受け止めて「立つ」ということの意味 | あふれる思い  大ちゃーん! kikkiのブログ

あふれる思い  大ちゃーん! kikkiのブログ

高橋大輔選手を応援しています。
大ちゃんのスケートの感動をファンの皆様と共有したくて、ブログに挑戦しました。

2013全日本のショートとフリーの演技が始まる時、

大ちゃんは、

不安を胸一杯に湛えて、それでも自分を支えて、必死でリンクに立っていたように見えた。



私はこんな時、大ちゃんの不安と緊張にシンクロする。勝手にシンクロするのだ

そして、端の方の新米の1ファンの私が、こんなにビビって震えていてどうするんだ、

本人はこの百倍ぐらいの緊張と不安なのに、と自分を叱咤激励しながら見る。


全日本は会場にいたから、一人ではなかったけれど、

NHK杯は、どうやって、身体と心の震えを収めたらいいのか、じたばたした。




強さと弱さ、ファンは高橋大輔のそんなところにも惹かれる、と全日本でも紹介された。


高橋大輔は、はたして本人が言うように弱いのだろうか?

私は、いつも、そのことが心に引っかかっている。


確かに、駆けよって支えてあげたくなるような引力を持っている。

オリンピックで金メダルを狙うようなずば抜けた選手に対して、

私が応援しなくっちゃ、と思わせるもの、

はらはらしながら祈らずにおれなくなるものが、大ちゃんにはある。

それは、何なのか、一生懸命な気持ちが素のまま表現されるから?

あれこれ考えても、

なかなかつかめないまま、大ちゃんに惹きつけられてきた。



「みらいのつくりかた」を見て、またそんなことを考えさせられた。

全日本の大ちゃんの状況で、不安を感じずにいられる人っているのだろうか。

試合当日になって、やっとむりやり調整した、と熊川氏との対談で大ちゃんは言ってた。

そんな状況で、強気で試合に臨める人がいるとすれば、

きっと、神経が太く、そのいくつかは省いてできているのではないか。


私は、むしろ、そんな足の状態で、あの状況を受けて立ち、

成功が見えにくい4回転にも向かい、

失敗しても、最後まで溢れる情念を燃やしつくすような演技をやってのけた、

そのことに意味がないはずがない、と思うのである。



演技が始まるまで、大ちゃんはどんなに苦しかっただろう。

逃げてしまいたいような状況だったと思う。

どんなにつらい状況でも、立ちづらい状況でも、受け止めて立つ。

そのことが強さでないのなら、強さって何のためのものだろう。



無神経と強さとは、違うと思う。

無神経は、時に勝利に繋がったとしても、

人を心底から感動させることはできないのではないか。

少なくとも、私は感動できない。



自分が前に進んでいくのを邪魔する神経を一時的に断ち切る瞬間、

それが集中するということかな。

オリンピックの空気を自分が掴む集中力、空気を支配するオーラを掴む集中力、

その集中力をオリンピックの自分の出場の場にピタッと合わせることができた時、

金メダルがやってくるんだな、とテレビを見ながら思った。





と、心に浮かんでは消えて行く思いを、ちょっと綴ってみたけれど、まとまっていません。

あぁ、そうか、と本当に分かるのは、先のことのようです。

大ちゃんが心からやった!と思えるソチでの集大成を願いながら、

昨年の大ちゃんのカレンダーを額縁に入れて飾ったりしながら、

そんなことを考えている、2014年のお正月、2日目です。

さぁ、午後は、自分の仕事をします。