さて、最後にブログを書いてから、気づけばもう一ヶ月近くが経ってしまった。あらあら、と思いながらも、どこかで「やっぱりな」と納得している自分もいる。続けようという気持ちはあるのに、日々のあれこれに追われて、なかなかパソコンに向かう時間がつくれない。特に日本語で書くとなると、少し手が止まる。「億劫」というほどでもないけれど、自分の思っていることをそのまま言葉にするのって、意外と難しい。

 

そもそもこのブログを始めたのは、英語で論文を書くことが増える中で、日本語でも何かを書いておきたいと思ったから。日本語を忘れているわけではないけれど、毎日使っているわけでもないし、もう少しスムーズに書けるようになりたいな、という気持ちがあった。そういえば、学生の頃は宿題で読書感想文を書き、ありがたいことに賞をもらうことも多かった。文章を書くこと自体は、昔から好きだったんだと思う。でも、読書感想文と日々のことを書くブログは、似ているようでやっぱり少し違う。正解があるものとないもの、という感じなのかもしれない。。。

 

 

……と、ここまでいろいろ書いたけれど。

 

 

言い訳終了。

 

 

さて、本日快晴でした。車で一時間ほどにある、Kanaskat-Palmer State Parkに行ってきました。ここは毎年遊びに行くんだけど、川があって、小さいお魚さんがいて、川に入ってちょろっと泳いだり楽しい場所。今日はお友達家族も誘って、少し早い夏を楽しんできました。

 

 

駐車場からちょっとだけ歩く。ここからすでに川の流れるゴーゴーと言う音が聞こえる。

 

 

真夏のような陽気とはいえ、川の水はまだ少し冷たい。足を入れると、思わず「ぎゃ!」と声が出るくらい。一度水に入ると、足が痺れるような冷たさというか、軽い痛みに近い感覚ですぐに出たくなる。不思議なことに、水から上がったあとは足がぽわーっとしてきて、じんわり温かいような感覚に包まれる。これが、サウナ界隈でよく聞く「整う」ってやつなのかな。確かに、「整う」ちょっと気持ちがいいです。なるほど、みんなこの感覚でいたのね。

 

男子二人はそんなことはまったく気にせず、どんどん川の中へ進んでいく。そして、そのまま真ん中にある石の島まで、時折川の流れに足を掬われながらも、ぐんぐん前へ向かっていく。見ているこちらがためらうような水の冷たさなのに、二人とも本当に勇気があるなあと、ちょっと感心してしまった。

 

ワシントン州の夏は、正直とっっても気持ちがいい。秋から春にかけても晴れる日はあるけれど、やっぱり雨が多い。だからこそ、こういう雲ひとつない快晴の日に当たると、「ああ、夏っていいな」としみじみ思う。ここ数日は暖かくなりそうなので、仕事や学校が終わったらどこか楽しいところ連れてってあげられたらいいな。

 

本日快晴。アメリカはイースターを祝う日でした。といっても私たち家族は教会に行くとかないので、イースターエッグハントを家族イベントとして毎年やっております。子供達もすでに大きいので、イースターバニーが本物なのかどうかはもちろん知っているけど、大人も子供も騙し騙されてますよってのを前提に、家族全員で毎年演っております。

 

まず、イースター準備担当の主人がプラスチックの卵に入れるキャンディやちょっとした小さいおもちゃなどを仕入れます。そして前日までに、子供達に内緒で夜鍋してプラスチック卵の中にキャンディやらコインやらを入れておき、当日まで見つからないように隠しておきます。

 

イースター当日、いつもの流れなんだけど、やれ「犬の散歩に行こう、でもダディはたまってる仕事があるから家にいるね」、とか、やれ「天気がいいから自転車乗りにいこっか。あれ、この自転車だけ空気入ってないね、空気入れも壊れてるから、今日ママは家でお留守番してるね」とか、とりあえず各自演技が始まります。帰ってきたらイースター開始というのが子供達もわかっているので、ノってくれます。

 

子供達が片親と出かけた瞬間から、卵隠しが始まります。

 

今日は朝から天気が良かったのでお昼に庭の草刈りをしたんだけど、それもイースターの為だったのでした。家に残った大人が、家の中から始まって、トレイルのように裏庭に向けて卵が点々と落ちて?置いて?隠していきます。

 

今年は、「ガスステーションにちょっとミルク買いに行かなくちゃなんだけど、一緒に行かない?天気もいいし、ドライブしよ!」というテイで、子供達を連れ出し、子供達も「渋々一緒に行ってやるか」という演技をし、家に残った者が時間内に見事卵隠し成功。そして帰宅してからの、「え!!!もしかしていない間にイースターバニー来てた??」という演技を一応見せてから、イースターエッグハント開始。

 

今年も無事に終わりました。

 

来年はどんなイースターになるかな?

 

わんこもエッグハントしました

今日は日曜日。朝から犬たちをお隣さんに預けさせてもらって、土曜日からお友達の誕生日会に行って流れでお泊まり会に行っている子供を迎えに行って、荷物を色々と準備して、3時間ほどかけて下の州のオレゴンまで運転。なぜかと言うと、主人の親戚が食道がんのために先月お亡くなりになったので、そのメモリアルサービス(お葬式)に参加してきました。

 

日本の場合は、誰かが亡くなってしまったら、即お葬式の準備やらお通夜やら忙しなく動いて、そうすることで故人の死を悲しむ暇もなく色々な気持ちを抑え込んでしまう印象がある。落ち着いて気持ちを整理する前に事務的な手続きが始まってしまい、偲ぶ時間や死と向き合うことがなかなかに難しいのではないだろうか。でも、そのために四十九日の法要や定期的な儀式がその後もあって、段階的に死を受け入れていくのが、日本での死との向き合い方なのかな。気遣い的な。私の場合はだけれど、両方の祖父母のお葬式には、海外にいる私に心配かけないようにと、全て終わってからお知らせが来た。ちょっとショックだったけれど、離れていても彼らのことを想うことで偲ぶ事が出来たと信じてる。

 

アメリカのお葬式に参加したのは、こちらで20数年生活してきて10回ほど。いつも思うのは、アメリカのお葬式はとっても合理的かつ素敵だなぁと言うこと。住んでる場所によるのかもだけれど、Celebration of Lifeといった、故人の人生を参加者みんなで祝うという形式が多い。死んでからすぐにお葬式をするのではなく、まず親族が、誰々が亡くなりました、近いうちにメモリアルサービスをしますので、参加よろしくといったメッセージをお知らせする。そのサービスが一ヶ月後または数ヶ月後に行われるので参加者も予定を空けやすいし、その当日には家族や親族も気持ちが少し落ち着いて、故人の死という事実をある程度受け入れているために、みんな故人を偲んできちんと話すことができる。

 

湿っぽく泣き崩れるというよりも、故人の好きだった音楽を流して(今回はヘヴィロックミュージックでした)、子供の頃からの写真のスライドショーや、実際の写真や思い出の品が飾ってあって、故人が好きだったスポーツチームの飾りやら何やらがあって、一人ずつ任意でマイク持って話したい人だけ「彼はこんな人だったんだ、こんな楽しい事一緒にしてこんなことがあって」って思い出話をシェアして笑い合って、最後は持ち寄り料理のポットラック兼バーベキューやって、みんなでご飯食べて、久しぶりに会う親族と近情報告して、なんだかお祝い的な雰囲気がある。今日も故人の家族は泣いてたけど満足そうな笑顔で過ごしてて。私はみんなの話を聞いてて泣いてしまったけれど、こんなにたくさんの人に愛されてたんだなぁって改めて実感できて良いサービスだった。確かに彼はいつも笑顔で、楽しい人だった。ポットラックで食べるのが大好きで、いつもお皿山盛りで食べてたなぁ。体が筋肉もりもりで、ガハハハと笑う家族大好きな人だった。奥さんが彼と最初に出会った時の話や初めてのデートの話をしたり、他にも小学校の頃から友達の話も聞けて嬉しかった。サービスがあった場所も、奥さん曰く、家族で遊びに来たり彼が魚釣りに来たりして大好きな場所だったんだって。

 

パーク内にあるシェルターでのサービスだったんだけど、天候悪くまさかの屋外で寒かったなぁ。。

 

もし主人が私よりも先に死んでしまったら、私はどうなるかな。今回のお葬式は結構考えてしまった。主人は45歳で私は42歳。まだまだ先のことでお互いにゆっくりと歳をとっていきたいと思ってるけれど、人生何があるかわからない。お互いに健康でいたい。子供や犬のためにも!このアメリカのお葬式のシステムが、感情を整理するために十分な待ち時間を許してくれるGrievingが出来てて素敵だな、と思うのです。

 

みなさんはどうでしょうか?

 

 

 

余談

 

もちろん文化的・宗教的な理由もあるだろうけれど、私が住んでる地域はCremationといって、火葬して骨を全て粉末状にして骨壷に入れるのが主流。知り合いでかなり体が大きい人がいて、火葬した後も骨の量が半端なく多かったので、粉末にしても全て骨壷に入りきらなかったということがあった。骨壷も有志で友達が3D Printerで故人が好きなようなデザインで作ったんだけど入らなくて、最後はもうぎゅうぎゅうに詰めてた。そんなこともある。そして骨壷はまだその人の家族の家に飾ってある。。主人のお父さんはすでに亡くなっているんだけど、火葬して粉末状にして、一部をお父さんの出身地のアラスカの海に散骨した。私はそれいいなって思ってる。

 

もちろん土葬する人もいる。その場合は、遺体安置所に長期で預けるケースもある。Pacific Islanderに多い。そしてPacific Islanderは体が大きい人が多いので、棺桶も特注で大きいサイズのがあるらしい。興味深い。。そして余談も余談なんだけれど、彼らはお揃いのシャツ(故人の顔写真付き)を作ってみんなで着る。個人的に参加したことないけれど、Samoanサモア人と交流がたくさんあるお友達がいて、彼女がSamoan主催のお葬式に行く時はいつもシャツ作成の話をしている。

前回からの続き

 

さてさて、今回は必須科目の話をしようと思う。下記が私の正看護師になるまでの取得クラスやら何やらの道のりである。これはナースになるぞと決めてから、学校のアドバイザーと今後の計画を立てた時に作った表。私はこれを個人的に「5年計画」と呼んでいた。2022年春から5年以内に看護師になると。というのも、正看護師のプログラムがとっても人気で、入学申請したとしても抽選のために、入れるかどうか全く未定だった為である。数年待つこともザラだと聞くし、運良く入れたとしても、着いていけなくてプログラム脱落する人もいるという。400人申し込んで一学期毎に入学許可が出るのは24人のみ。上手く捻り込めるのか。。。

 

印刷して、毎学期終わるたびにバツで消していくのがちょっとした達成感で気持ちよかった。

 

春学期2022年から必須科目(Prerequisites)を取り始めて、春学期2023年に全て修了。そして夏学期2023年にCollege Cの正看護師プログラムに入学申請するのが計画であった。結果的にCollege Cには入れず、准看護学校のCollege Bに秋学期2023年に入るわけだが。

 

以前のブログでも書いたけれど、私は200%文系で理系のクラスがとっても嫌いだ。でも看護学校に行くと決めたからには立ち向かわなくてはならない(白目)。高校の時、担任の担当教科が化学だったのだけれど、テストで0点取って飽きられたことがある。逆に私もびっくりした。0点て。漫画かいな。化学は気合いで乗り越えて、あれは幻想だったのかってくらいの記憶しかない。ほんとオンラインのクラスで良かった。。。すいへーりーべーなんちゃらってのがずっと頭ぐるぐるしてた。そしてそれを応用した機会が来ることはなかった。。。

 

高校では数学も赤点ばっかだった私ですが、今回のMath 146(統計学)に関しては、オンラインのクラスだったんだけど問題をとりあえず解いて解いて解きまくるシステムだったので、慣れればわかってきたし手応えもあった。わからないところはメールで質問して詳しく解説して返信してくれるし、先生はとても優しかった。テストだけは決められた日に大きな講堂に行って一斉に受けるんだけど、初めて対面する先生はとっても朗らかでメールで対応してくれた人そのままだった。なので数学嫌いだった私も好印象で修了したクラスであった。このクラスで初めてTI-84 Calculator という超ハイテクな計算機を使うことになった。色々とデータを打ち込んで統計学を解いていくんだけれど、まぁこれがまた値を入力してくのが大変で。でもこんな計算機使ったことなかったし、今後も使う機会があるのか不明だったから結構楽しんだ。ちなみにこの計算機は120ドル近くするんだけれど、学校で無料で借りられました。

 

Psychologyのクラスの宿題はほぼディスカッションだったかな。オンライン学習なので、自分の意見を書くと他の人の意見も表示されるようになって、他の生徒二人の意見に関して返答する、みたいなの宿題が多々あった。主に人間の心の成長的なことを学んだ気がする(←覚えてない)。多分このクラスで学んだことが看護学校の時に活用されたのではないだろうか(←)。このクラスで一番腹が立ったのは、学期終わりにあった恐怖のグループワークである。まず先生が6人グループを作成。指定されたトピックに関するニュースレターを色々記事見つけて協力して作成し、期日までに提出してね!と放出。てか、みーーーーんな誰もなーーーーんもしてくれないのだ。とりあえずみんな自己紹介をグループの掲示板にして、一応の役割分担を記載してくれるんだけど、忙しいからとかって言い訳してその後音沙汰なし。締め切り一週間前になっても無言。え、このクラスとってるってことは、Healthcare系のプログラム希望ってことですよね??チームワーク今からそんなに乱れていいの??みんなーー!!!ちゃんとしてーーー!!かろうじてもう一人クラスメイトと私が二人でマジで締め切り数分前だよ??って時にギリで仕上げて提出したけども。オンラインだからお互いに顔が見られないからといって、最初っから他人に任せて自分は何もしません、でも成績や評価はちゃんと貰いますってのはどうなのかなと(人として大人として)。結局このグループワークが足枷になり、不本意ながらB+で終わったクラスであった。こういうのが嫌だから、グループワークって嫌い。だったら最初から自分一人でニュースレター作りたかった。しばらく人間不信に陥ったのであった。

 

 

続く。

 

前回からの続き

 

私は過去にアメリカで3つの学校に通った。一つ目は二十数年前の留学時のCollege A。二つ目は准看護学校のCollege B。そして正看護学校のCollege C。私の素晴らしい計画の中では、必須科目取得後は正看護学校に入学出来る!はず!!と意気込んでいたので、必須科目はCollege Cで取得することにしていた。家からも職場からも近い場所で、もしLabのクラスがある場合でも仕事を抜けて学校に行きやすいことと、各クラスのスケジュールも自分に合っていた。実際に、前回のブログでリストした9クラスはCollege Cで修了。一つだけCollege Bで取ったクラスがあるが、それについてはまた後ほど話そう。

 

さて、新たに学校に行くためには、今まで取ったクラスの単位を認識してもらう為に、Transcriptという成績証明書を学校に出してもらう必要がある。College AからCollege Cへ単位の移籍を確認して貰う時、なぜかCollege Aの紙の成績証明書を提出しないといけなかった。なぜだったんだろう。めんど。絶対その頃インターネットすでに発展してた。今の時代便利になったもので、Parchment.comというサイトを使えば、各学校宛にオンラインでTranscriptを送付できるのだ。そして次の進学先の学校のEnrollment(入学手続き担当してる所)で、今までどんなクラスを取ってきたのか、これから必要なクラスは何か査定してもらう。その後、学校のアドバイザーと相談して、どのプログラムを専攻したいのか、卒業するにはどのクラスが必須科目なのかを確認する。

 

この必須科目(Prerequisites)というのがまた時間がかかるのと、ちゃんと計画立ててやらないとタイミングうまくいかないやつで。例えば、必須科目の一つEnglish 102を取るには、English 101を修了してないとダメ。さらにEnglish 101を取るにはその前のクラスのEnglish 99を修了してないとダメ、のように、クラス一つ取るにも段階があるのだ。幸いにも昔々に留学してた時にEnlish 98、99、101は終わっていたので、今回再度学生するにあたって、English102をすぐ取ることができた。

 

ちょっと留学してきた時の小話。アメリカへの留学生は一般的にTOEFLというテストで一定のスコアを取らないと、一般教養のクラスを現地の人に混ざって取ることが出来ない(今もそうなのかな)。留学当時聞いた話だと、各学校が指定するTOEFLのスコアを取るか、ESLで一番上のクラスを卒業するかしないとダメだった。今はどうなのかわからないけれど。私が留学前に日本でTOEFLを取った2003年の時点では、昔の採点方式だったので、点数が500点以上じゃないとダメだった。さて、ほんと自慢とかじゃなく、悪い方に取ってほしくはないんだけど、私はアメリカに来る前に指定スコアが取れてしまったのだ。結果としてESLに行かなくても良くなった。なので、ESLがどんな感じだったのかわからないのが正直なところ。ESLに行かなくて良くなったため、良いこととしては、留学期間の出費が減る。親は嬉しいよね。んで、悪いこととしては、なーーーーんもわからないアメリカに来たてで、ポーンと現地の人のクラスに入り、クラスを取ってもチンプンカンプン。ESLに行かなかったので、日本人のお友達が出来ない。。元々人見知りというのもあり、後々少しお話しする日本人とか留学生とか出会ったけれど、割と寂しい感じの孤立した留学生だった。本当はみんなと一緒に遊んだりしたかったのだ。。

 

 

まぁ今日はこの辺で。。