僕がサッカ-を始めた頃、日本のサッカ-事情は、メキシコオリンピックの銅メダリストたちが、次々と引退し、または引退する直前の状況で、まあ、どちらかと言えば衰退というイメージが強かった。三菱対日立なんて試合を見に行って「杉山走れ~~~!」なんて声のかかる時代だったのだ。その杉山のマーキングをしていたのは、「スッポンの山口」なんてあだ名がついちゃった人であった。この山口さんは、その後、国分寺でお話をした事がある。
では、世界のサッカ-事情はというと、言わば一つの転機を向かえつつあった時代で、ブラジルでは、ペレに代表される一つの黄金期が、そのDNAを上手に次の世代に伝えた結果、リベリーノ、ジャイルジーニョ、レオンなどなど。
今、世界各国で指導者として活躍している光り輝く選手達が次々とデヴューしていた。また欧州に目を向けると、ドイツにはベッケンバウアーがネッツァがオベラートがミューラーがマイヤーが・・・。
また、オランダではクライフがニースケンスがルーツ・クロルが・・・。とにかく、素晴らしく新しい考え方を持った若い選手達が活躍し始めた時代だったのである。
この新しい考え方が、やがて、世界のサッカーの考え方になり、少なからず進歩を遂げ、そしてアジアの小国をして、ワールドカップでベスト4まで進出するのである。
でも、当時、僕達にとってワールドカップも世界のサッカー事情も遠い国の話で、夢見るものであったのは、間違いない事であったのだ。
さて、その時代のちょっと前の話だけれど、イングランドのマンチェスターユナイテッドに今のベッカム人気を越えてしまう程の人気者の選手が所属していたんだ。彼の名前はジョージ・ベスト。あだ名は、マンチェスターユナイテッドのユニフォ-ムの色も相まって「赤い悪魔」と呼ばれていた。彼は信じられない程の快速ドリブルと切れの良いシュートが持ち味だった。

当時、マンチェスターUの試合なんて、ダイヤモンドサッカ-位しか放映していなくて、しかも深夜枠だったから、それはそれはヒジョーに辛い思いして観戦していたものであった。試合を見た翌日は皆でジョージ・ベストの真似をした。そんな時代だったのだ。
ちなみにこのダイヤモンドサッカーには視聴者プレゼントがあり、実兄は「オールラウンドプレイヤー」という当時最高級品であったカンガルーカーフのスパイクをゲットするという幸運にも恵まれた(ただし、足のサイズ24.5cmの兄に26.5cmのスパイクが送付されて来たのは「幸運中の不幸」ではあったが・・・)
とにかく彼は僕らのスターだったのだ。
その彼が、数年前に肝臓移植手術を受け久々にマスコミの前に顔を出した。

でもまあ、根本的に破天荒の人であったので、「元気な肝臓になったから」と言ってお酒はやめなかったらしい。それも今考えると彼らしい話である。結句、肝臓だけでなく心臓にも負担がかかってしまったらしく、最後の死因は「心不全」だったそうだ。仕方がないと言えば仕方がないのだが、残念だ。
ちなみに彼の葬儀には50万人の人々が集まると予想されているらしく、すでにマンUの本拠地オールドトラフォードには、ファンが集まりはじめているらしい。
ヤンチャで乱暴者で問題児ではあったが、彼がいかに愛されていたかが分かる。
遠いここ日本からも愛すべき問題児に哀悼の意を表したい。 合掌