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清静放下

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今日はテーマを決めておいた。



相手の身体の一部まで自分の身体の一部のようにイメージしながら行う。

と、云うものだ。

道場稽古では対人でなければ出来ない稽古をした方がいい。

当然、何を稽古すべきかを具体的に決めて意識してやらねばならない。

それで、内容としては勿論色々あるのだろうけど、そういうものを同時並列的に出来る熟練度ではないので

何か一つだけ

と、思ってテーマを決めた。

掴まれた手首には構わず

イメージと実際の動きの感覚を一致させるように。

相手にどの程度影響を与えるのかはわからない。

そんな事は相手にしかわからないのだから

自分で今日はこれをやろうと決めた事に

ただ、専念するだけでいいのだ。

と、思って行くのだが

まぁ、実際には段々と余計な思考が入り込んで来てしまう。

それも良し。

それはそれで勉強になるのだ。

一教の崩し方も

四方投げの投げ方も

前より少し、理解が深まった。

それはそれで良かった。

さぁ

また自分のテーマに戻ろう。



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家で練習しているな。

と、一目でわかった。

前に観た時よりも

明らかに動きが良くなっている。

足の捌き、身体の捌きが前より格段に鋭い。

明らかに、基礎に磨きがかかっている。

それが一目でわかる。

努力の後が垣間見えるようだ。

自己鍛錬、自主的な基礎稽古

一部の指導者や有段者の中には観ていて

この人はこの道場以外でも練習をやっている。

と、思う事はあったがそれ以外の道場生では特にそう思える程のものはなかった。

まさか俺以外に白帯でそれをやってる人がいるとは。

どうにも感心してしまった。

入り身投げは上げた腕を相手のどこにも引っ掛けずにただ回すだけだったりと、形だけの部分は確かにあるのだけれど

それは大した問題ではない。

修正すればいいだけの事だ。

重要な事は

誰に言われなくても自分から進んで練習をしていたと云う事実なのだ。

そういう人は上手くなる。

例え今はどうでも、良い師と環境に恵まれて、適切な教えを受けて素直に学びさえすれば

必ず上手くなる。

それを支える一番大切なもの

即ち、自主的な意欲が備わっているからである。

これが無ければどんな師についても駄目ではないかと思うのだが、それはともかく

白帯では初めて見た。

いるんだね。

こういう人が。

この意欲が続くなら

一年もしたらかなり上達しているだろう。

帰りに聞いたらやっぱりだった。

一回一回は少しずつでもいいから、一回習慣付いてしまえば。。。

なんて、言ってる。

全くその通り。

同じような事は誰でも言えますけど

実践しているからあなたは偉いです。

とは思ったが、黙って聞いていた。

例え小さくても、毎日コツコツとやっているのだろう。

動きの変化が全てを物語っていた。