ボランティア当日。
予想最高気温33度という最高にいい天気のこの日、仙台駅のコインロッカーに貴重品や着替えなどの荷物を預け、服装はボランティアモードでJRのローカル線・仙石線に乗車したのは8時過ぎ。
仙台付近の通勤路線としては大動脈らしいこの路線も、ドアはボタンを押さないと開かないという(苦笑)
仙台から10分ほどの「小鶴新田」駅で降りると、改札にボランティアセンターまでの道順が書いてあります。
途中のセブンイレブンでおにぎりを買って、ボランティアセンターとなっている宮城野体育館へ。
中に入ると「ボランティア希望の方はこちら」などわかりやすく書いてあるのでさほど迷うこともなく、「登録票」に名前や住所、緊急連絡先を記載し、登録の列に並びます。
ここのセンターはボランティア経験がある人とこの日初めて来た人で列が分かれていました。
保険加入の有無などを確認された上で、整然と並んだパイプ椅子に詰めて座る。9時を少し過ぎるとオリエンテーションが始まって注意事項を伝えられる。
「被災地での写真撮影は禁止です。必ず守ってください。
何度言っても守ってくれない方がいるんですが…」
どうやら観光気分で写真を撮りまくった心無い人がたくさんいたようだ。
自分も多少は記録として撮っておこうかと思ったけど、たしかにそれどころではないな、という雰囲気が伝わってきました。
そして、どうやってボランティアのマッチングをするのか、と思ったら、
「仙台市○○の個人宅で泥の書き出し作業、男性7名、女性1名、ご協力頂ける方!」
「仙台市○○の避難所で清掃作業、全部で6名、ご協力頂ける方いますか!」
「写真の洗浄作業、経験ある方お願いします。7名、ご協力頂ける方!」
こんな感じで次々と案件がコールされ、手を上げた人から決まっていく感じ。
最終的にどれくらいの案件があるのかわからないなかで、どれに手をあげようか悩んでいたのだけど、自分としては避難所などでなく、個人の家で交流しながら作業したいと思っていたので、沿岸部ではないものの市内の独居老人のお宅での家具移動などのお仕事に手を上げました。
この案件にマッチングされたのは僕と、関西から来た男性1名、埼玉から来たご夫婦?1組、愛知から来た女性1名の計5人。
簡単に自己紹介して、このセンターでのボランティア経験がある関西人の男性がこの日の「リーダー」に。
リーダーは赤いビブスをつけて、僕らは胸元のシールとガムテープを腕に巻いてボランティアであることを示す。
現場まではセンターのスタッフがワゴン車で運んでくれました。
ちなみに仙台市のセンターでは長靴やスコップ、ヘルメット、軍手までも貸してくださるみたいで、わざわざ持って行かなくても大丈夫でした(結局、長靴は帰りに寄付してきました)。
車で15分ほどのところの現場。
海からだいぶ離れているにも関わらず床下浸水するくらいまでの津波が訪れたそうな。一人暮らしらしきおばあちゃんの家で、畳を剥がしたり、2階にある家具を解体してえらい急な階段で下ろしたり、といった肉体労働を数時間。
きちんと1時間おきくらいに休憩を取って、14時半までには作業完了。
おばあちゃんは話を聞いてくれただけでもうれしそうな感じで、最後は本当に感謝してくださったのがありがたかったです。自分は大したことしてないのになぁ、と。
ここでも、排水口の高圧洗浄をしていた水道局の方や通りがかった人に「ボランティアさんですか、ありがとうございます!」と挨拶いただいて、なんか恥ずかしかったです。
こんなことで喜んでもらえるなら、もっと2-3日、いられればよかったなぁ…と。
作業終了後、センターの人の厚意で津波被害が甚大だったエリアに連れていっていただきました。
写真撮影は禁止なのですが、1枚だけ許可をいただいて、携帯で撮ったのがこちら。
空はこんなにきれいなのに、まだガレキは山のようです。
今、津波が来たらもう命はないんだろうな、なんてことを思う余裕もなく、ただただ目の前の景色に圧倒されてしまいました。
地震から3ヶ月以上経っているのに、まだこんな状況なのか、と。
ここから立ち直るってことは本当に簡単なことじゃないのだな、と改めて感じました。
今回ボランティアに来たのは、これを自分の目で見て、知るためだったんだと思います。
まだまだ長い道のり。暑い夏ですが、機会を見つけてもう1度行きたいです。