DNA鑑定パート2 |  仙台北陵クリニック事件・守大助さんは無実です!

栃木県の地元新聞から 


全国の再審請求事から~。


確定判決のDNA鑑定に初めて疑問を投げ掛けた足利事件


だが全国の再審請求で、DNA鑑定によって無罪が証明された


ケースは一例もない。ドクロ


1997年9月、札幌高裁「ショックで失神しそうだった」


晴山事件の再審請求に奔走していた笹森弁護士


確信が崩れた瞬間の思いが脳裏を離れない。


20年以上無罪を訴えていた死刑囚のDNA鑑定


結果は『クロ』だった。 *晴山事件の死刑囚は獄死。


事件は、1972年から北海道空知地方で発生した


連続女性暴行事件。


被害女性に残された体液と死刑囚のDNAが一致し


再審請求が棄却された。


現在足利事件の弁護団に加わる笹森弁護士は


「合理的な疑いが生じていたのに。


DNA鑑定に舞い上がっていたのかもしれない」と


苦い過去を振り返る。


また。


袴田事件では、事件から30年後再鑑定を


しようとしたが衣類が『鑑定不能」だった。


DNA鑑定の技術は日進月歩、


精度や個人鑑別能力が上がるにつれ、犯罪捜査での


重要性が高まる


『今は犯人が残した微物から、いろんなことが分かる


もしDNAがなかったらと思うと恐いくらいだ」


足で稼ぐ捜査を基本としてきた県警のベテラン刑事は


その威力に脱帽する。


足利事件での鑑識が行われた1991年までに実施された鑑定は


64件


全て再鑑定をして欲しいものです。


2008年は年間3万件を超えた。


2004年から警視庁が全国のDNA型を照会できる


べータの運用を始めている。


2005年12月に発生した今市女児殺害事件。


県警は最重要課題として位置つけている。


捜査は長期化している、だが捜査幹部は


「いつ急直下、犯人が捕まるかわからないよ」と


常に繰り返す。


女児の遺体からは犯人のものとみられる微量の


DNAが検出されタ、捜査員は、わずかな遺伝子の


手掛かりに望みをつなぎ、対象者からのDNAの採取を


続けている。


今度こそ、真犯人逮捕につなげて欲しい。


この記事を読んで、


現代のDNA鑑定だから、


真犯人を安易に作り上げられないのでは


昔の足で歩く捜査は現在はないから、物証の鑑定


自白の強要が横行するのだと


改めて感じます。


1991年までに行われた64件の鑑定も『再鑑定』するべきだと


又唯一の鑑定材料を適正に保管する法律を守ることを


望みたい。


つづく・・・メモ メモ


地元紙でしかわからない情報でした。