意識を取り戻してからの数日間は、とにかく、アカリにとっては、悪夢でしかありませんでした。激しい頭痛と、吐き気と、体の痛みに苦しみながら、それでも少しずつ、状況を受け入れるしか術がなかったのです。
 白くて四角い部屋の中で、唯一動かせる
首と手を頼りに、必死で、乗り切ろうとしておりました。
 頭の包帯はじきに取れ、点滴も、食事が取れることによって、抗生物質と、痛み止めのみになり、少しずつ楽になってきました。
 部屋の住み心地は、そう悪いものではありませんでした。時間通りに《看護師さん》は現れ、ベッドの向きを変えてくれたり、食事を手伝ってくれましたし、初めはベッド上のトイレも、頼めば、何とか車椅子に乗せてくれ、部屋のトイレに座ることも出来ました。
 自由でないにはせよ、《ナースコール》という、ボタンを押しさえすれば、《看護師さん》が現れ、手助けしてくれるのには、助かりました。
 
 《母親》は時折訪れました。いつも、花を持って現れ、アカリにとって、身に覚えのない事を話し始め、最後には反応が薄いと言って、泣くのでした。
「ねぇ、アカリちゃん、《あの日》一体、何があったの?」
 アカリは、なんの事かわからず、ぼんやりとして、《母親》を見つめました。
「あなたに、ヒドイことをしたのは、誰?
この中にいる?」
 見せられたのは、遠足と思しきスナップ写真で、ワラワラとピースサインをする、沢山の子供たちが、映っていました。
 ベッドサイドのテーブルに乗せられ、順繰りに目を通しましたが、一体ソレはどこなのか、この中に自分がいたのかさえ、わからないのでした。目が上滑りに、白い印画紙に写し出された画像を、まるで焦点が定まらない人のように、虚ろに見つめておりました。
「ねえ、何か言って。なんでもいいから、言ってよ!お母さんは、一体、どうすれびいいの?」
 半分絶叫に近い声で、喚き散らすその人を、本当に《母親》なのかさえ、わからないのでした。大声で泣く《母親》にかき乱されて、決まって、アカリは、激しい頭痛に苦しむのでした。

「お母さん、気持ちはわかりますが、まだ
難しいことは聞かないようにしてあげてください。そのうち、徐々に思い出しますから」
 と、《お医者さん》や《看護師さん》は、騒ぎを聞きつけて、説得してくれましたが、
「ホントに、思い出すんですか?この子は、本当に、大丈夫なんですか?頭を打って、おかしくなったんじやないんですか?」
 と、逆に、食って掛かるので、手を焼くのでした。

 そうして、今日も、やっと《母親》が帰って、グッタリとしておりました。
「お疲れ様。ベッド、倒す?」
 中でも親切な《看護師さん》が、声をかけてくれました。
 頭を振り、いい、と短く答えました。
 そう?と《看護師さん》は言い、ためらいがちに、アカリの顔を見ました。
「そういえばね」
 アカリの体に、布団をかけてくれながら、何気ないふうを装って、尋ねました。
「最近、小学生が、この部屋に来てない?」
 あまりにさり気ない様子だったので、思わず、うん、と言いそうになりました。
 《看護師さん》は、そんなアカリの様子を、チラッと見つつ、
「この部屋に入るところを、見かけたのよね~」
 気のせいかな?と言いながら、軽くそう言いました。
「もしそうなら、言ってね。来ないように、
キチンと言うから。」
 少し、顔をしかめつつ、そう言いました。
 アカリは、感情のこもらない目でボンヤリと、《看護師さん》を見て、うなづきました。
「あの子たち、すばしっこいから、油断もスキもないのよね。いつも、ツルンで、ちょろちょろしてるから、手を焼いてるのよね~」
 ふーん、アカリは、少し微笑みました。
 そうなんだ
 心の中で、つぶやきました。
 先日も、《ユリア》という女の子に、絶対《看護師さん》に話さない、と指切りしたばかりです。
「怒られちゃう!お願い、内緒にしてね。」
 そう言って差し出された小指は、小さくて、力を込めたら、ポキンと折れそうなくらい細かったのです。
 アカリは、うん、とうなづき、
「そのかわり、また、遊びに来てよ」
 と、逆に頼んだのでした。
 果たして、今日も来てくれるでしょうか?

 ボンヤリと、そんな事を考えていたら、
《看護師さん》は、疲れたと勘違いしたらしく、ゴメンネ~気のせいならいいのよ~と、その話を打ち切りました。
 実は、先ほどから、ドアのあたりを、ゴトっと、物音がしておりましたが、アカリは、気づかぬふりをしました。
《コビトさん達》見つからないで、来てくれればよいけれど。
 そんな事をふと、考えていました。
 《看護師さん》は、軽くベッドサイドを片付けた後、
それではまた、何かあったら、遠慮なくナースコール押してね
と、言いおいて、部屋を静かに後にしたのでした。