もう一人のワークショッパーinネパール | 太亮の独言毒言

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絵本作家、イラストレーター、デザイナー、アート・ワークショップなどで
活動している木村太亮の公式ブログ。
まあ、単なる戯言だとお聞き流し下さい。連絡先は、deeworks3623☆gmail.com

昨日、久しぶりに兄貴分の金斗鉉氏と電話で話した。

金さんは、10歳も上の絵本作家、イラストレーターである。
知り合ったのは、もう30年前に遡る。
学校の先輩であり(中退の先輩でもあるが・・・)、
昔はサッカークラブチームでのチームメイトであり、
(当時、彼は「サッカーマガジン」に、ぼくは「イレブン」でイラストを描いていた)
僕の生まれて初めての就職に口をきいてくれた人であり、
今の僕のワークショップのメインアシスタントのカオルちゃんは
金さんの一番弟子でもある。

何より今のぼくのワークショップの基となるコンセプトを作ったのも彼である。
当時は、言わば漫才のコンビのようなもので、ネタを金さんが書き、
僕は主に相方のようなものだった訳だ。だから、僕は彼の「弟子」ではない。

ちなみにコンセプトの骨子は

「上手な絵でなく、良い絵を描こう」

というものである。

「描くという作業は、写す事ではなく、表現する事である」

写実的に描く作業は、カメラと同じ動きをする。(いやカメラを否定している訳ではない)
でも表現するという事は、目で見て、消化して、表現する。というように
自分の体を通過したものを描くことである。

(ちょっとむずかしいか?)

ウ~~ン、絵を描く事は「食べて、消化して、排泄する」と言い換えても良い。
だから表現されたものは、目に見えるそのものと見た目が違っていても間違いではない。
むしろ、よく消化されて無駄な部分が削ぎ落とされたものの方が、良い作品になる。
カッコイイ言葉で言えば、「心の目で描けば、良い絵が出来る」のである。

さて、前振りが長過ぎた。

その金さんがここ数年、取りかかっているのがネパールの山村(ナウリコット村)にある学校で
子どもたちに「この絵」を伝えるプロジェクトである。
ちなみにこのプロジェクト、ずいぶん前に「一緒に行かないか?」と誘われていたのであるが
諸々の事情があって断念していた話なのである。

そこの子たちは、「絵を描いた経験」がなかったそうな。
それだけに留まらず、音楽の授業も満足なものではなかったようである。

そこにイキナリこの手法を持ち込んだ訳である。
そして今年二回目には、絵の授業だけでなく、他にも賛同する方が出て来て
音楽の授業や、お茶の授業や、参加者皆それぞれの個性特性を生かした授業が行われた。
(参加者の中に、旧知の恩師の兄貴発見。ありゃりゃ、世の中狭い)

とまれ、その報告書というのを金さんから送ってもらったので、
特に金さんがファシリテートしたワークショップの画像を紹介しよう。
これらは、ナウリコット村の子どもたちの作品ではなく、
今回のプロジェクトの行程にあった女子師範学校の生徒たちの作品らしい。

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左側がレクチャー前の作品である。数分後、同じ人間がこんな作品を描く。

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これも同様である。
どんなレクチャーをするのか?簡単な事である。
金さんが一度やってみせるのである。

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たぶん、こんな絵は描いた本人が人生始まって初めての経験なのではあるまいか?
人をも感動もさせるが、たぶん本人が一番感動を覚えているに違いない。

もちろん、僕も金さん同様のワークショップもこなす。
が、現在の僕のワークショップは、少なからずイベント性も含んでいるので、
あらかじめ、突拍子もないカラーパターンをこちらで用意している。
また、時間の制限もあるので、時に若干強引なファシリテートもあったりする。
でも、根本的なものは金さんと行動していた時と何ら変わりはない。

大事なのは、最初から「答」を求めない事。
「人を感動させよう」「皆から認められよう」などという余計な事を考えない事。
むしろ、「自分を納得させ、自分を感動させられれば」
おのずとエネルギーは、作品に宿り、作品から発せられる。

昨日金さんと話していて、金さんは「子ども向けは苦手だ」と話していた。
(いや、傍から見ていれば、ちっと苦手だとは思わないが・・・)
むしろ「大人の人たちの考え方を変えて行きたい」と言っていた。
僕は「子ども向け」得意である。なので、金さんに
「じゃ、金さんは上から攻めて下さい。僕は下から埋め込んで行きます」
と答えた。
このワークショップの目的の一つは大人に多く巣食っている既成概念をぶっ壊す事と、
その既成概念がまだ完成していない子たちに「自由な表現」の種を植える事である。

このワークショップを受けたとして、「絵が上手になる事」は約束出来ない。
でも、「絵を描く事を怖がる」事はかなりの確率でなくなると思う。
一つの表現手段として、あるいはコミュニケーションツールとして
「絵を描く事」が受け止めてもらえれば大成功である。