なんだか、ムカついています。


別に、停電で不自由だとか、電車が殺人的に混んでいるとか、


放射能が怖いとか、野菜が高いとか、いつまでたっても余震がおさまらないとか、


そういった理由でムカついているわけではなく、


あの地震、津波、災害、自然そのもの、この無情さ、無念さ、不条理、


そういったものすべてにムカついています。


しょうがないじゃん、自然災害なんだから。と言われればそれまでですが、


なんというか、あらためて不条理さを噛みしめた、というか、


俺達、そんなに悪いことしました?


って、神様に伺いたい気持ち。


おまえ、やりすぎだろって罵りたい気持ち。


この不条理さ、無情さに、腹立ちます。


今の時代、理に適っていることとか、合理的であることとか、


正義を貫くことであるとか、不正に厳しいことであるとか、


割と、誠実に生きていればいいことがあるよという風潮になっていて、


不条理を許さない状況にあったと思うんです。


今まで一所懸命に作ってきたものを、急に割り込んできて、全部ひっくり返して、


はい、最初からやり直しっていう、不条理さです。


今まで合理性とか、約束とかいう、計画されて整理された社会に住んでいる人間に


とっては、むちゃくちゃ腹が立つんですが、


自然を相手にすると、やはりこういうことが起こるんだなと、あらためて気付かされました。


人間はずっと、この繰り返しを生きてきたんでした。


それが、歴史でした。


でも、それでも、また作っていくんです。


また、地道に組みなおしていくんです。


今までが、そうだったように。


これからも、そうしていくんです。


ましてやここは、日が昇る国です。


東の果てから、大地を照らす国なのです。


すべてさらわれて残るのは、やはり希望しかないのです。

ものすごい久しぶりの更新です。


更新していない間、あまりにも大きな変化がありました。


まだ、自分でも落ちつけていません。


地震の前に引っ越しをして、新しい環境に身を置いた途端に、


あの地震が起こりました。


ここで、あの日のこと、あの出来事をなぞるように書きません。


私は実際に被災しているわけではありませんし、


ヌクヌクと暖かい、安全で快適な場所にいます。


しかし、正直に言うと、目の前に広がっているのは、不安です。


これからどうなってしまうのか、不安を抱えている人は多いと思います。


それは、すごく正直な気持ちだと思います。


前向きに、元気を出そうという気概は大切ですが、


口をあけて待ち構えている不安、恐れが在る、ということを、「自覚する」ことは


なによりも大切だと思うのです。


なにも、地震があったからというわけではないのですが、


いつでも、不安や恐れは、在ります。


これは、人間に付いて回るものです。


それを踏まえて、乗り越えて、それをも飲み込んで、共に行くのが、


強さであると思うのです。



もう一度言いますが、私は被災者ではありません。


偉そうに講釈を垂れる身分ではありません。


しかし、非常に不謹慎ですが、ここまでやられて、黙っていられません。


地震に揺さぶられ、津波にすべてをさらわれて、指をくわえて黙っているわけにはいきません。


日本人を、なめるなよ。


めちゃくちゃにされても、まだ、立ち上がるチカラは残っているぞ。


敗戦も、空襲も、原爆からも立ち上がり、見事な復興を遂げた先人たちのDNAが、


我々にも受け継がれている。


やってやるぜ。


いい加減、やられっぱなしはもう飽きた。


跳ね返してやる。


反撃は、これからだ。


ほら、希望が見えてきた。




東北地方太平洋沖地震により被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。



二回続けて、私のこと表すことを書いてみました。


なんにも構えず、準備せず、浮かんだことを素直に書く、という行為です。


どうしても狙ったり、考えたりしがちです。


浮かんだことを素直に書く、ということは結構難しいもんです。


自分を素直に出すことも難しいですもんね。


怖いっす。


自分のことを書きなさいって言われたって、なかなか書けないですよ。


ちょっと違いますけど、就職活動で、私はこんな人間ですって言いますけど、


自分を売り込むのに、根暗だの友達いないだのは言えないですもんね。


ところが、「カレーライス」について書きなさい、ということについては


書けますよね。


自分は、カレーライスについてどう思っているのか、どんなカレーが好きなのか、


いくらでも書けそうです。


それつまり、自分自身のことを書いているわけですね。


カレーライスというフィルターを通して、自分を写しているわけです。


このほうが、やりやすいわけですな。


また、フィルターをいっこ通しているおかげで、新たな一面とか、思いがけない


ひらめきが出てきたりするわけですな。


これ、カレーライスじゃなく、「フィクション」に置き換えると、


小説が書けるようになるわけですな。


フィクションというフィルターを通して、自分を書くわけですな。


嘘を作って、本当をあぶりだすわけですな。


まあ、まどろっこしいやり方ですけど、人間らしいっちゃ、らしいです。