この作品は超韓国ドラマを意識して、そのアンチテーゼのつもりで書きました。

 

幼馴染、孤児、貧乏人、金持ち、障害のある恋愛、貫かれる初恋、三角関係…韓ドラ要素てんこ盛り(笑)

その上こんな女になぜそこまで尽くす???の性格良すぎる男が登場。なのに女はほだされないのよね、韓ドラは初恋が一番偉いから(笑)

ネットにあふれる創作物にはどうでもいいフツーの女が天文学的金持ちのイケメンに愛される話が多いのはなぜか、韓国在住のロマンス小説作家さんに伺ったところ゜皆さんご自分の願望を描いているのだろうと。のお答えが

自分の苦しい状況が魔法のように解決されるのに夢の国の王子様という話にどうしてなるのか

現実主義の私にはわかりません。

なので、マリア様の奇跡に対しての村人の感想も種明かしも超現実的です。村人はそんな馬鹿な男がいるんだろうと。マックスはとんでもない噂に本当のことを言わざるえません。

二親亡くして小さい畑を耕して幼い兄弟たちと食べていく‥・まずありえません。男手のある家でも娘を売ったりするのにですよ。食えなくなったら娘を売るのは当時よくあることだったと思います。

シャルルの言う「君がこの店に来たことで家族がパンを得たなら恥じることはない」というのはそういう女たちに対する彼の本音でしょう。

アルト・ハイデルベルグという戯曲があります、宝塚で戦前から好まれた題材です。勘三郎はこの舞台で共演した大竹しのぶに本気で恋してしまったのは有名な話です。芝居の最期学生時代に通った宿屋に行き変わらぬケティの愛くるしさに嬉しくなる皇太子。しかし互いに許婚者がいていずれ結婚するだろう。皇太子として小さな公国であっても責任があり、愛するケティとは今生の別れになる。ラストのセリフはCMで流れていた「私が愛したのは君だけだ」という有名なセリフです。

シャルルは愛を優先しようとして母を苦しめた父のようにはならないと思っていたので父に言われるまま女を買い、恋する娘をあきらめた。彼の胸の内の切なさが分別となっている。ジャンヌは上客という以上に生まれた子供まで引き受けてくれた彼に親しみを覚え、世間の現実を知っていく。

ジャンヌが子供の靴を買ったときの幸せそうな様子も、子供の死に打ちのめされるのも女の喜びや悲しみであり、それはどの世界にも共通することだと思います

ラスト、ジャンヌがセーヌに身を投げた後、マックスなら救おうとするでしょう

アルマンはある程度ジャンヌの絶望と過酷な運命を出会ったときに戻したいというロマンティックな気持ちから殉じたと思い書きました。

ロマンティックではない愛は相手の命を愛することだと思うので死して結ばれるという発想は、本当の愛ではないでしょう

そしてキリスト教国ならではの概念一夫一婦制や自殺者は罪人という考えから罪人となってもかまわないと感じるくらいの過酷な現実ですよね

マックスは二人に何があっても生きていてほしかったんだと思いますが、二人ともマックスのこと最初から無視してるもんね

なんか変なとこあったら突っ込みお願いいたします