【ささやかながらマイルストーンクリア】

先月の9月21日で私が2ndTURBTにより膀胱内の肉眼で分かる腫瘍を切除してから丸500日が経過した。

約1年4ヶ月。この間、様々なBCG副作用や術後合併症による尿管狭窄での腎機能低下などあれこれあったが膀胱がんのほうは8月の検査まで無再発を続けられている。


今は普通に仕事をして排尿痛も出ていないが去年1年は人生初といえる経験をいくつもした。


【生き続けられていることに感謝】

がんは個人差がかなりあって一概にマニュアル通りとはならない。


私の腫瘍は単発とはいえ大きさ5cm、手術前の膀胱鏡では膀胱内の半分以上のスペースに腫瘍が広がっていた。

当時はなんの知識もないから画像を見てこの先、生きれるのかどうなのかも考えられなかったしわざと考えないようにしていた。


私の腫瘍は正確には粘膜下層を根っこに5cmの腫瘍が膀胱内にゆらゆら浮いた状態だった。

後になってわかったことだがこれが顔つきのよい膀胱がんの特徴だったので救われた。

70%の膀胱腫瘍はイソギンチャク様といわれ粘膜から膀胱内腔(尿が溜まっている所)にむけて成長していく。

ただ、1年2年放置すると粘膜下層→筋肉層にも成長していき命の危険が出るという。


20%は顔つきの悪い膀胱腫瘍となり粘膜上皮から粘膜下層→筋肉層→漿膜と下へ下へ成長していきイソギンチャク様の形とはならない。

筋肉層への浸潤や筋肉層を飛び越え漿膜まで浸潤した膀胱腫瘍は他臓器転移リスク、さらには命の危険が高まり早めの抗がん剤治療、摘出、代用膀胱としての回腸導管手術あるいは新膀胱手術が必要になる。


がんの顔つきをコントロールすることは難しい。早期発見といっても私にしても8ヶ月受診が遅れたのだから受診後にすぐさま検査をして紹介状を書いてくださった地元の泌尿器クリニック、1年半お世話になっているS総合病院の主治医A先生、医療スタッフの皆さん、精神面を支えてくれた妻、両親、友だち、職場同僚たちには感謝の気持ちしかない。


【BCGは最初の1年を乗り切れれば完走できる】

『膀胱がんに再発はつきもの。BCGで再発しなきゃラッキー』

私はこう考えてBCG治療をスタートした。

なにせBCG治療を施しても膀胱がんガイドライン2019年版では25%〜55%の確率で再発すると書かれていたからだ。

それでも「またあの痛い痛いTURBTをするくらいならなんとかBCG効果に期待したい」という気持ちで肩に力は入れすぎずにチャレンジしてきた。


【半年休薬で体調も膀胱内も好調】

去年はBCGが中2ヶ月で4クールだったので炎症が残った状態で注入注入の時期もあったが2年目の今年は中5ヶ月。

そして10月11月に3回注入して次はまた半年後に3回なので少しずつゴールが見えている気がする。

8月の膀胱鏡検査では私の膀胱内に赤い炎症箇所はなくこれまでとは違った。

これはおしっこしても痛みが出ないわけだ!


【免疫力アップのためにやること】

半年前の記事にしたけどこれらの取り組みは今も続けている。

特に腎機能は症状がでないうちに進むこともあるから採血のクレアチニン値を気にしつつ食生活をちゃんとしなければ。


【食事編】

①毎朝 6時に朝食時間
◎毎日同じメニュー
(米粉パン・牛乳・ヤクルト・温かい紅茶か緑茶)
・米粉パン(腎機能を守る為たんぱく質は0.2g)
・毎朝ヤクルトカロリーハーフ65ml入り1本を飲む。

②出勤前に必ず排便。
牛乳とヤクルト効果で毎日ほぼ飲んでから1〜2時間以内に排便あり

③昼食と夕食は必ず野菜優先のメニュー

④決して脂肪食を禁止とはしない

⑤肉類は鶏と豚こまが基本。

⑥魚もしっかりたべる

⑦果物は2日に1回は必ず食べる

⑧水分は無加糖の飲み物を1日2.5リットル以上毎日続ける。

⑨塩分制限はしない

⑩たばこと酒は全然飲まない

【生活編】
 ①毎朝5時に起床して猫に朝食を出すのがルーティン。

②仕事は上司に都度相談しながら無理のないシフトにしてもらう。

③仕事の日は約6000〜8000歩。休みの日も同じ位歩く

④趣味のスーパー銭湯巡りに岩盤浴を追加。

⑤休日ウォーキングはできるだけ森林や水のある場所を選ぶ。

⑤がん患者会への参加


⑥テレビ離れをして動画に移行


⑦旅行の計画とシュミレーションをする


⑧夫婦で月に2回程度外食へ行く


⑨活字200ページ以上ある本を月に2冊以上読む



【あと半年でBCGは終わる】

妻もあまおう君も元気に過ごせているので月末からもうひと頑張りしてみよう。








【泌尿器科へ】

今日の横浜市は朝から大雨警報が出ていた。

スマホにも災害アプリの警報音が何度も鳴った。私は仕事の妻を車で最寄り駅まで送りそのままS総合病院へと向かった。

雨の勢いがすごくて駐車場に着いたもののなかなか車から出られず。

この画像はピンボケではなく豪雨で向こうの景色がかき消された状態です

【10日前の検査結果】
なんとか駐車場を通り抜けて泌尿器科へ。
今日の診察は8月20日の膀胱鏡検査時に実施した採血と尿細胞診の結果を聞くことが主目的だ。

尿細胞診
結果はクラス2

尿細胞診のおさらい
(ドクターズプラザさんより引用)

3月、6月の尿細胞診もクラス2だった。
『異型細胞は認める』が『悪性ではない』のがクラス2。じゃ異型細胞とはなんなのか?
少し気になったので主治医A先生に聞いてみた。

A先生の回答は
「腎臓で作られた尿は腎盂を通り尿管から膀胱へと流れていきます。その尿には皮膚から剥がれた垢などもあるのでそれらが良性の異型細胞として検出されたと考えられます」
ということだ。

腎臓内にある糸球体は血液と老廃物物を分別してくれる。血液は体内に戻され、老廃物は糸球体でろ過(大きな固体を液体と一緒に流せるように小さくする)された後におしっことして腎盂・尿管に送り込む臓器だから老廃物の中に目には見えない皮膚のカスが流れていくのは何となく理解できる。

また、尿細胞診で3〜5が出たら再検査か組織検査ということになる。
統計上腎盂や尿管に悪性のがん細胞がある確率は通常の膀胱内にできるがんの5%らしい。

血液検査結果
クレアチニン値1.20
eGFP    51.71

腎機能の指標となるクレアチニン値とeGFPの推移
2023年
11月    1.45         42.0   
2024年
 1月     1.30         47.3
 4 月    1.20         51.7
 5 月    1.15         54.2 
 8月     1.20         51.7

現在右の尿管狭窄症により右腎臓が1割以下しか機能していない私にとって血清クレアチニンの数値はかなり気にしなければならない。水腎症が顕著になった去年11月はクレアチニンが1.45まで上昇。「これは本気で食生活を変えなければ」と毎朝食べていたタンパク質6gの食パンを低タンパク質0.2gの米粉パンに変更。他にも食事は必ず野菜かサラダ1品つけて最初に食べる、果物も2日に1回以上食べる、肉は鶏肉中心にした。
そこから10ヶ月経過。「完治はできない。現状維持が目標」といわれる慢性腎臓病(私の場合は尿管狭窄症が原因なので一番多い糖尿病性の方とは経緯が異なるが)でクレアチニン値を0.25まで改善することができた。
男性のクレアチニン基準値上限は1.08、今1.20。
この数字にどこまで迫れるか?は毎日の運動、食事、睡眠、ストレスを取っ払う生活次第。
慢性腎臓病はトライすれば成果が出ると信じてあれこれ身体によいことをしていきたい。




【キャンサー友だちMさん】

Мさんとは1年3ヶ月前、2023年の5月に患者会参加を通じて知り合った。当時私49歳男、Мさん50歳男。


その時のМさんは抗がん剤の副作用なのか両手に白い手袋をはめていた。大腸がん他臓器転移治療中で抗がん剤の副作用により手足がしびれるのと冷たく感じる症状により水の入ったコップすら冷たくて持てないらしい。


私はその頃BCG膀胱注入治療が始まる時期だったので「抗がん剤の副作用とはそんなにすごいものなのか」と驚いたのを覚えている。


【Мさんとの交流】

Мさんとはその後も患者会ミーティングでたびたび会っていたので次第に仲良くなりLINE交換したりお互いのがん治療のことだけでなく他愛ない話もするようになった。


Мさんの人となりは


・現在私より一つ年上の50過ぎ男性


・長身イケメン


・性格はおだやかでほめ上手


・結婚歴は過去にあるそうだが今は一人暮らし。母親が近くに住んでいる。


・仕事はがんになる前まで職人をされていたが大腸がん罹患後のは治療のため休職し転移後は退職し治療に専念する。


・友達には恵まれた。でもがん治療が長期化するにつれてМさんからも友達からも距離ができ始めた。本音のがんトークは患者会の人たちにしかできないそうだ。


【Мさんのがんは難敵】

2年半前に大腸がんを発症したあと今年春までの2年は転移しながらも抗がん剤治療→手術で一度は原発巣、転移巣とも画像からは消えた。

しかし今年の春からはまた別の臓器への転移が分かり転移の腫瘍数が多く手術が難しいという。


8月初旬に二人で会った時にこの話を聞いた。


【この報告に私は言葉を失う】

これまで転移箇所を抗がん剤で小さくして手術でほぼ消失させたのに突然の別臓器への転移がんが見つかり根治手術不可の告知なんて残酷すぎる。


Мさんに残された治療は手術を前提としない延命のための抗がん剤治療のみだろうという。


カフェ店内での重い会話。周りのお客もいるので小声で話す。

私はこの話を改めてひと通り聞いてたまらずМさんに質問した。


「抗がん剤を続けていく中で転移したがんがすべて叩けて消滅することはないんですか?もしくはがんは存在し続けても命を奪うまでには至らずМさんの体内で何十年も共存する可能性はあるんじゃないですか?」




Мさん「よく奇跡のようにがんが消える人の話があるが自分が大腸がんを調べた限り転移巣に手術できない位の数の腫瘍がある場合はかならず腫瘍の活動が活発になり正常細胞を破壊してくる。」


「標準治療を抜けて自由診療で100分の1や1000分の1の奇跡に賭けてみるのはどうですか?」


Мさん「僕は大腸がんになってからの2年半、色々調べて本もたくさん読んだから予後が厳しいのはよくわかっている。大金をかけて可能性の低い自由診療を受ける気はないんだ」



このやりとりをしているうちに私は「Мさんはすでに来るべき時への覚悟ができているんだ」と思えた。


ならば治すためのことを話題にするより今したいことや近々に楽しみたいことを話したほうが良いのかも。


私がその切り替えをしようとしたのが伝わったのかМさんは

「ダイスさんまだ時間あります?よければそば食べに行きません?」と誘ってくれた。


私は「僕もそばは大好きですよ。ぜひ食べにいきましょう」と二つ返事した。

この日Мさんは昼時に私と会ったがカフェではコーヒー1杯のみ。食欲もなくて体重がこの一ヶ月で5kg減ったと話していたからかなり体調がつらかったはず。そんな中Мさんの地元で私をそば屋に誘ってくれた気持ちがうれしかった。

そば屋でおいしくそばを食べながら楽しい話もできた。


【海が見たい】

私が「今僕は自然公園やスポーツ公園の中をウォーキングするのが趣味なんですよ」と話すとМさんは「今度海が見えるところに行きたい」と言った。


Мさんの地元には海がある。Мさんの身体もまだまだ動けていたので海を見に行くのは簡単なことだろう。要は誰かと一緒に海へ行きたいのかなと私は解釈した。

そこで言ってみた。

「今度Мさんと私、それに(患者会でもう1人仲良くしている)Eさんの3人で海へドライブしましょうよ!私が車出しますよ」と。

Мさんは喜んでOKしてくれてこの日は別れた。

暑い暑い8月の昼間のカフェでの会話は少し時間が経過した今でもショックが強くて鮮明な記憶になっている。


1年前に私が50歳を前にして久々にできた友達が目の前で赤裸々に今の気持ちを伝えてくれた。

おそらくそう遠くないうちにお迎えが来るだろうと本人が自覚していることがつらい。

私は患者会に参加する前、こういった間近に死の迫ったメンバーさんと出会うことは承知していたし私自身が再発か転移が起こればそうなることもありえると思っていた。

新たにできた友達と長い付き合いができない、居酒屋でたらふく食べて飲んでダベってなんていうありふれたことも倦怠感でできない。

でもこれは運命というものだろう。

人は必ずいつかあちらの世界に行く。理屈では分かっていても「なんでこんなにいい人が…」「なんで50過ぎの私と同じ世代の人が」

理不尽さに腹も立つ。

自分もがんサバイバーというのはわかっているが知り合って1年でこんな状態になるなんて。


【がんになった原因を反省する必要なんかない】

本人談ではがんの診断が出るまでの人生はかなりお酒が好きで休肝日なく飲んでいたそう。それでも健康診断で肝臓の数値はずっと正常だったので油断していたそうだ。

もっともアルコールの過剰摂取が大腸がんの直接的な原因だったのかはわからない。

大酒飲みでも70代80代まで病気なく飲み続ける人もいるのだから。これは生まれ持った運としかいいようがないと思う。


【必ず海岸ドライブ行きましょう】

8月初旬にМさんと会ってから3週間経過した今、Мさんは入院されてまずは各検査を受けて抗がん剤の種類を決めるところだそう。

私は治療中にМさんの身体が元気な時を選んでがん友だちEさんも一緒に3人での海岸ドライブ実現のためМさんの治療がうまくいくことを願い続ける。


今回は自分の闘病記事以外にМさんのことを載せさせて頂きました。


がんの種類やステージは違えどМさんは私のことを認めてくれて「いろんな友達が声をかけてくれてもやはり当事者にしかわからない葛藤や苦しさかある。ダイスさんは分かってくれている」という言葉を頂いたので応援したいのとずっとこのことで私自身がやるせなさ、無力さでモヤモヤしていたので記事にしました。


Мさんの闘病生活を追っかけて今後頻繁に記事にするつもりはありません。


今は抗がん剤が劇的にМさんとマッチしていく奇跡を信じ続けていきます。


ご拝読ありがとうございました。