The Rising Sun and The Falling Sun. -青年世界で何想う- -11ページ目

The Rising Sun and The Falling Sun. -青年世界で何想う-

独立独歩。

37カ国を旅し、あの日、あの時、あの場所で感じた事などを徒然なるままにノンフィクションで。

Explore the world. Expand your horizon.

出口がない。

私はまさにアラベスク模様の中に迷い込んだ気分だった。
歩けど歩けど、特徴のなく迷路の様なフェズの街造りが方向感覚を狂わせ、私達は何度も同じ広場にぶち当たった。方向感覚の良さだけは自負していたが、この時ばかりはお手上げだった。このまま日が暮れてしまっては元も子もない。
その時、一人の少年が笑みを浮かべながら「exit?」と訪ねてきた。私達は顔を見合わせ、多少のお駄賃を要求される事は分かっていたが、彼に水先案内を頼む事にした。


少年は私達より一足早く駆け「This way!」と要所毎に待っていてくれた。本当に街の出口に連れてっているのか確信はなかったが、少年の無邪気さの残る目に賭けてみることにしていた。


しばらく歩くと些か人通りが多くなってきた。
私達はここらで方向感覚を取り戻し、少年にお駄賃として日本円にして100円位を渡そうとした。30円で夕飯が十分食べられる国であるが、少年は不服だったらしく、もっとと要求してきた。私はあと100円くらいあげても良かったが、一緒にいたお爺ちゃんが断固としてNoと突き放していた。
そうこうしている内に、一人の男が近づいてきて私達に「What do you want?」と聞いてきた。
少年の父親に偶然出くわしたらしい。少年は急に分が悪そうになり、去って行った。どうやら、父親は外国人に関わるなとでもしつけているのだろう。父親は親切に、出口はあっちだと指さし、息子の後を追って行った。



こうして私達はようやく出口前の広場に戻ってきた。

空が真っ赤に染まっていた。

そこで日没がラマダーン終了の合図である事を思い出した。

朝から一切何も食べていない。

どっと空腹と疲れに襲われ、行き当たりのレストランに入った。
私は北アフリカの代表料理タジン鍋とミントティーをおもむろに頼んだ。モロッコに来てから最初の食事である。ラマダーン明けのタジン鍋はさぞ美味しいに違いないだろうと、うきうきしていた。

ラマダーン中は日中こそ厳しい断食断水を守らねばならないが、日没後は好きなだけ飲み食いが出来る。辺りを見渡すと、皆それぞれの食事を目の前にし、今か今かと待っていた。


と、その時、隣の席の家族の少女がいきなり泡を吹いて倒れ込んだ。
白目を向いてのびているのを家族が必死に水をかけて救援していた。
朝から何も飲み食いしていない為の熱中症か脱水症状だろう。
真夏のラマダーンの過酷さを、まさに背中合わせで感じた瞬間だった。


そのまた横では、おじちゃんが、おばあちゃんに物凄い勢いで怒鳴られていた。
ラマダーン終了の合図を待てず、フライングして牛乳を飲んだのが原因だったらしい。


これらのドラマを目にし、日本人の私は、ラマダーンに一種の残酷さを感じながらも、ここまでして信仰を持てるモロッコの人々に感銘を受け始めていた。



そして、19時。まだ陽の光が残る中、モスクのミナレットから、空を切り裂くようなけたたましい「アッラー」との祈りがが発せられた。辺りは一瞬静寂に包まれ、通行人の姿が消えた。



アザーンと呼ばれるこの断食終了の合図は、祈りというより叫びの様だった。
祈りが終わるか終らないかのうちに、皆何かまじないの様な言葉を交わしており、辺りは筆舌に尽くしがたい幻想的な雰囲気だった。

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そして、それを皮切りに、ラマダーン終了が始まった。


食事に喰らいつく者、煙草に火を灯すもの、ヤギの乳を飲む者、皆それぞれのスタイルでその瞬間をお祝いしていた。




そんな中、私は当然、迷うことなくタジン鍋のチキンにかぶりついた。