人間として生まれた時点で「ない」から始まっている。どういうことか?人間は馬のように早く走れない。熊のような強大な筋力もない。鳥のように空も飛べない。魚のように永遠に水の中を泳げない。けれど「知恵」がある。これによって何世代もかけて進化することを待たずして人間は急激に発達できた。つまり人間として生まれた時点で、できないことに真っ向勝負するのではなく「できないからどうするのか?」を考えることが前提な生物であるということ。その「工夫」こそが、人間の強みであり本質ではないか?それでは今日の問いかけです。
1. あなたは「できないから」「苦手だから」とあきらめていることはありませんか?
2.あなたは日々のちょっとした違和感から自分の声に耳を傾ける時間を持てていますか?
3.あなたはショッキングな出来事が起きた時、周りのせいにしませんでしかた?その出来事が後々あなたを生まれ変わらせたことに気付けていますか?
僕はADHDの要素があるからなのか、うっかり忘れ物をします。某有名アニメの主婦が、買い物に行くのに財布を忘れるなんて話がありましたが、昔はよくそんなこともやってました。今も職場に弁当を忘れて行ったりします。家を出る前に「行ってきます」「ただいま」を何度も繰り返すので、妻に「アンタ何回忘れものするのさ!」とドヤされます。けれど、この物を忘れたり、あるはずの場所に物がない時、ただイライラしたり焦るのではなく、「今何かに気付くタイミングなのかな?」と思うようにしています。そうするとあら不思議、ひらめきが降りてきたりするのです。それはその「もの忘れ」と直接関係のあることではありません。けれど、「そうだ!今日は温泉に行こう!」とか突然思いついて、温泉に行くとまた新たな発見や出会いがあるから不思議です。
逆にそれを無視すると、ひどい目にあうことが多いです。その時、ついつい相手のせいにしたくなりますが、実は原因は過去に自分が作り出していたことに気づきます。どういうこと?相手が原因だ!って思うのか、そもそもその前に何度もストップをかけられるような違和感を感じていたのに、無視して突き進んだ結果だと思うのかということです。僕は酒を飲みすぎて肝臓や膵臓の負担を日々恐れていました。そして、コロナにかかってはいけないと怯えながら介護現場で働き、休みたいと感じていました。そこでコロナに感染し、最初は誰かのせいにしたかったけれど、求めていた「休み」と「断酒」を二つとも叶えることができていることに気づいたのです。そして今回もケアマネ職を解かれ、現場に戻ることになりましたが、どこかでプレーヤーに戻りたい。定時出勤しんどい。などの思いを抱えていたことに気づけました。
「そんなの後付けじゃん!」と言われそうですが、それでいいのだと思います。周りのせいにし続ける行為は自分を守っているようで、実は傷つけていることに気づいていますか?だって、犯人扱いされている相手の人生では、無意識だったり、良かれと思っての行動かもしれないのです。そうであれば、相手にとって災難になるのは、あなたが声を上げた時でしょう。その時初めて相手は衝撃を受けます。相手が「せっかくやってあげたのに!」と思おうが「余計なことしてごめんね」と思おうが、それは相手の世界の話。それなのに相手の反応を待って「わかればいいんだよ!」なんてコントロールしようとするから、場合によっては互いにエゴをぶつけ合ってこじれるのです。
大切なのは良いことも悪いこととされることも、必要だから起きているということ。周りのせいにして生き続ければ、自分自身に「こうなってしまったのは、すべて私のせい」と言い聞かせているようなものです。SNSやAIはあなたが何を求めているのかをわかって寄り添ってきます。そうなると見たくない物を遠ざけて、自分に都合の良い情報だけを探してしまいます。ネガティブなニュースなどの気分が悪くなる情報を垂れ流すよりはマシです。けれど、それはよく言えば、一週間休肝日にした後のお酒がものすごくおいしいようなもの。悪く言えば、休日明けの月曜日が憂鬱なようなもの。都合の悪いことから目を背け続けることによって、どうしても気づく必要があるタイミングでは衝撃的な出来事が起きます。
そうならないためには喜び、悲しみ、苦しみ、楽しみ。それらに意識を向けて少しでも違和感を感じたなら、それを「気のせいだろう」と流さないことです。人生の波は株価に似ています。今は良くてもいつか悪いことが起きるかもしれない。けれど、その悪いことさえも長い目で見ればよい未来へのきっかけでしかない。だから、流れが止められているのに見過ごしてはいけません。その気づきが思いもしない未来に繋がっていくかもしれないのですから。