こんばんは!
ライフコーチのカナです黄色い花


本日は息子の作品展に
行ってきましたキラキラ




ジャ~ンデレデレびっくりマーク






何だかは特に分かりませんが
(分からへんのかい。笑)
一生懸命に頑張って作ったんだなと思うと、
とても愛おしい気持になりました照れ



息子は特に
「真ん中がオムレツみたいに
なっちゃって、、、」
と言ったので、
終始私にはもう「オムレツ」
にしか見えませんでした笑い泣き



帰りはシャボン玉を買わされて、
気分良く家族3人でお家に帰りましたとさ家



では、本日の記事です飛び出すハート


「心より行動」





まず初めに、
↓こちらの記事ををお読み下さいませ。
(ワタナベ薫さんのブログを
引用させていただきました)


 




この記事の中にある、
薫さんの読者様のご質問を拝見した際
私は、今年の10月に他界した
祖父の事を思い出しました。


祖父は享年103歳と
大往生の人生でしたが、
確か95歳を超えた頃からだったかな?


少しずつ少しずつ身体の衰えが
顕著になってきたのです。


年齢の割には最後の最後まで
自分の力で頑張ってくれた祖父でしたし、
とても苦労の多い人生を歩みながらも
ひ孫である息子にまで
愛と時間とお金を全力で
費やしてくれた、、、
私にとっては親以上に
感謝をしている存在でした。


しかし
介護というのは一筋縄ではいかず・・・
最初は、簡単な歩行の介助から始まり
着替え・トイレ介助・排泄物の処理
呼び鈴がなったときの対応
(昼夜関わらず)など、
多岐にわたるものでした。


こんなにも感謝の気持があって
こんなにも大好きな祖父であっても、
私にとっては知らず知らずに
重い負担になっていたのでした。



当時は平日フルタイム
幼い子どもの子育て
家の家事をした後に
金曜日夜〜日曜日のお昼までは
片道2時間かけて実家に帰り、
また片道2時間かけて自宅に戻る。


日曜日の15時頃
自分の自宅に帰ってからは、
週末に暴れ散らかした部屋の片付け、
夜ご飯、そしてまた新しい一週間が始まる・・・。
そんな日々を過ごしておりました。



時には2週間に一回の時もありましたし、 
3連休の時は少し早めに帰宅したり。
1泊2日だけにしたりと様々でしたが、
祖父のために・・・
そして両親を助けるためにと
頻繁に帰っていたのでした。



何度も何度も祖父は、
「すまんな」
「ありがとう」
と言ってくれます。
そして、必ず
これは私に、これはひ孫に、、、と
決して安くはないお小遣いをくれました。


しかし、
夜の介護時には酷いときなら30分毎に
呼び鈴が鳴り
通常でも1時間30分毎には
鳴っていた記憶があるほどあせる



ほぼ毎回トイレ介助で起こされるのですが、
祖父は施設に入る日では
ポータブルトイレで排泄をおりましたので
介助にも時間がかかりました。


皮膚も薄く
脚もすぐに躓きそうなくらいの歩幅であるため
ベッドから起こし、トイレに座らせ、
またベッドに寝かす。
この一連の流れで最低20分はかかるのですガーン



起こされてから布団にはいるまでは
30分かかるのなんてザラ。
なのに、やっと終わったと寝床に入って
再度寝入る直前・・・
また3呼び鈴がなる。


そして同じことの繰り返しの末に
トイレででる量といえば
盃1杯ほどの量。


時にはここが痒いだの
時には眠れないだの
時には・・・
CDが切れただの。。。


睡眠を邪魔されている私としては
イライラもしますわ。そりゃぁ。


そして、
少しイライラしながら介助をするもんならば
祖父は言います。
「お爺ちゃんの気持ちなんか分からんからや」
「もういいわ!そんな偉そうな態度とって!」
「この家はお爺ちゃんが建てたんや」
と言われる始末。


そんな夜を2日過ごすだけで、
身体も心も疲れるのでありました。



そして、私は自分の自宅に帰ると
自宅での家事が残っています。


子どもに寂しい思いをさせていないかと
心配になったり、
夫に負担をかけていないかと
恐る恐る聞いてみたり、、、
帰宅後二人が散らかした部屋をみては、
何故私がこんなことしないといけないのか?
夫がやってくれたらいいのに・・・
と家族にも八つ当たりをしてしまったり。



そんな日々が繰り返され
実家に居る時は心が休んだことはなく
祖父に苛つきを覚えたり
私が手伝ってくれるのを
両親が期待していることに対して
腹立たしさを覚えたり、、、。



挙句の果てには、
お小遣いをもらっても、
私は夜勤を2日もして、
更に実家のご飯も作ってあげて、
家政婦さんのお仕事だとしたら
この金額は安すぎるわ!と思ったり。。。
(口にはしておりませんがあせる



そんな気持ちが
正直なところ生まれることもありました真顔




感謝と大好きなきもちがあるのに・・・ですよ。




でも、心の奥底では分かっていたんです。
私の気持ちが歪んでいることをショボーン
こんな気持ちを
高齢の祖父ににブツけている
私の未熟さを赤ちゃん泣き



受け入れて介護をしたらいいだけなのに
日によっては受け入れられなかったり
何度も何度も呼び出す祖父の気持ちが
全てワガママに感じてしまったり。


介護は一筋縄ではいかない
ということを、
この期間をかけて
心底痛感したのでありました。



「孫なんだから、
そんなの親に任せておけばいいやん」


と一般的には思われるかもしれませんし、
実際に当時の会社の人事の方は
「24時間介護をしてくれる施設だって
沢山あるし」と、
まるで施設に入れろと言わんばかりの
言葉を言われたときもありました。



それでも、
私にとっては親以上に私のことを育ててくれた
祖父だったから・・・。


親以上に私のことを
愛してくれた祖父だったから。


祖父の希望を叶えてあげたいと
そして、せめてもの祖父孝行にと
身体は勝手に動いてしまうのでありました。



それなのに・・・



「あぁまた週末かぁ。
ま介護のために帰らないといけないのか」
と思うことも日増しに増えるのでした。



最後の3ヶ月は施設に入所したこともあり、
少しだけ顔を見に行って
お話をして帰るという簡単な時間でしたが



施設に入るまでの間は
私は祖父に、
充分な孝行を出来たのかどうかは
正直分かりません。



祖父が他界後、
寂しい気持ちも
どこかホッとした気持ちも
あったのは正直なところです。



不謹慎なと思われるかもしれませんし、
103歳と言えば
「可愛らしいお爺ちゃん」
とイメージされるかもしれません。


しかし私の祖父は、
最後まで頭がしっかりした
昭和の、、、
いや大正時代の家長というような人
だったこともあり
(そうならずしか居られなかったの
かもしれないと思います)
私的には、どこかで祖父に
縛られて生きてきたような部分もあったのも
正直なところです。



こうして、
お通夜や告別式
初七日が終わり
自宅に帰ってきては
通常の日々に戻り
もうすぐ四十九日を迎えようとしています。



そんな時に、
ワタナベ薫さんのブログの読者様の
質問内容を拝見しては
祖父と過ごした介護の時間を
思い出せずにはいられませんでした。



このブログの中にあった
「心より行動したことが全て」
という文章。



この一文を拝見して
私の心は救われた気がします。



本当に色々な心の葛藤と
身体への影響もあった自宅介護の期間。
いつから始まったことなのか
もはやもう記憶には無いくらい。



しかし
祖父が他界した今。



介護の大変だった時期のことよりも
祖父の優しさや笑顔
ごつごつした分厚い手
そして、何よりも
いつも私のことを愛してくれた記憶
しか残っておりません。



祖父が人生をかけて教えてくれたことを
私は引き継ぎ
そして、息子や周囲の方に
少しでも還元できるような人間に
なることで
祖父が喜んでくれる・・・と。



祖父が戦争を生き抜き
命を繋いでくれたこと
103歳まで生き続けてくれた
ことが報われるのかもな・・・と。



あくまでも
「私自身が」思うのです
(勝手にね。笑)



今日は物凄くダラダラと書いてしまいましたが、



「心より行動したことに意味がある」



この言葉を聞いて、
思い出したことをツラツラと書いてみました。




みなさんは、
「心より行動したことに意味がある」
と聞いて何か思い浮かべることはありますか?





ということで、
本日はここまでです。




本日も最後までお読みいただき
ありがとうございましたニコニコ




それでは、また明日黄色い花