『大阪の海は~~♪ 悲しい色やね~♪サヨナラをみんな~ここに捨てに来るから~あ~~♪」って歌がある。 

 

 

テムズには、ミンナもっと色々なものを捨てにくる。生活用水をはじめ、チョコやポテトチップの紙袋、洋服に産業廃棄物と枚挙に暇が無い。 ビクトリア期には、テムズ周辺にバケツと茣蓙を持った人が沢山いたそうである。 彼らの仕事は「トイレ屋さん」である。英国紳士は彼にお金を払いバケツに用をたす。 その間、トイレ屋は茣蓙で彼の事を隠してやる。 排泄物はそのまま海へ投げ込むという商売があったそうである。 映画「追憶」では、恋人の出征中に娼婦をしていたヒロインは様々な良心の呵責に耐えかね、ラストで命を絶つのもこのテムズ川。 有名な切り裂きジャックの容疑者の一人とされていたモンタギュー・J・ドゥルイットという中学教師もテムズに身を投げた。自殺も多ければ、死体遺棄も多い。 マフィアが殺した相手を投げ込むからであろうか、失踪者の死体がよく発見される。 まさに「テムズ沈めたろか?」の世界なのである。 そのお陰で、お世辞にも綺麗とは言えないテムズ川、夏には悪臭もしてくる。

 

 

それでもテムズの夜景は美しい。 それはテムズそのものではなく建物の賜物である。詩人のWilliam WordsworthもWestminster Bridgeから建物群を見わたし「全知全能の景色」と評したも納得できる。 テムズ沿いで告白すると成功率20%増と僕の個人的な調査結果も出ている。 


 

そして、テムズはロンドンの発展に、戦後は復興に必要不可欠だった最大の功労者である。 内陸にある大都市ロンドンに物資を運搬する船が毎日往来するテムズ。 有名なロゼッタストーンもテムズで運ばれた。王家はバッキンガムパレスからウィンザー城まで船でテムズを下って行く。 そう考えると、テムズはみんなのゴミ箱であり、みんなの道であり、そして何よりロンドンの記憶そのものなのだ。
 

ロンドンの歴史を紐解けば、ローマのブリタニア支配時代に遡るというから紀元前からになる。 世界的に見ても長寿な都市である。 不謹慎なようだが、歴史を刻み、淀みながらも夜景を映し、たゆらぐ水面を眺めていると、老人のシワのように思える。 ロンドンという都市の記憶、悲しい記憶、嬉しい記憶、恐ろしい記憶、様々あったであろうが、テムズ川は文字通りそれらを水に流してきた。その結果、水は汚れてしまったのだ。それでもテムズは流れ続ける。 笑い皺も泣き皺もクシャクシャにして穏やかに微笑む老人のように・・。

 

 

 

Earth has not anything to show more fair;

 

Dull would he be of soul who could pass by

 

A sight so touching in its majesty:

 

This City now doth like a garment, wear

 

The beauty of the morning; silent, bare,

 

Ships, towers, domes, theatres, and temples lie

 

Open unto the fields, and to the sky:

 

All bright and gettering in the smokeless air.

 

Never did sun more beautifully steep

 

In his first splendour, valley, rock, or hill;

 

Ne'er saw I, never felt. a calm so deep!

 

The river glideth at his own sweet will:

 

Dear God! the very houses seem asleep;

 

And all that mighty heart is lying still!

 

William Wordsworth