何か一つに絞らなくてもいい。全てやってもいいじゃないか。最近、色々なことに興味を持って、視野を広げていきたいという気持ちが溢れている。というのも、お金に対する向き合い方が、最近なぜか突然変化してきたのだ。今までも別にお金が嫌いなわけではなかった。ただ興味が持てないというのが本心だったのだ。けれど、この国、いや世界の構造を知れば知るほど、興味云々ではなく、知らないと損していることが多すぎる。「正直者は馬鹿を見る」「知らぬが仏」。自分以外の世界が幻想であると考えればそれで話は終わりだし、世界中の人が自分と同じ気持ちや考え方で生きているはずだという思い込みが盲目にさせているかもしれない。特定の人に搾取されるような世界がなくなること。それが僕の願いではあるが、生きている間にそうなるかはわからない。そうであれば、勤め人として働くことだけが安心であり、無難であり、正解であるという呪縛から解放されて、自由な発想で生きていこうと思う。それでは今日の問いかけです。
1.あなたは思いを外に出す時、無意識にフィルターにかけて補正していませんか?
2.あなたは自分の思いを形する前の段階で、あきらめてしまっていることがありますか?
3.あなたが自分のありのままの思いを外に出すことをためらう原因は何ですか?
色々と興味を持った先で、気づくこと。それは、お金が欲しいというわけではなく、もっと自分の中から溢れ出る物を形にしてみたいという思いでした。ずっと哲学のような重いテーマでブログを書いていたので、気づきませんでしたが、自分はもっと肩の力を抜いた、ふざけた投稿も好きなんだと気づけたんです。ふらっと立ち寄った公園の遊具でどんなトレーニングができるか?「そんな記事誰も読まないよ」と言われそうですが、僕はかつてそんな記事を探して夜な夜なネットサーフィンしてたんです。例えば、公共の体育館のトレーニング室の器具について書いてくれているサイトを見つけて感動してました。たくさんのニーズがあるわけではないのはわかっているんです。けれど、そんな自分のユニークなアイディアを自分の中で持っているだけじゃもったいなって思ったんです。
絵を描いたり、写真を撮ったり、曲を作ったり。トレーニングの体験、介護士としての20年の経験。これまで、そんなのAIが簡単に作ってくれるし、周りにもっとスゴイ人がいるしと思ってました。だから「わざわざ自分がやらなくても」とか「そんなの無駄」と思ってました。無意識に「お金にならないから」とジャッジしていたのです。お金に興味がないと言いながら、お金にならない趣味として扱っていたのです。けれど、僕がかつて読み漁っていたサイトの記事は、そんな「これ誰が読むの?」って言うくらいニッチな記事だったのです。
そして、もっと大きな気づきがありました。それは「お金にならないから」という理由を盾に、趣味を外に晒すことを避けていたのです。それは良く言えば「自分のユニークなアジは自分が一番知っているから、誰かにわかってもらう必要なんてない」と言うことができますが、正直に言えば、自分の価値を否定されることを恐れていたのです。若い頃、自分が作った曲を楽器店のオーディションに応募してみようと思いました。けれど、他の参加者さんのクオリティの高さに、自分を卑下して諦めました。夢や自分自身を否定されたり拒絶されることを恐れるあまり、自分の殻にこもってしまったのです。
周りから「あなたがやってることは普通じゃないよ!何か表現してみたらいいよ!」と前向きな意見をもらっても「いえいえ自分なんて」と謙遜していました。けれど、その内情は否定されることを恐れていたのです。つまり、人に嫌われること。拒絶されることを恐れていたのです。それはなぜか?僕はセールスをしてくる人が嫌いです。それは親がよく「自分が売りたくない物を売らなきゃいけないノルマがあって辛い」と毎日のように言っていたのを聞かされていたからです。親のその言葉には、拒絶される苦しみのエネルギーに包まれていました。だから「セールスは悪いこと!」という思いが染み付いているのだと思います。けれど、物は売らなくてくても、考え方一つとってもセールスだと言えるなら、僕は「自分が望まないものは勧めないけれど、自分が本当に好きなものであれば、すでに勧めていた」ということに気づいたのです。
ブログを書くことを通して、すでに自分の思いや意見を述べることができていることに気づいたんです。不思議と「嫌われること」「拒絶されること」への不安はないのです。それはきっと「否定されたところで、自分の根っこの部分だからどうしようもない」という開き直りもあるのだと思います。だから、合う人には合うし、合わない人には全く合わないのだと思うんです。自ら外の世界を複雑していたことに気づけたことで、現実世界でも、開き直って生きられるようになったのです。僕にとって思考を滞らせず、循環させること。それが大切だったんです。