森孝慈さん死去。 | 太亮の独言毒言

太亮の独言毒言

絵本作家、イラストレーター、デザイナー、アート・ワークショップなどで
活動している木村太亮の公式ブログ。
まあ、単なる戯言だとお聞き流し下さい。連絡先は、deeworks3623☆gmail.com

元三菱重工サッカー部、元メキシコ五輪代表メンバー
元日本代表監督の森孝慈さんが亡くなった。


実はこの人、僕のイラストレーター人生のキッカケだった人なのだ。

僕の親は漫画家で絵本作家でイラストレーターで・・・・。
小さい頃から編集者や漫画家の卵や噺家さんやTV、ラジオのプロデューサーや
とにかく色んな人たちが我が家に来ていた。

で、僕は親父の切り残したケント紙と半端に使ったインクツボと
カブラペンのペン先を使って、似顔絵を描き始めた。
小学生の頃だったかな?

で、中学生になってサッカーを本格的に始め、
サッカー専門誌の似顔絵コーナーに投稿し始めたのであった。
そして最初に送った似顔絵が森孝慈さんであり、
その絵が掲載された。

掲載された雑誌の表紙は今はガンバの監督の西野さんが
浦和西の時代ではなかったかと記憶している。
(赤いユニであった)

当時、サッカー専門誌は「サッカーマガジン」と「イレブン」という二誌で、
僕は両方に送っていた。そしてほぼ毎月両方の雑誌に掲載されるようになった。

そして中2の時、イレブン編集部の編集長さんから電話があり、
「君はいくつだい?」と訪ねられた。
「中2です」と、答えると
「ちょっと、早いなあ、3年後にまた電話するね」
という会話があり、3年後本当に電話がかかって来て
「イレブン」に連載を持たされた。これがデヴューのきっかけだ。
つまり、まったく親の力を借りずに同じ世界で仕事を始めてしまった訳だ。
しかも高校生の分際で・・・。

ちなみに、親のコネっていうのを使った事がない。
(使えば良かったとは最近思うけど・・・アハハハ)

その編集部の隣が高校野球の本を作っていて、そっちの取材で甲子園行ったり、
記者証というのをお借りして、グラウンド巡りしたのもこの頃だ。
少年サッカーの取材で各地にも行かせていただいたり、
その頃出会った少年たちが、後にJリーガーになっていたり、
不思議な経験をたくさんさせてもらった。

今のこのサッカーの置かれた幸せな状況を見ると、
不遇なマイナースポーツであった時代を過ごして来た人間としては、
何だか涙が出ちゃう程感慨深い。

そう三菱のグラウンドが工事で使えなくって、今の横河のグラウンドで
三菱重工サッカー部が練習した事があった。
それはちょうど上記の編集長から電話もらった頃だ。
近所の僕らは練習を見に行き、さらにチョイと遊んでもらった。
その後で、森さんに似顔絵の話をしたら、見ていてくれたらしく
「この次はもう少し男前に描け!」
と言われた。それも笑いながらね。

そうかあ、あの森さんが亡くなってしまったかあ。
ソレホドの知合いじゃないんだけど、なんだかヘコむなあ。
せめて明日未明のなでしこの試合は見てもらいたかったなあ。

ともあれ、あの時の笑顔が目に浮かぶ。

合掌