私にとって、お盆の締めくくり行事、兼務寺院の施餓鬼会。
場所は滋賀県彦根市。安養院という小さなお寺です。
施餓鬼棚の飾り付けは、とてもシンプル。
継続するためには、このシンプルさが大切なのだと思います。そして皆さん熱心にお参りされます。
法要の僧侶は、私1人。信心に出頭和尚の人数は関係ない、これで良い!。
皆さん自分の経本を持参して、一緒にお経を唱えられます。
そのお姿に自然と頭が下がる。
本堂での法要は、この施餓鬼会と涅槃会の年に2回だけ。あとはお正月の飾りくらいですが、皆さん継続して護ってくださっており、信心深い方々で、とてもありがたいことです。
全国的に仏教寺院は、被兼務寺院が増加しています。今後、寺檀関係の希薄化は避けられませんし、江戸時代に決められた檀家制度は徐々になくなります。また過疎地では合併や解散する寺院も増え続けます。人がいないのだから仕方ありません。田舎のお墓は縁仏だらけになるでしょう。この流れを止めることは不可能です。その事実は、お寺にとって不都合でも、世間にとって悪いことばかりではないと私は思います。長い目で見て、各寺院が本来あるべき教化の力を付け、将来に仏法が残るためのプロセスだと考えています。残るべき寺院は自然と残ります。
継続するために、檀信徒の負担を軽減することは、過疎地の寺院が残るために必要なことです。
僧侶と檀信徒が力を合わせて仏法を護る、寺院を護ることができるのは、一僧侶として冥利につきます。