俺は白帯だ
当然と言えば当然だが
俺の他にも白帯がいる
基本的には上級者とやるのであまり技をやり取りする機会は無いが
一緒に混ざったりしてやる事もある
今日は2人来ていた
持たれた時の印象としては
弱い
である
身体的な基礎鍛錬がなされていない事が感じられる
崩しと呼べるものもない
崩しと言う概念を知らないのかもしれない
さりとて
どこをどうすればと云うような事は言わない
黙って受けて、自分の稽古をした
持たれた手首を返して下に落とす
尺骨を軸にして濤骨(とうこつ)を回すようにするとすんなり返せる
胴体力の本に載っていたやり方だ
重心を下に落とすのは基本動作の意識
崩したらそのまま導いて、四方投げ
自らに力みが出ないよう
意識的に接触部の力を抜く事
相手の白帯は自分でもしっくり来ないものを感じているようであった
何か教えるべきなのか
とも思ったが
向こうもプライドが傷付くかもしれない
それに
どこが悪いから崩せない
と云う明確な理由もその時はわからなかった
家に帰って独り静かに思考を巡らせる
相手の崩しが不十分な理由は
間合い
であると思う
外見上の形は間違っていなくとも
間合いを調整する意識がないので崩しにならない
一番簡単なのは
相手の腕を伸ばしやすいように
対峙の間合いをやや離して取らせる
出来るだけ自分の体幹に近い所で相手に手首を取らせた方が良い
相手の腕をひもと捉えて、引っ張りやすいやり方と言う単純な理屈だが、効果は間違いない
即興でも多少は変わって来る筈だ
濤骨を回すのは初めて聞いた人が、いきなり出来るかどうかわからない
しかし
それ以上を求めるならば
どうしても基礎鍛錬、基本動作の習熟が必要であり
それは週2、3日に2時間程度の道場稽古だけではとても無理なのではないかと思う
しかし
面白いと思えば自然と独り稽古もするようになるだろう
道場の人達が強くなってくれれば、俺は嬉しい
強い人、上手い人と稽古をする事は、自らの上達に直結するからだ
さて
次も同じであった場合
俺は何か言うだろうか
何も言わずに黙って受けるだろう
何か知ってると思われてはたまらない
実際
知ってる事など殆ど無いのだ
俺はただ、自分の稽古に専念するだけで
人様にああだこうだと言えるようなものは無い
技だって色んなやり方があって、どれが正解かは要するに本人の適正に依るのだ
得意な動き
好みのイメージ
そういうのは個人差があるし、本人が気付いていない特性がある可能性もある
人に本当に何かを伝えるのなら
まずはそれを理解しなくてはならないと思う
そうでなければ
間違った事を教えてしまうかもしれない
例えば
脱力
これだって身体をただ弱く使うと言う意味ではない
気持ちは出さなくてはならない
気持ちに呼応して身体も当然力み出すが
その力みを意識的に阻害するのだ
その方便として
身体を道具のように
とか
遠くを見るように
とか
持たれた手首を忘れて
とか、様々な表現があるのだと思うのだが
知ったからと言ってすぐさま出来るかどうかは、日常的な身体意識次第であり
また
それを色んな技に応用させるとなると難しくなってくる
そこに合気系武道の難しさと面白さがある
少なくとも俺はそのような魅力を感じる
そう言った意味では
学問に近い
どれだけの事を暗記したか
それを競わされる義務教育のようなものを俺は学問とは呼ばない
俺の中で学問とは
好きな事を一生懸命やるような事柄の事だ
本当に好きな事なら損得抜きで、その本質を求めて考え、行動するようになる
自らに問い
生活の中に学ぶ
それを俺は学問と呼ぶ
さぁ
今この瞬間を大切に
清らかな心根を以って稽古に望みたいものだ
心を込めて
この身体とゆっくり対話するように
基本動作から、始めよう