さて、何から | 清静放下

清静放下

ブログの説明を入力します。

俺の好きな仏教に関する記念すべき、第一回目のブログと言う事で(*^_^*)

さて・・・

何を書きましょう(・・;)

まず

仏教に興味を持ったきっかけから

きっかけは、たまたまコンビニで立ち読みげふんげふん

コンビニで目にした手塚治虫さんの

ブッダ

でした( ゚д゚)

古代インドの過酷な環境

死が当たり前の凄まじさ

貧困

日照り

疫病

差別

飢えと渇き、病と死が当たり前の救い無き世界

そんな中で

そんなままに幸せになる方法が

ある

と、ある人はそう言うのです

その人は王子様でした

王宮に住み

父に愛され

大勢の召使いにかしずかれ

豪勢な料理に囲まれ

あの娘もこの娘も撰び放題

そんな規格外のリア充が

チートな環境を捨てて出家します

つまり

修行着となる布以外は、全ての地位と財産と家族を捨てて、一文無しの修行僧となるのです

一国の皇太子が家族と縁を切り、地位と財産を放棄して、1円の金も持たずに、死んでも文句を言えない苛烈な修行の道を歩む。

俺には、それだけで充分でした(^^)

調べてみるとそれは実際に起こった事であり

その人はこの歴史上に確かに存在した人でした。





異性

そんなものがなくても人は幸せになれる。

過酷な環境下にあっても

それはかわらない。

それは一体どのような方法によってか?

俺にとって仏教とは

具体的な方法によって行われるメソッドです。

サマタ、ヴィパッサナー。

アーナパーナ・サティ。

日本で言えば禅。

三学とは、ヴィパッサナーの事であると考えます。

地球と呼んでも

空と海と大地と呼んでも同じ事であるように

それは同じ事だと考えます。

互いを支え、助け合う、一つながりのものだと考えています。

まぁ

そんな話は誰も興味ないですから

俺は周りの人に仏教が好きとか言った事がありません。

大抵の人は宗教って聞くと警戒します(-_-;)アヤシイ

俺もそうですからよくわかります( ゚д゚ )アヤシイ

だって

サリンだのミイラだの、ニュースとかで物騒過ぎるコワい話しか聞いた事無いですから( ゚д゚ )コワ-

しかし少々調べてみると

カルトと宗教は真逆であると考えられます。

では

宗教とカルトはどこがどう違うのか?

一言で言えば心根。

動機の違いであると考えます。

動機の違いが行為の違いとなります。

それは

助けを求めた、とある家へ赴き、用事を済ませて帰る似たような服装の二人がいたとしますと。

一人は思いやりに満ちた善意のボランティアを

一人は弱みに付け込んだ強盗殺人を

その位の違いです。

ですが、世間はそんな事に興味がないので、ニュースで宗教と言われればああそうなんだと思います。

宗教ってそんなもんなんだと思って敬遠します。

それでいいと思います。

少なくとも、同じ位の軽さで素晴らしいものだと思われるよりは余程良いです。

平和な世の中ですし、飯が食えないなんて事もない恵まれた環境ですから

やはり

普通が一番(^-^)

そのように思います。

しかしもしも

もしも、ノイズが思考と神経を掻き乱すような闇の中で

普通が遥か遠くの灯火に見えるような

そんな人がもしいたら

先人の知恵を学んでみるのも選択肢の一つになると俺は思います(*´ω`*)

ゴータマ・シッダールタ

日本で言う所のお釈迦様と呼ばれる

人類史上稀に見る大天才であり

同時に類まれなる洞察力と適切な表現力を以って、個性に合った導きを行うこの偉大なる教師は

一体どのようにして自らの苦を克服したのか?

その方法論を説明されたのが仏教です。

理論によって標を知り、実践によって学んで行く。

徹底した現実主義。

それが、俺の認識する仏教です。

シッダールタさんは学者肌で理論を重んずる現実主義のようです。

教えにそれが表れています。

そのような人が生死を問わぬ修行の果てに

全ては条件の組み合わせによって生滅する事や、時間は止まらず全ては変化し続ける事や、世界は心の在り方次第であると言う事を説明してくれました。

え?

当たり前じゃないかって?

そう

当たり前の事で何も難しい事はありません。

専門用語を使うから難しく感じるだけなんですね。

案外世の中はシンプルなのかもしれません。

この先も仏教に関するブログを書くと思います。

仏弟子の話も好きなのでそういう話も書くでしょう。

古いものって好きなんです。

古代遺跡なんかロマンを感じます。

だから、先人の知恵に関する本も幾つか持っていて、こんな事が書かれていましたと、紹介する事もするでしょう。

それは俺の言葉でありながら、同時に俺の言葉ではないと言えます。

生き物は食べ物によって命を繋ぎます。

それは様々で精密な作用の統一体として、自力で生きていると同時に、やはりそれだけではどうしようもないものに、生かされている。

それと同じ事です。

俺の言葉は俺だけの力によっては生まれた訳ではありません。

ですから

いつか俺が調子こかぬよう、ここに書き残して置きましょう。








わたしはこのように聞きました。



仏教の始祖時代における修行者達の、この言葉がとても好きです(*´ヮ`*)