紗羅を火葬して、何日も仕事を休むわけにもいかないので、強制的に日常に戻って数日。
いろいろ当時の様子を思い出しています。
その時は必死だったので見えなかったことが、少しずつ思い出されてきます。
何度か膵炎を罹っている紗羅は、ここ2年ほど予防のためのお薬をずっと飲んできました。
5月くらいから便の状態が不安定になり、慢性腸炎の状態になり、お薬の種類を増やし、症状に応じて量を調節しながらの生活でした。
9月に入ったくらいから、紗羅の食欲が落ちてきました。体重も少しずつ落ちていきました。それでもまだ食べていたし、動けていました。
このころ、エコーとCT検査をして、腸壁にカルシウムのような白い影があり、抗がん剤を二日に1度飲むことになりました。
だんだんとカリカリを食べこぼすようになり、やがて食べなくなり、ウェットフードばかりを食べるようになりました。
9月中旬、血液検査をし、貧血とカリウム欠乏との結果が出て、鉄剤と造血剤の注射とカリウム剤の投与を始めました。少し食欲は戻ったものの、それも一時でした。
10月に入ると、ペーストしか舐めなくなり、10月2日、予約外で病院に連れて行きました。
この時点で肝リピドーシスを疑っていれば、結果は違ったかもしれないと今では思います。
しかし、この日は食欲増進剤の種類を変えただけで帰ってきました。
そこから、病院の休日などがあって、二日間ほぼ食べない状態が続き、10月5日、かかりつけ病院が休みでしたが、以前にもかかったことのある違う病院へ急遽電話をし、診察時間外でしたが飛び込みで診察していただきました。
血液検査をしたら、白血球の数値が異常に低く、肝臓の数値が異常に高いという結果でした。
その病院の先生は、かかりつけ医から処方されている抗がん剤の影響で白血球が死んでいるのではないか、と言われました。
肝臓の数値に対しては、減少している体重に対して、処方されているステロイド剤が多いため負担がかかっていて、慢性腸炎から三臓器炎となり、黄疸が出ていることから、肝リピドーシスの可能性があるといわれました。
かかりつけ医ではない以上、詳細なデータがないので、その病院の先生も「可能性がある」とまでしかおっしゃいませんでした。
「明日、かかりつけ病院で即入院となるかもしれません、もし悪化するようであれば今夜も救急病院へ走ってください」
といわれ、その覚悟だけはしていました。
結局、翌日の朝の診察の予約が取れていたこともあり、その日は、栄養剤と肝臓の働きを助けるために強肝剤の点滴のみで帰宅しました。
帰ってしばらくは少しは落ち着いてきたように見えましたが、夕方になると、また喘鳴するようになり、失禁するようにして出た尿は黄疸でかなり黄色いものでした。私は言われた通り夜間救急病院へ走りました。
まずは呼吸が苦しそうだったので、呼吸器の疾患の可能性を見るためにレントゲンを撮ってもらい、その可能性を消去しました。昼間の血液検査で、カリウムの値があまり回復していなかったので、栄養剤の追加とカリウム剤の点滴をしてもらいました。
呼吸が苦しいのは胃にガスが溜まっていることと、消化器系が機能していないことによるものだろうと言われました。肝臓が少し肥大しているように映っているともおっしゃっていました。
夜中に帰宅し、まんじりともせずに朝を待ちました。まだこの時はかかりつけ医の先生が助けてくれると信じていたのです。
朝になって、何度も車で連れまわしてごめんね、と謝りながら、かかりつけ医へ。
入院になるかもしれないと、準備もしていきましたが、先生の反応は昨日の2病院の先生とは違い落ち着いたものでした。
昨日までの状況、検査結果、先生の話、すべてお話しましたが、注射をしただけで、「家で流動食を強制給餌してください」と言われました。
え、入院しないの?
レントゲン写真を見ても、「そこまで肥大していない」との判断。
藁にもすがる思いの私たちは、その言葉を疑わず、少しほっとしてしまったのです。
まだ大丈夫なんだ。
そう信じて、帰宅。
呼吸はまだ荒かったけど、シリンジで水や流動食を口に入れると、紗羅はペロペロと舐め、飲み込んでくれました。
すぐに吐いたり、口から全部こぼしたりする子もいると聞いていたので、「大丈夫だ、頑張れる」と思いました。
でも、
それから約1時間後、最後の力を振り絞って紗羅はベッドからはい出していて、四肢を突っ張ってチェーントークス呼吸になりました。
持ち上げると体には力が全く入っておらず、ふにゃふにゃでした。
眼球は混濁していて、私の頭の中で最悪の結果が過りました。
それでも、回復を信じ、病院に走ろうと、バタバタと準備をして車に乗せましたが、
「呼吸、止まってるかも」
静かになってしまった紗羅を、電話を繋いだ先生の指示通りに、確認していきます。
「もうおそらく亡くなっていると思いますが、連れてきますか?」
そう聞いてきた先生に、この状況をまだ受け入れたくない私たちは、連れて行きますと答え、そのまま泣きながら車を走らせました。
病院に着いて、すぐに処置室に通され、心臓、脈拍、瞳孔を確認して、先生が告知しました。
わかっていながら連れてきて、それでも、その告知は残酷に響きました。
「もう肝臓がキャパオーバーになってしまったんだと思います」
先生はそう言いました。
その時は、そうなんだろうな…、と思って泣きながら聞いていました。
紗羅の亡骸を連れ帰り、お腹にたくさんできた毛玉を取り、体を拭いてあげました。
ブラッシングが嫌いで、あまりさせてくれなかったけど、長毛種のわりに、あまり毛玉ができなかった紗羅。それほどセルフメンテナンスのできる子だったのに、最後は毛玉だらけでした。
その夜は、みんなで同じ部屋で寝ました。旦那はほとんど眠れず、家の周りを徘徊したりしていたそうです。
翌日、母親の時にお世話になった葬儀会館の系列の施設で、小さなお別れ式と火葬をしてもらいました。
この時最初に対応してくださった方は、母の時に担当してくださった方とお知り合いだったそうで、とても親身に話を聞いてくださいました。
火葬に旅立つ前に、たくさん体を撫で、大好きだったおやつやごはん、お花を籠に入れてあげました。
「紗羅が大好きだった、パパの靴下もいれてあげたら?」
いつも旦那が仕事から帰ってくると、その足にすり寄り、臭い靴下に酔っぱらっていた紗羅。
旦那は、泣きながらその場で靴下を脱ぎ、紗羅の前脚のそばにおいてあげました。
虹の橋のたもとでの30分は私たちの50年くらいなのだそうです。
お留守番の多かった紗羅にとっては短い時間です。
すぐに会えるからね。
そう言って送り出しました。
骨となって帰ってきた紗羅は、開館の方も驚くほどきれいにほとんどすべての骨が形を保っていました。
しっぽの先まで欠けることなく。
一緒にお家に帰るんだ、と思ってくれたのでしょうか。
すべての骨を収骨させてもらって、連れて帰りました。
悲しすぎて誰かのせいにしたいだけなのかもしれませんが、肝リピドーシスを疑う所見は、だいぶ早い段階からあったように思います。
8月以降はほぼ週一で通院して毎回体重測定もしていたのに、ステロイド剤は減らされませんでした。お薬の効果はよく知っているはずなのに、抗がん剤なんて怖いお薬を、癌でもない子に投与し続けることに留意しなかったのか。健康な時は6キロ後半、8月はまだ5キロ台だった体重が最後は3.9キロでした。食事の量や普段の様子も逐一話していたのに、です。
けれど、かかりつけ医からは全くその可能性の話は出ませんでした。
最終的には、夜間病院の先生がくれたレントゲン写真さえ「そこまで肥大していない」と否定したのに、その日のうちに「肝臓がキャパオーバーになって亡くなった」というのは、ちょっと腑に落ちません。
別病院や夜間病院の先生がくれた気づきに従うべきだったと、今は後悔しかありません。
私たちは分かれ道を間違いました。
一人の先生を信じすぎました。
苦しむ紗羅を、辛い方の道へ連れて行ってしまいました。
本当にごめんね。
もっと早く、自分たちでも調べて、先生の見解と違うことがあれば、問いただして、また病院を変わってでも、苦しみを取り除いてあげればよかった。
本当に、本当にごめんね。
紗羅が生きていた時間は止まっても、私たちが生きる時間は刻一刻と進んで、私たちと紗羅の間を広げて行ってしまうけど、この日常の中には紗羅がまだいっぱいいて、私たちの生活にどれほど欠かせない存在だったのかを思い知り、それを思うたびに涙が溢れます。
ごはんを食べなくなっていく紗羅のために、手当たり次第にごはんを買って、開封済みのキャットフードが棚に入りきらずあふれるキッチン。どれでもいいから食べてほしいと、少しずつたくさんのフードを並べるために買った小皿。ほとんど動かなくなってしまった紗羅が無理なく生活できるように、よくいる部屋に集めた給水機やタワー、トイレ、猫ベッド。
真っ先に捨てたのは、紗羅が飲んでいた薬です。
すべてではないけど、そのせいで死期を早めたと思ってしまうし、もう苦しむこともないのだから。
フードの残りは、火葬をしてくれた会館が、動物愛護団体さんと交流があり、物資の受け入れをしているとのことなので、そちらへお譲りしようと思ってます。
紗羅の過ごす部屋につけたペットカメラには、最期の様子が残っていて、一度再生したけど、すべてを見ることはできませんでした。今は電源を切ってあります。
まだまだ心は紗羅と一緒に暮らしています。
朝起きても、仕事から帰っても、そこにいる気がしてしまいます。
だから、毎日何回も名前を呼んでます。
しばらく、こんな感じだと思います。