昨日、どツボにハマった「テッテレー」。
いやしかし、朝起きて、今でもこれの絶大なパワーは凄いものがある。

まず、用法だが、そんなもんは、ノリでやったんさい。
強いて言うなら、本家筋ではまだだが、「♪」を付与すると、
より可愛く、響きにビブラートがかかる。

これの出典は、本家筋にしか、わかりはしないが、出典はかなり
古いTV番組系とみるか、ゲームのSEとみるか、その混血とみるか、
ここは研究が必要であろう(いや、省略しろよな。)

あきらかに、「擬態語」の亜種である。
擬音語でないのは中学1年生レベルでもわかるだろう。
わんわん、とか、ちゅんちゅん、とか、そういうのではない。
「どっかーん」とか、最近話題の<ばきゅーん>に近い気もするが
むしろ、その様は、音源がない、心象風景を表している。
つまりは、涙は心の汗、だー、みたいなにおいが微かにするだろう?な?

どんな、「心象風景」かというと、あきらかに、爽やかであり、
あきらかに投げやりであり、あきらかに無責任である。
ほぼ、大人が通例、口に出すようなものではない。
「口にだしてもいいのよ。」とかいう、アレと混同しないように。

ウォホン。。

何といっても、彼女こそは「貰えない天女」という、日本の演劇界では
伝説と化した、恋物語の、主演最有力候補であることは、ここで
忘れてはならない。

おそらく、「テッテレー」も、貰えない天女を目指す過程の、
いくつかの<エチュード>で、自然発生したと考えるのは、
的を得ているはずだ。

女優は悩んでいた。照明にも頼らず、ただ、己の「演技」のみの
力において、描写が<変化>したことを表現するためのエチュード、
その困難さは、凡百の似非女優では、1分で逃げだすほどに
過酷である、、あの、

【昭和のエチュード】、それに他ならぬ訓練の賜物ではないか?

すなわち、それまでの演技に、<一区切り>をつけねばならぬ。
舞台装置は、封印された。追い込まれた女優の、その唇から、
思わずもれたその言葉は、、、、「テッテレー」。

なんとも、イミフである。そもそも「意味が全くない」という点
で、秀逸だ。有名なものとしては、、

「ガチョーン」、、や
「さーて、来週のサザエさんは!」
に、かなり近い線である。どちらにも、意味が100%ないのだ。
え?2番目は文章じゃねーか、って?バカかお前。これは
「擬態語」なんだよ。いいえ、クレームは受け付けてません。
先生、知りませんよ!!もう。

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一気に、「テッテレー」の全てを、解体して、

【ターフルアナトミるかい?】とかいう著書でも出そうかと意気込んだが、
筆者は、腰が痛くなってきた。ああ、痛い。湿布をはるから、
このへんにしときなよ。ね。


テッテレー♪

うん。やはり、美しい。。