手術内容と結果を先にお知らせします。
今回の尿管狭窄による水腎症を回復させる手術の結果は
「第一選択である尿道側からの尿管ステント留置ができなかったが背中側からの尿管ステント留置術に切り替えて留置成功」となりました。
【11月17日 手術数時間前〜手術直後の日記】
10時30分
ひげそりと歯磨き。
水分摂取は終わらせる。まだ時間の猶予は12時まであるが手術では膀胱内にほぼ尿がないほうがよいし今そんなに喉は乾いていないので。
約8ヶ月前の今春4月に初めて体験した膀胱腫瘍切除手術(TUR-BT)は本当に緊張した。
生まれて初めての入院と手術。
そして同室の患者さんは皆さんがんの手術で次々に手術室に向かったり戻ってきたり。
自分の時はどうなんだ?と。
でも手術室に行ったら執刀医だけでなくたくさんのスタッフがいて声をかけてくれたりで落ち着けた。
今回は15時と遅い時間の手術になる。
【嫁と最後のLINEやりとりしていよいよスマホは電源オフ】
12時30分までは自宅で待機している嫁とLINEをしたりブログの下書きをしたり先輩ブロガーの記事を見たりYouTubeでリラックスしていた。
14時すぎ
遅い手術だと待ち時間がえらく長い。
逆に膀胱がんの2ndTURBTの時は朝の10時に手術が終わったのでそこから翌朝までずっとベッド仰向けになっていた。
今回は10時間近く仰向け時間は短縮されるからそれはいいのだけどなかなか時計が進まない。
テレビをつけると歌手のKANさん訃報のニュース。
「愛は勝つ」タイムリー世代でよく聴きカラオケでも歌っていました。
確か私が初めて入院した4月にメッケル憩室がんを公表されてて希少がんなんだ。でもその後にSNSの発信を見たことあったから経過順調だったのかと思ったら闘っていらしたとは。
私の手術後に「愛は勝つ」を聴いて追悼しよう。手術を1時間後に控えた私はそう思った。
14時20分になると大谷翔平選手が満票でア・リーグMVP受賞のニュースが速報された。
こちらは明るいニュース。そして大谷選手のインタビューで飼い犬と思われるワンコがかわいい。
少し気持ちが和んだ。
14時40分
朝、私の質問に丁寧に答えてくださったE看護師から「まもなく手術になります」の声がかかる
15時
再度E看護師が迎えに来て手術室まで一緒に歩いて向かう。少し雑談したけど会話の中身はあまり覚えていない。
15時5分
手術室の待合室で受付。術式と名前を伝えて右尿管の手術のため右手にペンで印がつけられる。
「では第5手術室までお進みください」と案内される。
3回目の手術にしてS総合病院には5つの手術室があることを初めて知った。
これまでは第1手術室だったと思われるので奥にこんなたくさんあるとは思わなかった。
さすがは500床所有の大病院だ。
と感心するのも束の間、さっそく第5手術室に入り手術ベッドに横になる。
【またも点滴入らず】
1回目の手術でも点滴針がうまく刺さらずやり直したが今回も同じ。
手首付近がだめで指の近くに針が刺された。なかなか痛い。
【麻酔→空白の2時間】
麻酔科医が「じゃ麻酔入れまーす」という声を聞いたのを最後に私は無意識状態になった。
【まさかのリカバリールームへ】
17時30分
「ダイスさん!ダイスさん!手術終わりましたよ
!」
かすかにナースたちの声が聞こえる。
私は声が出せずにいたが身体はすごく動いていたらしい。ステントか腎ろうどちらになったのかわからなくて知らず知らず体の右側を持ち上げて管が背中に入ったのかどうか?を確認していたようだ。
腎ろうを想定して左向きに寝るクセをつけていたので術後も体がその向きにしたがっていたのかもしれない。
その動作を繰り返していたことによって私が乗ったベッドを居室まで運ぶナースさんたちが私を「麻酔から覚めた後の状態不安定患者」と判断したらしく私はリカバリールームといわれるナースステーションにいちばん近い二人部屋に運ばれた。
意識をはっきり取り戻してからは「なんか迷惑かけたみたいですみません」と私の担当のHナースに謝り雑談したりで普通に過ごせた。
【手術の結果は】
初めて結果を教えてくださったのは夜間の私の担当Hナース。「ステント入ったみたいですよ」
Hナースは手術には立ち合っていないはずだから伝聞ぽくなるのだろうが当然手術室からの申し送りがあったのだろう。
私は「今何時ですか?」と聞いたら「6時前です」と言われて驚いた。
私「手術ずいぶん時間かかったんですね」
Hナース「はい。背中からステントを入れたそうです」
そしてすぐに執刀医兼担当医のA先生が見えて
「ダイスさんの尿管ステントは尿道側からは入らなかったので背中に穴を作って腎臓経由で入れました」
と説明してくださった。
私は「ありがとうございます」とお礼をいい嫁からのLINEも確認。
嫁にはすでにA先生が電話で伝えられていたようで「お疲れ様!ステント留置だって。腫瘍も見つからなかったって!」とねぎらってくれた。
嫁は自宅で先生からの連絡を待つ役割。手術が15時開始は伝えていた。
1時間後には連絡来ると予想していたのが2時間経過した17時過ぎても来ずにどうしたのか?と嫁のほうから病院に何度か連絡していたようだ。
待つ方だってドキドキしているんだ。病気や治療は自分だけでなく家族も一緒に闘っているのを分からせてくれた話で私も嫁のそんな行動がうれしかった。
嫁は私の手術結果を私の両親と妹、嫁側の母、義兄家族へもすぐに連絡してくれた。
