昨日、母方の祖父のお墓参りに行ってきました。

場所は栃木県。

車で行けば1時間ちょっとの所です。


祖父が亡くなったのはちょうど18年前。

私がまだ大学生の時でした。

それから一度も、お墓参りに行った事はありませんでした。


それほど遠い訳ではないのに、今まで足を運ばなかったのは

私がずっと祖父が好きではなかったから。

祖父は晩年、家族の皆から疎まれ

1人老人ホームへと入れられて孤独の中で人生を終えました。


怒りっぽくて我がまま。

お酒とタバコを多飲し、いつも祖母に命令ばかりしていました。

祖母も母も母の妹の叔母もみんな手を焼いていて

皆の悩みの種だったので

老人ホームで孤独の中で過ごす祖父に対して

早く死んでくれたらいいのに、そしたらみんな楽になるのに、

そう思っていました。


母は長女で、子供の頃からずっと祖父の暴力的エネルギーにさらされていたようです。

当時の事を母は語りたがりませんが

なみなみならぬ痛みがあるようです。

家出同然に家を出て、絶対に家には帰るまいと決めていたそうです。


それでも私が小さい頃は

お盆やお正月は家族で祖父の家を訪ねました。

父が母を説得して帰省していたそうです。


お墓参りをしていて

当時の事を沢山思い出しました。


当時は私は祖父の事が大好きだった事。

祖父は孫の私たちには優しく、

お小遣いをくれたり、バイクの後ろにのせてくれたり

お風呂も一緒に入った記憶があります。


母と祖父の関係なんて知らない私にとっては

ちょっと優しい寂しい老人

というイメージでしかなかったのです。


そう、寂しい老人でした。

いつも寂しげで、だから私たち孫が行くと嬉しそうで

色々物をくれる人。


でもだから嫌いではなかった。

かわいがってもらったし、少なくとも暴力的なエネルギーを受けた事はなかったから。


それがいつの日か

早く死ねばいいのに、と思うほどになっていた。

私が成長するにつれ、

見えてくる母の苦しむ姿。


そしてその母の苦しみの元凶が祖父だという事をしってから

ずっと祖父を恨んでいた。

祖父のせいで、母が苦しむ。

祖父のせいで、この苦しみが終わらない。


いつしか、母の怒りや怨みを

私も一緒に背負っていました。


今日お墓参りをして、それがはっきりとわかりました。

私は直接暴力を受けた訳ではないのに

母と一緒に祖父を嫌いになっていた。


でも思い出すのは寂しそうな祖父の顔。

そう、祖父は寂しかったのです。


そして私はもう、母の怒りや怨みを一緒に背負わなくていい。

私は私の中にある、祖父を好きだった気持ちを取り戻そう。

そう思ったのです。


祖父が亡くなって18年。

長く会いにこなかった事を詫び、お墓を洗いました。


「おじいちゃん、私を赦してくれる?」

「おまえも俺を赦してくれ。」


そんな会話をした気がします。


祖父を好きだった気持ちをとりもどし、

そして本当は祖父が嫌いである事に罪悪感を感じていた自分がいて

その自分が今日で終わりである事を感じました。


これからはいつでも来れる。

また来るねおじいちゃん。

お墓参り



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