備忘録2 | 清静放下

清静放下

ブログの説明を入力します。

今年からアメブロを初めて

様々なブログを拝見させて貰っている

色々と考えさせられる事も多い

例えば、壇蜜さんのもずくなブログを読んで



そんな大人の壇蜜さんを見たら

子供の壇蜜さんは何を思うだろう

等と考える

子供の頃には

想像だにしなかった未来が

ここにある

子供ながらに

壇蜜さんは正しかった

大人の方が正しい答えを出すとは限らない

ちっちゃな壇蜜さんは胸を張って良いだろう

おっきな胸の壇蜜さんのように

い、いや別にいやらしい意味ではありません

勝手にテンパる所が我ながらあやしいΣ(゚Д゚)ジバク


さて



俺はどうか?



そんな事を考える








また

東京のお坊さん

と、言う人のブログを見て

正確には幾つかの写真を見て

まず

これは強そうな人だ

と、思った

手に

武道をやり込んだかのような厚みがある

一体どんな修行をしたのか

七面山で検索してみると修行走と言う言葉があった

他にも色々あるのだろう

修験道

鍛錬によって心と身体を磨く道

鍛仏両道

と、言えるのかもしれない

それにしても

鍛仏両道ってあんま上手くないかもしれない(^^;)



そういえば

武道も稽古を通じて健全な心と身体を養う

と、ある

昔は単なる建前だと思っていた

武道はあくまで殺傷を目的として生まれたものだ

如何に人体を効率良く破壊するか

それを錬磨する心のどこに健全さがあるのか

無益な争いを好まぬのに空手なんかやっていた昔

いつもそんな矛盾を抱えていた

最近は様々に想う

この世界は無常也

武道も時代と共に変わって来た

十人十色

人の数だけ道はある

あっていいと想う

合気道を始めて幾つかの本を読み

心を打つ言葉にも触れた



最後は思いやり



とある空手家の本に載っていた

これは

深くて温かい言葉だ

そう思う

何故なら

そう思ったから




色々とそれらしい理由を書こうとした

例えば

常に命のやり取りを想定する、侍のような、本物の武道家の生活観念が、最後の最後まで大切にすべき事を見抜いた言葉なのだと考える

とか

闘争を真っ向から肯定する者の言葉だからである

とか


確かに、それは思った事があり、今もあながち間違いではないと考える

しかし

それは後付けなのだ

本当の理由は

全く以ってその通りだ

と、ただそう思ったからに過ぎない


きっとこういう事だ

これは求めて止まぬ答えの一つ

矛盾を開く鍵穴

武の道に、全き健やかさを宿す、可能性

抱えて来た矛盾に、清らかで、潔い何かを宿す、可能性

そして

これから先も

その意味を探っていくもの

そんな言葉が

ブログを書いていく内に生まれた

本当はもっと別の事を書くつもりだったのだけれど

忘れない内に残しておこう

これは

芽吹いたばかりで

まだ儚い

ここに来て良かった

多くの人に

学ばせて貰っている