このブログは摂食障害の娘を持つ母親のつぶやきです。


2022年春娘はアメリカで摂食障害の診断を受け治療に挑みました。


治った訳ではありませんが、今は日本にいます。


娘のために書いてるのでなく、


自分の心の底の溜まっている辛い気持ちを

昇華しますようにと書いています。


娘が摂食障害になってしまったのは、


いろいろな毒を避けきれず、

刺されっぱなしで、対応できるすべがなかったので


身体(命)を張った訴えをして


それを乗り切る術を学んでいる途中


今を受け入れる、向き合う時間


そう思っています。


アメリカ生活が始まった当初、

何が起きたのか書きました↓


その後のことを書きます。


気持ちを切り替える

持ち上がりのクラスになるはずが、前年度の担任の先生に拒否されて配属されたクラスは、


意を反して次女、私に取っても生き方を変える先生に巡り合うことができました。


アメリカの教育の素晴らしさや心に残る恩師に会えた一年となりました。


そのクラスは日本人男子が3人、女子は次女1人のクラスでした。


担任の先生は自分自身が双子で、LGBTQのの特性を持つ方でご結婚を控えていました。


アメリカの教育というか、特に私が住むMA州は民主党の活動が盛んな地域でLGBTQに寛容です。

同性婚はもちろん、社会的ステータスの高い立場で活躍する方も多いし、みなさん普通に暮らしています。


そして、どんな身体的精神的な障害があっても人権を守って教育を進め、公立高校はもちろん希望すれば大学進学までの道も開けているような地域なんです。

だから、娘たちの学校のお友達にはお母さんが2人いる子、お父さんが2人いる子、全く違う人種の両親、自分が養子であることを公表している子、

障害がある子、集団が苦手な子、大きな音が苦手な子、25名のクラスメイトは様々でした。


物の考え方の寛容さを肌で学ばせてもらいました。


​人気の先生は

担任の先生はこの学校で子どもたちにとても人気のある教員でした。


高学年の担任ですが、男女問わず一緒にグループ活動を盛り上げてくれるので、低学年、中学部からも好かれていました。(公立校ですが小中一貫校です)


自分自身が教育学のほかに舞台演技を専攻していたそうで、毎年冬に子どもたちの演劇発表会があるのですが、

この学校では先生たちと保護者で結成したミュージカルの演劇発表会も別日に開催され、それらを仕切っていた若い力のある先生だったからです。


彼自身が実は物静かな性格、双子の兄は真逆だと言っていました。


でも演劇を学ぶ事、実際に演じる事で、

自分でない自分を表現できるし、

自分の内面を出すことができるのだと言っていました。


先生との面談が春先でがなく、秋の少し慣れてきた時期(新学期は9月から始まります)に行われたんです。


思春期に入り親子関係も難しくなる時期、


次女はまだ11歳でしたが、すでに月経が9歳のうちに始まっていて、生理痛のためナース(保健室)に駆け込んだりしていたし、この2年でいろいろあった生徒だった訳ですから早々に面談となりました。


​私の要望と担任の先生が思う事

親として、

娘がどうにか孤立しないように、学校に行く事ができるようにと思って、


英語もだいぶ慣れてきけれど、性格が内向的なので喋る事ができない、表現できないから以前のクラスでは仲良しが出来てきたので、今度のクラスでも信頼できる女友達を作る事が目標であると言ったんです。


これも今思うと押し付けですよね。


最初の年に失敗してしまった、

取り敢えず友人を作る作戦。


信頼できる友達は男女関係ないし、

自分で見つけるもの


親や大人が無理にあてがっても、

どうにもならない事を私はまだ気付いていなかったのです。


先生はこう言いました。


Mちゃんはよく英語を理解している


お母さんにとってしゃべることが目標ですか?


こんなに文章として書くことができて、自分の気持ちを表現できるんですよ。


それではダメですか?


そして、彼女は自分のペースで友人を作ります。


既に日本人で信頼している子とそうでない子ははっきりしています。


それを心の言葉の通じない異国の女子と無理に作っても意味がない。


彼女の心を動かすような事で、日常生活を進めていくことが大切ではないかと。


先生の方針


先生はこう提示してくれました。


学校生活のフォローには気の優しい男子をつけます。彼は同じような境遇の双子の男子です。


とても彼女の状況を理解してくれるので、きっと英語で表現することが嫌じゃなくなると思います。


そうすれば、日常生活が変わってくると思いますよ。



私は目から鱗が落ちる気がしました。


彼女の境遇を理解できる事


親の目線では辿り付かない境地です。


女友達を作る事が大切ではない、信頼出来る人を作るとか


しゃべることが苦手なら得意な書くをすればいいという観点


これがアメリカの教育の素晴らしさだと思いました。


「その子を見る」


これは親として今でも出来ているかわからないけれど、


この言葉を聞いて、

彼女はどれだけ救われたかわからないと言っています。


この担任の先生に合わなかったら、

今でもアメリカでの生活を続けることはできなかっただろうし、


結局はこの後何年もアメリカの生活を送ることになってしまい、摂食障害にまでなってしまったけど、


1番良き理解者、恩師であることはまちがいのです。


人生の岐路

この時が岐路でしょうね。


私もですが、アメリカで生活しようと覚悟を決めた時期でもありました。


以前から、伝えていますが、

子どもたちを心配な状況に晒しておくなら、

自分の精神衛生上、学校に関わってしまった方が楽な性分なので、


この頃は学校のPTOに関わり、積極的に代表などを行っていました。


学校の動きも見えるし、先生たちの噂や子どもたちの状況がかなり垣間見られます。


親同士の現地校関わりや、日本人保護者のゴタゴタも見えますが、私は基本「平和主義」


客観的な立場で一歩引いてみている方で、

揉め事には飛び込まず、仲裁も買ってでません。


自分の心がこれは嫌だということにはほとんど加担せず、どちらかというと距離を取って相手にしないというスタンスを取る。


メンタルはかなり強めというか「頑固」なんだと思います。


どこでどう生きるか


日本よりもアメリカで生きることにシフトを決めた時期でした。


娘はどうだったのか?

この5年生の学年で、次女は毎日を楽しむようになってきたのは事実です。


書くことに関して


英語も日本語も彼女の能力は劇的に伸び、

世間からも評価されるようになりなした。


やりがいを1つ手に入れたと感じたの間違いないと思います。


しかしながら、

この時期友人がみんながいるからと言ってはじめた日本の習いごとがあったのですが、


本当は自分ではやりたくなかったのでしょう


みんなと一緒にいられるからとか、


日本に戻った時役立つからと言って、


自分の意志とそぐわない事をしないといけない時期がこの後3年間続いていくことになります。


これは本意か不本意か


本人でなければわかりません。


アメリカにいることを決めたということだけが事実です。


手をかける比率

この時期、双子の長女は、アメリカならではの習い事をはじめていて、メキメキと腕を上げ州大会で頭角を表してきていました。


4年生の時、日本人1人の環境に入ることで、自分の特技を見出す力をつけていたんです。


素晴らしい先生に出会い、次女の状況も少し落ち着いてきましたし、


6-8年生は中学課程に入るので、授業も自分の能力に合った、クラス移動の多い編成で、自分のペースで英語を使うことができるようになってきました。


なので、

長女のために時間を使うことが多くなってきた時期でもあります。


レッスンや大会で遠征が多く車で送る必要があるので、


週末はそちらにつききりになり、


次女は平日は自宅近くの道場に友人と通う日

週末は1人でいることが多くなりました。


娘の長女の遠征先に一緒に行くけれど、

WiFiが繋がればホテルにいたり、

車の中でずっと待っているという時間を過ごさせてしまったんです。


これではいけない!!と


危機感を感じた私は


平日同じ習い事で一緒に稽古に通って共有に時間を作ろうと決めたんです。


これ



自分の一歩的な気持ちのよりそうだった

ということも気付かないで何年も過ごしてしまうんですけどね。


良かれと思っても、空回りだらけです。


親子ってなんだろう、


永遠の課題です。