、フェズ・エル・バリへの私の期待と好奇心をより一層高めた。
集落を出て、暫く道路沿いを歩いた。交差点のど真ん中に大きな噴水があった。砂漠の国では、ふんだんに水を使う噴水はとても贅沢に見えた。とりわけ、水を飲むことさえ許されないラマダーンの時期においては。
そして、ついにフェズ・エル・バリが見えてきた。アラベスクが張り巡らされた紫のゲートが大きく口を開けていた。それはこれまでに見てきたどんな門よりも美しく、これからこの街で起きる出来事への、私の想像力をかきたてた。

門を潜り、先ほどの集落は序章に過ぎない事がすぐに分かった。迷路のように何処へでも拡がる路地、熱気あふれるバザール、そして天高くそびえるモスクのミナレット。そこには外壁の外とは異質の中世の世界がそのまま残っていた。
そのまま吸い込まれる様に私達は街の内部へと入って行った。フェズ・エル・バリは世界一の迷宮都市で、その昔、敵が城壁を破り街に入り込んでも、敵が方向感覚を失い混乱する様に複雑な造りをしていた。そうは言っても、21世紀の地図がある時代に迷うわけなどないと、方向感覚に自信のあった私は鷹をくくり、目の前の光景に心を奪われ、ずんずん奥へと突き進んでいった。
まるで蜘蛛の巣のように、幾重にも入り組んだ道をひたすら歩いた。民家や商店、モスクが軒を連ね、シンドバットの様な世界が拡がっていた。のっぺり顔の東洋人が珍しいらしく、人々はまるでパンダを見るように私達を見つめていた。そんな中、友達が大阪にいると言って親しげに近づいてくる少年がいた。不審に思っていたが、やはり用事は葉っぱの販売でげんなりした。彼以外にも、何人かの青年がアプローチしてきたが、ろくなものではなかった。私は、まるで蜘蛛の巣にかかった獲物の様な気分になってきた。
更に進むと、青年が喧嘩していた。怒り狂い水の入ったペットボトルを地面にたたきつけていた。口にものを入れる事が出来る日没まであと少し。きっと我慢できずに水を口にした事を責められ喧嘩になったのだろう。
こころらで、辺りが暗くなってきたので、入り口へ戻ろうと地図を広げた。
しかし、世界一の迷宮都市で地図は役に立たなかった。
来た道を帰ろうと、後を引き返したが、ポイントの無い幾つもの分かれ道が私の感覚を狂わせ直ぐに迷ってしまった。
そして、日の暮れる中、誰一人、今私達が何処にいるか、分らなかった。
まさに、入口の門に描かれていた、アラベスク模様の中に迷い込んだ気分だった。