3月11日になりました。

あの日から8年経過しました。

 

直接の大きな物的被害の少なかった東京にいても、あの日を境に世の中の価値観がガラッと変わったのは間違いなく、僕の人生で起きたことの中でいちばんの衝撃だったのに、それでも年々日々の生活の中では振り返ることが減ってきました。

 

開き直るわけではなく、きっと人間は怖かったり辛い記憶を忘れるように出来ていて、二度とやって来ないことならば、きっと忘れられた方が幸せなことだってたくさんある筈なのですが、残念ながら日本に住む限り地震は必ずまたやって来ます。

 

昨日観ていたNHKのど自慢の気仙沼大会で、被災された方が「風化させちゃいけない」ということを仰っていて改めてその通りだとも思いましたし、かたや気仙沼といえば、津波で陸地まで乗り上げた第18共徳丸が、震災の記憶を風化させないようにといっとき保存が検討されていたけれど80%の市民による反対で結局解体されたのも、それはそれで住民の皆さんのお気持ちを想像すると納得。(※追記:そんな折、宮城県気仙沼向洋高校が「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」としてオープンしましたね。)

 

忘れちゃいけないことと、忘れてしまいたいこと。

どちらかだけでも生きていけないんだなぁ。

なんて難しいバランスの中で我々は生きているんだろう。

 

話は「のど自慢」に戻ります。そんな中、ボランティアで日本に来たのがきっかけで気仙沼に定住されたニューヨーク出身の方が歌うカタコトの「北国の春」がステキでした。

 

未だ避難されている51,778人の方々に一刻も早く平穏な"北国の春"が訪れますように。僕自身も微力ながら何が出来るか考えてみます。

 

僕の周りでは「U.S.A」の歌詞を書かれてる作詞家のShungo.さん、震災後に気仙沼に自ら引っ越されて(!)ずっと支援をされていたし、西日本豪雨の時も、茨城の水害の時も即座にボランディアに行っていたし、さながら作詞家界のスーパーボランティア尾畠さん。

 

他にもリトルナップコーヒーの濱田さんも、BRAHMANのTOSHI-LOWさんも、毎年311の日に東北でイベントをされているし、キャンドルジュンさんに至っては、毎月11日に未だに東北でイベントをされていたり……ただただ頭が下がる想いです。

 

 

 

にしても、地震の多い国だから、耐震強度を上げる為に仕方ない部分があるのは百も承知なのですが、それ以上に2020年の東京オリンピックに伴う建築ラッシュで趣のある昭和中期の建物がどんどん壊されて新しくなっていく平成最後の年。

 

家の近くにあった古い建物も、生い茂ってた大木と共に完全に無くなってしまって、ちょっぴり寂しいです。