最近過去のノートを見返している。
長男が生まれて間もない頃に妹に頼んで買ってきてもらったノート。
長男の様子も書いてあったが、ほとんどは、その日の行動についての反省、ダメ出し、、、
その時の私は、ある前提(理想の私の状態)があって、それに基づいて行動を決め、感情を出していた。(本音ではない)
その前提とは、ほぼ母から貰ったもの。
母は、私が中学生ぐらいのころから、ある心の勉強をしている。
いわゆる宗教と言われがちなものなので、表に出すのが、私はとても怖い。怖かった。
でも、この学びも私の大切な一部だし、ベースになっている。
表に出さないと色々な語りたいことがのびのびと書けない気がするので、書こうと思う。
私が結婚、出産、いやそれ以前、男性とちゃんとお付き合いをする前から、母は、そこで学んでいる事や、聞いた話などを私に話してくれた。(結婚観や子育て法など。)
実際、学生時代の人間関係の悩みや受験の時や、社会人になってからの様々な悩みなど、母が学んでくれていたおかげや色々なご縁で、救われたり、守られたりした事はたくさんある。
でも、その前提があったために、自分の感情を無視して行動を決めている。という事にも気づかない私になっていた(その事に気付いたのは最近)
理想の女性とは、妻とは、理想の母親とは、、、。
夫をたてなさい。家の中は整理整頓し、いつも綺麗さっぱりとしていると、夫の仕事が入りやすい。
嫌なこと、苦手な事も喜んでサッとやりましょう。いつも心を朗らかに。
お母さんは、いつも子供達の太陽である。
母は、こうすると良いな、出来ると良いな、という思いもあり、私に話していたと思う。要するに出来てないから。
あと、私が幸せになるように、愛情表現(こっちの方が大きいと思う)
今思えば、そんなの出来なくて当然なのに、そのように出来なかったら、不幸になると思っていた。
理想の妻だったら、母親だったら、こんな時はこうするな、こう言うな、こう行動するな、と常に変換(自動変換)して、言動に移していた。出来なかったら、自分が出来ない人間だからだ、と自分を責めていた
例えば、長男の好き嫌いが激しい、少食なども、私が料理が苦手だからだと真剣に思っていた
当時のノートにも、工夫して作った料理を食べてくれなくて、泣いた。って書いてあった
今だったら、
そんな時もあるよね。個人差もあるし。お腹減ったら食べるよ。
ぐらいな感じ
で、相変わらず、料理は苦手な方だけど、、
だって苦手なんだもん、しょうがないじゃん。
だから、ちょっとでも美味しいお惣菜とか、簡単で美味しく作れるものとか探しに行こうっと。
てな感じになっている
結局今では、長男の好き嫌いも少なくなって来て、給食では、ほとんど食べるようだし、ウチでも最近は、テレビとかで美味しそうなのを見ると、あれ食べてみたい、とかいうようになって来た
私も、それを聞くと、じゃあ作ってみようかな、と思えて、作って不評でも『あんたが作って、って言ったからじゃ〜んでも、確かにイマイチだね』で、終わり