もし、お金になる行動以外すべて無駄だと言われたら、あなたはどう思うか?タイパを始めとした、お金や時間を基準にした価値はアクセルとしては良い役割を果たすかもしれない。だったら家事はどうか?確かにお金は生み出さない。では、職場のデスク周りの整理整頓はどうか?これはさすがに効率に影響するから関係ないとは言えないだろう。SNSを見続けてしまうこと程、時間の無駄なことはないだろう。では、ついつい見てしまう子どもやペットの動画はどうだろう?公園で桜が咲いていたら、ぼんやりと眺めることだってあるだろう。もちろんお金にはならない。それじゃ、温泉はどうだろう?日本人は温泉が好きだ。むしろお金を払ってでも行くだろう。それらはブレーキなのだろうか?皆無意識にわかっている。「お金にならない行動の中にこそ、本当の自分が眠っている」と。それでは今日の問いかけです。
1.あなたの中で、意識してやっていることと、気づけばやっていることは何ですか?
2.あなたが無理なくできることが、たとえ前向きなことでなくても、しっかり受け入れていますか?
3.あなたにとっての心地よさと、世間の常識を無意識に天秤にかけてしまっていませんか?
ある程度生きていると、日々トライアンドエラーを繰り返して生きているはずです。時には不甲斐ない自分に嫌気が刺し、自己啓発本を読んで変えようとするも、結局習慣化しないなんてこともあるのではないでしょうか?ただ、全てのことが続かなかったわけではなかったでしょうし、確実に変化しているはずなんです。そしてそれは、「お金になるか」とか「社会性があるか」などの基準には従わず、素直に身体が反応していることがわかると思います。例えば、「早起きはいい」とか「食事は3食食べることが大切」と言われても、自分がなんとなく違うなと感じたら、無意識に反発したり、受け入れていないはずなんです。この感覚って不思議だと思いませんか?現代のエビデンスを求めるようになった世の中で、周りには整合性がある最もらしいことを話すのに、自分自身は小さな反抗を続けている。
そうであれば、習慣化できたことと、できなかったことの違いは何でしょうか?それは極論「あなたにとって必要なものか、そうでないか」なのかもしれません。習慣化できたことは、まるで前世でも取り組んでいたのではないかと感じる程「思い出す」といった感覚に近い親しみを感じます。逆に習慣化できなかったことは、まるで他人になろうとするような感覚になり、自己否定につながります。それはドラゴンクエストで、戦士に魔法を使わせようとしたり、魔法使いに魔法を使わず物理攻撃を行わせたりさせるようなものです。もし、SNSの動画をダラダラと見続けてしまうのであれば、あなたは情報からひらめきを導き出すのが得意な人かもしれません。食が細い人からすれば、たくさん食べられる人が、うらやましいものです。たくさん食べられること自体が才能だと思いますが、その食事への愛は、他者に食事の魅力を届ける才能に長けているといえます。夜にネットサーフィンを続けて、気づいたら朝になっていたなんて人。そんな人は夜勤が向いています。ぜひ介護業界へ(笑)
目的は何であれ、パソコンで何時間も情報を追い続けることができるのも才能です。僕なら、落ち着いて座っていられませんから。
何かを変えようとする時って、無意識に「今の自分がダメだから変えたい」といった否定から入ってしまうことって多いと思うんです。例えば「太っているからダイエットをしなきゃ!」とか。けれど、その前に今の自分の良い部分をたくさん見つけた方がいいと思います。これは、変わる努力を怠っていいということではありません。けれど、自分の否定から取り組みを始めると、結局ナニモノかになろうとしてしまうんです。他人の真似をしても結局は自分のものにしていなければ、どこかで無理がかかります。だって、本当の自分はそんなことしたくないんですもん。
命に関わることであれば、冷静に考える必要がありますが、ナニモノかになってあなたを隠す世界線から、自分をある意味甘やかし、それを認めてくれる世界線に飛んでしまうのもアリです。もちろん、ずっと自分を甘やかしていては人間として成長もできませんから、それは考え物です。しかし、あえてこんなことを言うのは、あまりにたくさんの人が自分自身を見ずに、ナニモノかになろうと必死になっているように見えるからです。だから、両方を知った上で「無理をして頑張るわけではないけれど、心地よい刺激がある」そんな環境を見つけていけばいいのではないでしょうか?