生体肝移植後 4日目
零也はまだ眠り続けています。
口の呼吸器を2日間に一度外しましたが、
胸水が溜まって左肺が無気肺になってしまい、
左胸腔穿刺(針を刺して水を抜く処置)をして
また呼吸器を付けて貰っている状態です。
たまに薄っすら目を開けるので、
夫が『お母さんだよ』って冗談を言うと
ゆっくり 違う と首を横に振ってくれました。
手を握ると時々弱々しい力で握り返してくれます。
肝機能などは落ち着いてきているので
今のところは順調のようです。
これから始まる拒絶反応が怖いですが、
頑張って欲しいです。
肝臓よ、れいやの体の中でしっかり働いてくれ
!!
ここから↓過去の闘病日記です
日記はメモ帳に書いているのですが、
5月〜10月は、あまり書いていなくて
この空白の5ヶ月間のことは、
写真で振り返ってみようと思います
この頃は、お腹の膨らみも、
かなり小さくなっていました。
なんで零也だけ病気になったん?
って度々聞かれるから
お母さんが早く産んでしまったからかな、ごめんね
って答えたら
ちがう!
れいやお腹から早く出たかってん
だから、れいやのせいやで
って。。。
三つ子なのに
一緒に産まれたのに
どうしてれいやだけが病気なの?
って思いは強いようで
採血や血球を上げる皮下注射を
打つ時やしんどい時など
良く言っていました。。。
そうやね。
なんで病気になったんか
お医者さんも分からんの。。。
ってどう答えて良いか分からず、
いつもはそう答えてたんやけどね。
もし私が病気だったら、
れいやみたいに気遣いできたかな。
きっと自分のせいなんて
言えないだろうなぁ。。。って思うん
庭のお花⋆︎*
ウキッ🙈
得意の変顔
病院に入院している時に
家に帰れたら、ゲームセンターに行きたい
と言っていた、れいやん。
ずっと病院にいたから
筋力が落ちて体力がなくて
もう歩けない 抱っこして
いつも移動の時は、抱っこでしたが、
ゲームセンターに行くと、生き生きしていて
あっちこっち歩き回り、この釣りのゲームも
釣れるまでリールを回さないといけなくて、
中々の体力を使うので、帰りの車の中で
いつもグッタリ、疲れて寝てしまいました。
楽しかった〜って満足そうな顔が見たくて
治療がない日の血球が下がっていない時で、
人が全然いない平日の午前中はほぼ毎日
ゲームセンターに通っていました⋆︎*
黄疸の数値も徐々に下がり
体力も少しずつ戻りました✧︎˖
カラオケにも良く行ったね♪
ネットで肝芽腫と検索すると、
肝芽腫の危険因子には
以下のようなものがあります
- 家族性腺腫性ポリポーシス(FAP)
- ベックウィズ‐ヴィーデマン症候群
- 出生時の体重が非常に低い。
三つ子は切迫早産で、
20週の時に子宮口が開いてしまって
7ヶ月目(27週)に産まれました。
二十歳で三つ子を自然妊娠して、
当時は周りに三つ子の友達なんていなくて
元気に予定通りに産まれるものだと思ってた。
医師にも運動に関して何も制限されなかったので
歩きすぎたのかな・・・とか後悔しています・・・
出生時の体重が非常に低い
とあるので
三つ豆は 長男 1100g次男 996g三男 1078g
だったので、これが原因か
医師に訪ねたことがあります。
日本における肝芽腫の年間発生数は正確には分かりませんが、およそ30~40人程度で、数10万人に1人の割合で発生する病気ですから、低出生児は関係無いと言われました。
そう言われても 早く産んでしまった自分を責めないように言ってくれているだけでは。。。とまだ
疑ってしまいます。。。
後、ゆうとやはるきも肝芽腫を発症する恐れはないのか医師に尋ねたところ、うちの子は三卵性なのでまずそれはない と言われました。