準備編③
2025年 6月〜7月
(旅行の4ヶ月前)
『玉川温泉がん闘病日記』を熟読

私は玉川温泉の関連本や関連動画をいくつか見て玉川温泉への思いがより強くなりました。
特に30歳の若いがん患者さん(上咽頭がんステージ4肺転移の方)が実際に湯治をされた体験本(著者は2000年に30歳で罹患され2001年〜2003年まで21回の玉川湯治をされた)は感銘を受けました。
著者の湯治療法への熱い気持ち、感情の変化、玉川温泉になぜこだわるか?にも共感できて「私も早く行きたいな。それまでは仕事がんばっておこう!」
と前向きな気持ちになり日々を過ごせました。
この本を読んだのは旅行に行く4ヶ月も前なんですけどね。
本の内容や感想は以下に書いています。
がん闘病中に湯治をされたい方、再発予防の湯治をされたい方、玉川温泉に興味がおありの方はぜひご覧くださいませ。
【感想】玉川温泉に命を賭けて3年半湯治に通ったある30代男性の記録
作者(以下とむさん)は30歳の2000年に上咽頭がんの告知を受けてから玉川温泉の存在を知り湯治の旅に行く。以降は仕事、治療を続けながら単発的に玉川温泉に通う。
そして2001年に肺転移となられ抗がん剤による標準治療を続けていったが2002年まで転移巣は縮小せず。
そこでとむさんは西洋医学の標準治療で完治はできないことを受け入れ自らの意思で標準治療を終わりにする。
それ以降は会社を休職し約1年半に渡り玉川温泉に通い湯治による完治を目指す。
2000年から2003年までにトータル21回150日に及ぶ湯治を決行。
2003年5月に定期検査を受けていた病院で転移巣の肺にがん性リンパ管症を併発、余命3ヶ月を伝えられる。それでもとむさんは不屈の精神で玉川温泉に通い湯治を続けて余命宣告期間を半年過ぎても命を保った。
本の内容は玉川温泉における源泉浴、岩盤浴に入った時の日記、がん治療目的で玉川温泉にやってきた湯治仲間との触れ合いが軸になっている。
とむさんはがん告知後、がん患者が励まし合えるホームページを開設されていた
この本はとむさんが余命3ヶ月を宣告されて半年が経過した2003年12月に発行となっていたがご本人が立ち上げたがん患者の集うホームページによると奥様から2004年4月(余命宣告期間から1年超えた時期)にとむさんが旅立たれたことを報告されていた。
なお、そのホームページは2013年まで奥様が管理人として運営されていたようだが2013年の更新を最後に奥様からの発信、閲覧者からのコメントはなくホームページは以降10年以上閉鎖状態のようだ。
とむさんの開設したがん患者ホームページは彼が積極的に玉川湯治していた2002年2003年当時、1日1000アクセスあり、とむさんの影響を受けて玉川温泉湯治を始めた閲覧者やオフ会メンバーは多数いたという。
がんを治すんだというとむさんの強い気持が彼を玉川湯治に向かわせた。
私もがんというとてつもなく大きくてこわい病を患ったのでとむさんの当時の気持ちは理解できるつもりだ。
30歳の若さ、妻子がいる中で湯治客は年輩者がほとんどの玉川温泉へ本気で完治させる信念をもち命を賭けて通ったとむさん、そして玉川行きをあたたかく見守り家庭を守っていた奥様に心から敬意を表したい。
とむさんが駆け抜けた3年間の湯治生活にはたくさんのがん友の存在があった
とむさんは2人の子どもに恵まれて仕事も持ちながらよき夫、よきパパをされていた。そんな周りが見れば順風満帆な人生に見えたであろうとむさんが30過ぎてから多くの年輩者が湯治に来るといわれる玉川温泉に通うことになるなんて人生は分からない。でもとむさんは年上の湯治客ともすぐに仲良くなり同年代の仲間も多かった。
「ここにくれば地位や名誉や年齢も関係ない。釣りバカ日誌のすーさんと浜ちゃんの関係みたいなもの」とさっぱりした性格。
とむさんは明るく社交的な方だったのだろう。玉川温泉で湯治を続けるうちにたくさんの仲間を作り一緒に源泉浴や岩盤浴をされ語り合い病とも闘った。
あまりの社交性に嫉妬した読者も多いだろうが私はこう解釈した。
とむさんにとっての今というのは家族と玉川温泉しかない。私たちのように仕事をして一緒に汗を流した同僚と飲みに行くことも週末に家族や友人と遊びに行くことも趣味を満喫することもできない。
だからこそ玉川温泉での仲間との触れ合いは30ちょっとの彼にとっては仮想職場であり仮想飲み友達だったんじゃないか?と。
読み終えて
この本は日記調なので時系列に書かれておりとても読みやすい。
そして玉川温泉に対する敬意や生きることへの感謝の念が伝わってくる。
とむさんのがん治療経過としては医療的には途中から無治療。この無治療選択の背景にあるのは2000年代初期の抗がん剤による吐き気のコントロールが大変だったであろうことが推察できる。本編にも「抗がん剤の吐き気がつらくて何度も嘔吐した」記述があったが抗がん剤が今より強烈な炎症反応+吐き気どめの薬が不十分な時代だったのではないか?
標準治療を抜けたとむさんだったがご本人は「玉川温泉ならがんが絶対に治せる」とまでは思っていないことが作中で語られている。
あくまでとむさんの湯治は「源泉浴と岩盤浴による自己免疫を強くしてその力と強い精神力でがん細胞を叩く」という戦略だ。
そのため読者に玉川湯治を押し付けたり洗脳させるような話はいっさいされてない。
また、とむさんのようにストイック湯治をする(源泉浴に3時間浸かり続ける・オールナイトで屋外岩盤浴をする)というのはご自身の独断であり医学的な根拠はないため真似するのはよくないと思う。
現在の玉川温泉のホームページを開けば屋外岩盤浴は夜間できないルールになっているしとむさんの時代には存在した自炊部大部屋(男女混合で15人位泊まれる。たくさんの仲間と輪になってワイワイ語らいながら湯治生活ができる安価な宿泊部屋)も今は閉鎖され少人数部屋のみに抑えられている。入浴についても現在は看護師が常駐しており疾患ごとの湯治方法をアドバイスしている。
時代が20年も違うので比較する意味もないし玉川温泉への思い入れは千差万別十人十色でよいと私は思う。
玉川温泉のすぐ近くにある新玉川温泉は現代的な設備があり「観光・レジャー」として利用する人たちもたくさんいる。
そもそも玉川温泉は「がん患者専用」の場所ではない。
皮膚疾患、呼吸器疾患、関節症、リウマチからうつ病などメンタルの病を持った人たちも治療と癒しを求めて来る場所だから源泉風呂や岩盤浴が『がん患者のためだけの神聖なる場所』という見方はするべきじゃないだろう。
玉川温泉の歴史をみてもこの地を開拓した人は皮膚病の治癒を目的に湯治場として栄えさせたいという思いがあったと記されている。
様々な人と人をつなぐ玉川温泉
湯治客は色んな人生を歩みそしてこれからも生き続けるんだという信念を持って玉川湯治にやってくる。とむさんの熱い思いは玉川温泉への絶えない湯治客により現在に引き継がれている。
玉川温泉の魅力に惹かれステージ4の上咽頭がん肺転移の標準治療を捨てて湯治療法に自らの命を託したとむさんは玉川温泉の「伝説の男」として20年以上が過ぎた今でも玉川の空の上から湯治客をやさしい眼差しで見守ってくださっていることだろう。
終
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