田舎と自然、月と星、かけらとテツガクのあいだ

田舎と自然、月と星、かけらとテツガクのあいだ

自然が大好きで田舎へ移住♪◎趣味のワークアウトを行うため、田園風景を眺めながら田舎とジムの往復が日課◎人生のテーマは「思い立ったら行動!!」

 人間として生まれた時点で「ない」から始まっている。どういうことか?人間は馬のように早く走れない。熊のような強大な筋力もない。鳥のように空も飛べない。魚のように永遠に水の中を泳げない。けれど「知恵」がある。これによって何世代もかけて進化することを待たずして人間は急激に発達できた。つまり人間として生まれた時点で、できないことに真っ向勝負するのではなく「できないからどうするのか?」を考えることが前提な生物であるということ。その「工夫」こそが、人間の強みであり本質ではないか?それでは今日の問いかけです。

1. あなたは「できないから」「苦手だから」とあきらめていることはありませんか?

2.あなたは日々のちょっとした違和感から自分の声に耳を傾ける時間を持てていますか?

3.あなたはショッキングな出来事が起きた時、周りのせいにしませんでしかた?その出来事が後々あなたを生まれ変わらせたことに気付けていますか?

 僕はADHDの要素があるからなのか、うっかり忘れ物をします。某有名アニメの主婦が、買い物に行くのに財布を忘れるなんて話がありましたが、昔はよくそんなこともやってました。今も職場に弁当を忘れて行ったりします。家を出る前に「行ってきます」「ただいま」を何度も繰り返すので、妻に「アンタ何回忘れものするのさ!」とドヤされます。けれど、この物を忘れたり、あるはずの場所に物がない時、ただイライラしたり焦るのではなく、「今何かに気付くタイミングなのかな?」と思うようにしています。そうするとあら不思議、ひらめきが降りてきたりするのです。それはその「もの忘れ」と直接関係のあることではありません。けれど、「そうだ!今日は温泉に行こう!」とか突然思いついて、温泉に行くとまた新たな発見や出会いがあるから不思議です。
 逆にそれを無視すると、ひどい目にあうことが多いです。その時、ついつい相手のせいにしたくなりますが、実は原因は過去に自分が作り出していたことに気づきます。どういうこと?相手が原因だ!って思うのか、そもそもその前に何度もストップをかけられるような違和感を感じていたのに、無視して突き進んだ結果だと思うのかということです。僕は酒を飲みすぎて肝臓や膵臓の負担を日々恐れていました。そして、コロナにかかってはいけないと怯えながら介護現場で働き、休みたいと感じていました。そこでコロナに感染し、最初は誰かのせいにしたかったけれど、求めていた「休み」と「断酒」を二つとも叶えることができていることに気づいたのです。そして今回もケアマネ職を解かれ、現場に戻ることになりましたが、どこかでプレーヤーに戻りたい。定時出勤しんどい。などの思いを抱えていたことに気づけました。
 「そんなの後付けじゃん!」と言われそうですが、それでいいのだと思います。周りのせいにし続ける行為は自分を守っているようで、実は傷つけていることに気づいていますか?だって、犯人扱いされている相手の人生では、無意識だったり、良かれと思っての行動かもしれないのです。そうであれば、相手にとって災難になるのは、あなたが声を上げた時でしょう。その時初めて相手は衝撃を受けます。相手が「せっかくやってあげたのに!」と思おうが「余計なことしてごめんね」と思おうが、それは相手の世界の話。それなのに相手の反応を待って「わかればいいんだよ!」なんてコントロールしようとするから、場合によっては互いにエゴをぶつけ合ってこじれるのです。
 大切なのは良いことも悪いこととされることも、必要だから起きているということ。周りのせいにして生き続ければ、自分自身に「こうなってしまったのは、すべて私のせい」と言い聞かせているようなものです。SNSやAIはあなたが何を求めているのかをわかって寄り添ってきます。そうなると見たくない物を遠ざけて、自分に都合の良い情報だけを探してしまいます。ネガティブなニュースなどの気分が悪くなる情報を垂れ流すよりはマシです。けれど、それはよく言えば、一週間休肝日にした後のお酒がものすごくおいしいようなもの。悪く言えば、休日明けの月曜日が憂鬱なようなもの。都合の悪いことから目を背け続けることによって、どうしても気づく必要があるタイミングでは衝撃的な出来事が起きます。
 そうならないためには喜び、悲しみ、苦しみ、楽しみ。それらに意識を向けて少しでも違和感を感じたなら、それを「気のせいだろう」と流さないことです。人生の波は株価に似ています。今は良くてもいつか悪いことが起きるかもしれない。けれど、その悪いことさえも長い目で見ればよい未来へのきっかけでしかない。だから、流れが止められているのに見過ごしてはいけません。その気づきが思いもしない未来に繋がっていくかもしれないのですから。
 もう少し頑張ろう。まずは一人でやらなきゃ。そう説得して走り続けた。けれど「もう少し」は永遠だった。だからもう無理はしない。今日も「完璧にできなかった」ではなく、「今日も無事やりきった」そうつぶやく。誰からも期待されていないことがわかれば、自分から頑張ろうとすることをやめた。そうすると毎日が気楽になった。一人でいることは嫌いじゃないし必要だ。けれど改めて、自分のためだけにはそんなに頑張れない自分に気づく。誰かと一緒に何かを取り組み、貢献することでエネルギーを生み出していたんだ。それでは今日の問いかけです。

1.あなたは普段の生活で、自分の役割に気づくことがありますか?

2.あなたが役割だと感じていることは、無理なく出来ることですか?

3.あなたは引き受けたくないことまで無理して引き受けている自覚がありますか?

 職場の飲み会に参加していくつか感じることがありました。お酒をやめてから飲み会の楽しみは、人間観察や人の話を聞く場に変わりました。飲みの席では、お酒が入っていることもあり、普段聞き役の人も話すことが増えます。これだけ書いてもいかに、普段周りの人が気を遣って話しかけてくれていることと、自分の話ばかりして、相手に話しかけていないことがわかります。昔はお酒の力を借りて話していましたが、それも自分の話ばかりしてたのでしょう。
 自分が話したいこともすぐに忘れてしまう僕は、「話したい」という気持ちを優先して、相手の「今その話をしたいか?」が後回しになってしまいます。そんなことをしているうちに次の話題になっていて、僕が前の話に戻してしまうものだから、いつも煙たがれてました。シラフで人の話を聞くと、実は皆好き勝手なことを言っているだけで、聞き手は適当に相槌を打っているだけなのです。ここで、正論なんて求められていない。「言いたい人のターン」なんです。もともと僕は今のない会話に興味がないので、お酒をやめた頃、飲み会が一度嫌いになりました。
 けれど、周りが酔っているからこそ真っ直ぐな、その人なりの哲学や名言が聞けることがわかり、それから飲み会がまた好きになりました。そしてそれぞれのグループの中で、話続ける人。相槌を打ち続ける人。質問を振って会話を回す人。そして、僕と同じようにそこにいるけれど、少し心の距離を置いている人。そんな関係性を俯瞰して見ているのも楽しいです。実は世の中って「お金を稼ぐ」というシステムがなければ、もともとパズルのピースを組み合わせて皆生きているのかもしれません。ここに「お金」を絡ませるから表面上優劣が生まれます。話をする人はその影響力でお金を稼ぎ、相槌を打つ人は、その共感力でお金を稼ぎ、会話を回す人は人々をまとめることでお金を稼ぐ。では、俯瞰して話の外にいる僕のような人間はどうやって価値を提供できるのかな?そう考えることもあります。
 あなたは、自分に対して「生きるのが下手」だなと感じることがありますか?この生きるのが下手というのは「お金を稼ぐことが前提の社会」でということであり、あなたや僕が劣っているということではないのです。飲み会で「あなたって、おっちょこちょいだよね」と言われました。とても懐かしい響きでした。ケアマネをするまで僕は「おっちょこちょいな人」で済まされていたのです。それが今の環境では仇となっただけ。それも個性と受け入れてもらえる場所で生きる。これは逃げではありません。
 かつて恐竜の時代が隕石の衝突によって終わり、それまで弱者とされていた哺乳類が活躍し始めました。そんなふうにゲームチェンジはいつ起こるかわかりません。これは起こるかどうかが大切だと言いたいわけではありません。「お金」が大事なことは分かった上で「お金」に全振りしてしまっては、180度世界が変わった時に指針を見失いますよ。ということを伝えたいんです。お金があればやってみたいこと。お金がもらえなくてもやってしまうこと。それはあなたが何のために生きるのか?というあなたの生きる指針であり、お金に振り回される物ではないのです。
 あなたは自分をどれだけ大切にできていますか?ここで一つ僕の例えを出すと「いい人」「優しい人」ずっと僕は褒め言葉だと思っていました。もし、あなたも同じように思うなら、それって本当に褒められていると思いますか?僕はそれに気づくまでかなりの時間がかかりました。無理を言ってくる周りが悪い?確かにそれもあります。けれどあなたは「これ以上は嫌です!」とはっきり線引きをしてきましたか?嫌われたくないとか、冷たいと思われたくないという理由で、全てを受け入れようとした。それが、ぞんざいに扱われてしまうきっかけを作っていたのです。正直に伝えて離れていく人は、たとえ伝えられなくても、あなた自身から離れたいと思っているのはずです。どっちにしても離れていくんです。だから、あなただけ我慢する必要なんてないんですよ。
 
 何か一つに絞らなくてもいい。全てやってもいいじゃないか。最近、色々なことに興味を持って、視野を広げていきたいという気持ちが溢れている。というのも、お金に対する向き合い方が、最近なぜか突然変化してきたのだ。今までも別にお金が嫌いなわけではなかった。ただ興味が持てないというのが本心だったのだ。けれど、この国、いや世界の構造を知れば知るほど、興味云々ではなく、知らないと損していることが多すぎる。「正直者は馬鹿を見る」「知らぬが仏」。自分以外の世界が幻想であると考えればそれで話は終わりだし、世界中の人が自分と同じ気持ちや考え方で生きているはずだという思い込みが盲目にさせているかもしれない。特定の人に搾取されるような世界がなくなること。それが僕の願いではあるが、生きている間にそうなるかはわからない。そうであれば、勤め人として働くことだけが安心であり、無難であり、正解であるという呪縛から解放されて、自由な発想で生きていこうと思う。それでは今日の問いかけです。

1.あなたは思いを外に出す時、無意識にフィルターにかけて補正していませんか?

2.あなたは自分の思いを形する前の段階で、あきらめてしまっていることがありますか?

3.あなたが自分のありのままの思いを外に出すことをためらう原因は何ですか?

 色々と興味を持った先で、気づくこと。それは、お金が欲しいというわけではなく、もっと自分の中から溢れ出る物を形にしてみたいという思いでした。ずっと哲学のような重いテーマでブログを書いていたので、気づきませんでしたが、自分はもっと肩の力を抜いた、ふざけた投稿も好きなんだと気づけたんです。ふらっと立ち寄った公園の遊具でどんなトレーニングができるか?「そんな記事誰も読まないよ」と言われそうですが、僕はかつてそんな記事を探して夜な夜なネットサーフィンしてたんです。例えば、公共の体育館のトレーニング室の器具について書いてくれているサイトを見つけて感動してました。たくさんのニーズがあるわけではないのはわかっているんです。けれど、そんな自分のユニークなアイディアを自分の中で持っているだけじゃもったいなって思ったんです。
 絵を描いたり、写真を撮ったり、曲を作ったり。トレーニングの体験、介護士としての20年の経験。これまで、そんなのAIが簡単に作ってくれるし、周りにもっとスゴイ人がいるしと思ってました。だから「わざわざ自分がやらなくても」とか「そんなの無駄」と思ってました。無意識に「お金にならないから」とジャッジしていたのです。お金に興味がないと言いながら、お金にならない趣味として扱っていたのです。けれど、僕がかつて読み漁っていたサイトの記事は、そんな「これ誰が読むの?」って言うくらいニッチな記事だったのです。
 そして、もっと大きな気づきがありました。それは「お金にならないから」という理由を盾に、趣味を外に晒すことを避けていたのです。それは良く言えば「自分のユニークなアジは自分が一番知っているから、誰かにわかってもらう必要なんてない」と言うことができますが、正直に言えば、自分の価値を否定されることを恐れていたのです。若い頃、自分が作った曲を楽器店のオーディションに応募してみようと思いました。けれど、他の参加者さんのクオリティの高さに、自分を卑下して諦めました。夢や自分自身を否定されたり拒絶されることを恐れるあまり、自分の殻にこもってしまったのです。
 周りから「あなたがやってることは普通じゃないよ!何か表現してみたらいいよ!」と前向きな意見をもらっても「いえいえ自分なんて」と謙遜していました。けれど、その内情は否定されることを恐れていたのです。つまり、人に嫌われること。拒絶されることを恐れていたのです。それはなぜか?僕はセールスをしてくる人が嫌いです。それは親がよく「自分が売りたくない物を売らなきゃいけないノルマがあって辛い」と毎日のように言っていたのを聞かされていたからです。親のその言葉には、拒絶される苦しみのエネルギーに包まれていました。だから「セールスは悪いこと!」という思いが染み付いているのだと思います。けれど、物は売らなくてくても、考え方一つとってもセールスだと言えるなら、僕は「自分が望まないものは勧めないけれど、自分が本当に好きなものであれば、すでに勧めていた」ということに気づいたのです。
 ブログを書くことを通して、すでに自分の思いや意見を述べることができていることに気づいたんです。不思議と「嫌われること」「拒絶されること」への不安はないのです。それはきっと「否定されたところで、自分の根っこの部分だからどうしようもない」という開き直りもあるのだと思います。だから、合う人には合うし、合わない人には全く合わないのだと思うんです。自ら外の世界を複雑していたことに気づけたことで、現実世界でも、開き直って生きられるようになったのです。僕にとって思考を滞らせず、循環させること。それが大切だったんです。