木村さんはJd'へ参戦後はエースとしての重圧により
精彩を欠く試合が続きました
メンタル面でも苦しむ事に…結論は引退を表明

引退予定の9月までは納得の出来る引退ロードを全うすると決めました

1997年に入って僕は…
プロレス観の違いで他の常連ファンとの溝が出来てしまい
シビアに見る僕はやがて孤立していまいます
その頃、飛鳥さんはフリー参戦という立場ながら、Jd'のぬるい状況に渇を入れる為に、今までのクラッシュ時代の栄光や絶対ベビーフェイスをかなぐり捨てで、悪役に転身しました。
今思えば、木村さんがジャングルジャック時代の様に反則攻撃を織り混ぜて好き放題暴れまくった方が木村さんの本領が発揮出来た気がしましたが
木村さんは団体を守らなくてはいけない立場でしたので、残念ながら出来なかったんですね
僕は飛鳥さんなりの思いに少し共鳴してしまったのが正直な気持ちでした

僕は仕事なら仕方がないと思いますが、自分が好きで木村さんの応援に行ってるのに
楽しみたいのに
なんでこんなに精神的に苦しまなくてはいけないのって葛藤してしまいます
1997年4月20日
後楽園ホール
Jd'旗揚げ一周年記念大会
僕は前売りチケットを購入してたにも関わらず
この日からJd'の会場へ行くのを止めてしまいました

この事に関して…
今回、木村さんは僕の事をそっとしてくれました

(もしかしたら、実は木村さん
もう一つ大きな決断をしました(申し訳ないですが、その件はこのブログでは申し上げられませんので勘弁願いますm(__)m)その事で僕が木村さんの事を嫌になったと思われた可能性がありますが…そうならば、全くの誤解ですよ
)しばらくは男子の団体を観戦に行きました

(それはそれで、また気の合う仲間が出来ましたし
)僕がJd'へ行ってなかった6月のクラブチッタ川崎大会でとんでもないアクシデントが発生

試合中に木村さんが左上腕部複雑骨折の重傷を負ってしまいました


当然、長期欠場を余儀無くされ
引退試合は木村さんの回復を待って延期される事に
15年経った今、こんな事になるなら
人間関係を我慢しても
僕が挫折しないで木村さんを見守ってあげれば良かったとかなり後悔してます
ある日
ジャガーさんファンの男性から電話が

僕を何とかJd'の会場に戻したくて
9月7日後楽園大会最前列のチケットを用意してくれたとの事でした
せっかく僕の為に無償でチケットを用意してくれた気持ちに応える為に

半年ぶりにJd'の会場へ行きました

その日は木村さんも来場してて、ファンサービスに努めてました

僕は久々に木村さんと対面

木村さんは久々に僕の顔を突然見た時はさすがにびっくりしてましたが



何事もなかったかの様に普通に僕に接して話をしてくれました

それから木村さんは後楽園大会は毎回顔を出すようになり(引退試合のメドは立ってない現状でしたが
)僕も後楽園大会のみまた行く様になりました

相変わらず常連ファンとの亀裂は変わりませんでしたが


僕がJd'の会場に戻ってきた事をスタッフ2名(男性のIさんと女性のZさん)は心から喜んで歓迎してくれました

勿論、木村さんに会える事が一番嬉しかったですが、試合は例え木村さん欠場でも
第1試合からメインエベントまではしっかり目を離さずに見てました
結局、木村さんの復帰は難しく引退試合を断念する事になってしまい

引退セレモニーは
翌年1998年
1月11日
後楽園ホールで行われる事が決定しました

その9へ続く…

今回の写メは
僕が久々にJd'後楽園大会へ来場した際に木村さんがパンフレットに書いてくれました

