前の会社のシステム開始25周年記念パーティーに行ってきた。
当時システム開発に関わった人たちの集いであり、いわば同窓会である。
「同窓会ってね、その本質は祭りなんだよ」と、ユング心理学の大御所が語ってくれたことがある。
神戸から祭りに行く気分で会場のある東京に朝の新幹線で出かけたのだが、
その場の気分と先生の言葉を照らし合わせると、先生の言葉に間違いはないと納得するしかない。
このパーティーに300名の人たちが参加したのだから、人の賑わいだけでも凄い。
当時の開発に従事していた社員は約500人だから、25年経っての出席率も相当なものである。
自分はこのシステム開発が一段落した時に別の部署に移っていったので、25年ぶりにお会いした人は多い。
25年も経てば髪の色も体型も違っているのだが(人のことだけではなく自分も)、
皆さん持っている雰囲気は総じてあまり変わっていなかった。
当時仙人みたいだった人は(多分仕事をリタイヤされているのだろう)白くて長い髭を伸ばされていて、長い杖を持っていたらまさしく現代の仙人である。
当時入社したてでキャピっとしていた新人女性は、家族を持って落ち着きは身につけているけれども、他の女性と比べればやっぱりキャピっている。
因みに前の会社というのは某銀行であり、25年前に開発したシステムはOSやハードの変遷はあったけれども、未だに現役として日々のシステム処理の主役を堅持している。
開発パートナーだったI社のK元社長が言うには、25年間もシステムが存続している例などこれ以外に知らないそうである。数々のシステムに関わっている会社の社長がいうのだから、そうなのだろう。
そういう祝辞を受けて、集まった人々の気分が高揚していった。
パーティーに、このシステム開発のプロジェクトリーダー(当時専務)であったK元会長をはじめ、システム部長だったY元副頭取、副部長だったK元会長も来た。
一番ご高齢のK元会長は車椅子での参加だったのでスピーチされなかったが、Y元副頭取とK元会長はスピーチをした。それも熱く長々と。
長い話が聞いていて嫌にならないこともある。
思い入れが強く且つ当時注いだエネルギーが尋常でないから言葉が溢れてくるのであって、
そういう言葉ならば聞き飽きるということはないのである。
話した内容は異なるのだが、二人とも言わんとしていたことは共通していたと思う。
我々は先人が築いてきたものを台無しにしてはいけない。
このプロジェクトは石に噛り付いてでも成功させなければならない。
このシステムは基幹であり、礎であり、柔軟であり、永遠でなければならない。
「今」の問題に対応することが一番大事ではあるが、先を見通すということも必要である。
しかしプロジェクトの進行は常に遅れ、もうダメかという局面を何度も迎えながらその都度ギリギリでくぐり抜けてきた。いつもギリギリなのである。
そのギリギリのシステムが、永遠を目指して今も稼働し続けている。
このプロジェクトは、それに関わった人々のエポックメイキングである。スピーチする二人もそうであるし、集まった人みんながそうであるはずだ。
まあ、こんなところだった。
自分は当時ペーペーだったが同感である。
このプロジェクトは別のリーダーによって進められていたのだが、状況は最悪でフリーズ状態に陥っていた。
当時のI頭取の大英断により、プロジェクト責任者を替えK、Y、Kに役割分担させた。
プロジェクトコードは6210と言われ昭和62年の10月にスタートするプロジェクトが、
そのたった2年前の昭和60年にこの改革が実施された。
銀行基幹システムを入れ替えるプロジェクトとしては、時間の猶予がない状況の決断だった。
この改革を仕掛けた(と噂されていた)K専務とI頭取を別にすれば、Y部長とK副部長は命令によってプロジェクトに参加することになったのである。
二人ともシステム開発に関わったことなど、全くない。
今まで開発を行っていたシステム部員からすれば、システム素人が突然自分たちのボスになったのである。
その時のシステム部員の気分は、「進駐軍がやってきた」と内うちで囁いていたことでご理解いただけるであろう。戸惑い、今後に対する不安、反発などがカオスのようになっていただろう。
(自分はこのプロジェクトのために外からきた人間などで、やや中立の気分だった)
着任したお二人も多いに戸惑っていたに違いない。
「何で俺がやらなければならないんだ」という気持ちがあったろうと思う。
同じ会社とはいえ、ある種隔離した仕事をしてきた部署に来たのであるから、システム部独特のルールに戸惑ったであろう。
リーダーを替えたぐらいでプロジェクトは好転しなかった。
日常的の発生する問題に対応する以前に、お互いが何を考えているのかを理解するために多くの時間が必要だったのだ。
システム専門家がどういうロジックで物事を考え何故そういう進言をするのか部長副部長が理解するのに時間がかかったし、
部長副部長が何故そういう質問や指示をするのかシステム専門家が理解するのに時間がかかった。
それでも徐々に場面場面で決定が行われるようになったので、徐々にゆっくりではあるが少しずつ回転しだした。
そうするとそれまでああでもない、こうでもないとぐるぐる回っていた個々の会議が結論を出す会議に変わっていった。
物事が決まり出すと、開発の前線業務に従事している者たちも何をすべきか、要求されていることも明確になり、それに応えようとして作業もはかどるようになった。
しかし行員だけで500人、外部企業のエンジニア1000名という人が携わっているプロジェクトである。そして行員の半分強の人間は自分を含めシステム知識がない全くの素人なのである。
伝達ミスや間違った思い込みなどのヒューマンエラーが絶えず発生したし、
それも思わぬところで発生するのでエラーの予測も成り立たない。
一つ解決したらその先に3つのエラーが待ち受けていることが常だったので、
開発は遅れもうダメか間に合わないと諦めざるをえないような局面が多発したのである。
第三次オンライン導入というイベントは銀行にとってとても大きなエポックである。
監督官庁である大蔵省(今なら金融庁)の承認をとって進めるし、
そのリリースに向けて本部も支店も準備を進める。
そのリリースが予定の日にできないとなるとその再調整に要するコストは甚大であるし、
逆に不十分なままリリースしてシステムダウンにでもなったら、
お客様に多大な迷惑をおかけするしマスコミをはじめ社会から厳しい避難を浴びることはまぬがれないのである。
だから一発勝負という何が起こるかわからないリスクは取れない。
プロジェクトにいくつかのフェーズというものを設けて、そのフェーズの移行前に移行判断をするのだ。
そしてその全ての判断時期に問題が残っていて、その問題をどういう風に解決するのかという道筋を決めて次のフェーズに移行するということを腹を括りつつ決めてきたのである。
そんな局面をギリギリであっても乗り越えてこれたのは、
石に噛り付いてでもやり遂げる意思であり、
その意思の出どころは先人が築いてきたものを台無しにしてはならない思いであったと思う。
そして多くの人々が(嘘でも)そう思っていたのは、厳しい状況にあってぶれないリーダー達がいたからだろう。
当時の頭取も専務も部長も副部長も人間である。
内心はダメかもしれないと思っていたかもしれないし、多分そんな気分で眠れない夜を過ごしたことがあるに違いないのだ。
それでも他者に対してぶれない態度を貫けたのは、
簡単に聞こえるかもしれないが、そのプロジェクトを背負っていたからだろう。
死んでも背負った荷は降ろさないと思えば、人はぶれないものである。
なかなかできないこととはいえ人は自らの態度をぶれなくできるが、
それでも判断はぶれるものである。
偉い人でも判断ミスは免れ得ない、と思う。
もしも判断ミスをしないという人が仮にいたとしても、
その人に判断する情報を提供する人が思い込みや推測、果ては知的不調のもとに情報をまとめたならば、判断は間違ったものになる。
ましてやプロジェクトのミドル層や下っ腹の判断ミスは排除できない。
だからプロジェクトを遂行する上で、間違った判断をしないという前提は失敗の元となる。
そうではなくて、
いかに判断ミスを少なくするか、
判断ミスとわかったらいかに早くリカバリーするか、
ということが勝負の分かれ目である。
小さな判断ミスをぐじぐじあげつらいそこから進もうとしない上司やリーダーで構成されていたら、プロジェクトの成功率は著しく低下する。
リーダーはいかに判断ミスを少なくするかと判断ミスとわかったらいかに早くリカバリーする集団に作り上げるかに、エネルギーを注がなければならない。
そこには、学習進化と相互扶助というキーワードが生かされるはずだ。
学習進化が判断ミスを減らす。
相互扶助が判断ミスのリカバリーを成し遂げる。
そういう集団環境を作ることがリーダーの大事な仕事である。
こういうリーダー観を自分はこの開発プロジェクトを通して醸成したようだ。
そのことが、このパーティーに出たことでよく解ったのである。
リーダーの資質や振る舞いを整理すると、
責任を背負える気概、
必ず成し遂げるという意思、
目標を他者に明示できるデザイン力と説明力、
先を見通す力、
知的不調を乗り越えて行く思考力、
諦めない精神力と忍耐力、
学習進歩力(学ぶ力)と、
相互扶助の精神、
となる。
しかしこう並べてみると、巷間で語られる流行のリーダー論とは大きく異なるかもしれない。
流行のリーダー論ならば
責任を背負える気概よりも勝負を勝ち抜く戦略性が優位を占めるだろうし、
知性不調を乗り越えて行く思考力など説いているリーダー論など見たことがないし、
学習進歩力よりもできる人を集める力がもてはやされているだろうし、
相互扶助の精神よりもこの世は強いものが勝つと言われているだろう。
巷ではグローバルスタンダードというルールが今ももてはやされている。
世間の常識は今も右肩上がりの経済状況下でのリーダー論であり、
勝負に勝つためのリーダー論である。
それに対して自分のリーダー論は「生き残る」(サスティナビリティ)ためのものである。
状況が悪い時でも何とかして生き延びるにはどうすればいいのか、
それを誰よりも深く考える人がリーダーであるという発想である。
勝ち負けではなくサドンデスにならずその上で少しでも良い状況になるためのリーダー論である。
2012年の現在はもはや右肩上がりの経済状況にはなく(この説明は今日はしない)、
右肩上がり状況を前提にしたゲームに勝つためのリーダー論では現実対応ができないと自分は考える。
その中でも危機に必要な資質がある。
危機とはどういう状況かというと、
想定された状況に比べて現実の方が著しく悪い状況である。
「あってはならない」状況が目の前に展開されている、それが危機である。
危機はリーダーにとって困難な状況に違いないが、
色んな危機の中で最も対応が容易なケースは、外敵出現による危機である。
外的に襲われないようにするという方向性が固まるので、
内部の結束が容易だからである。
しかし危機が外部ではなく内部事情によって引き起こされている場合や
周りの状況変化に対応しきれずに危機を招いている場合は困難さが増す。
「あってはならない」ということは、
自分の常識に照らして考えたら起こらないはずのことが起こっているのだ。
ところが内部要因が危機を招いている状況であればあるほど、
自分の常識では危機を招いている要因が見えないことになっている。
冷静に分析すれば危機の要因を特定できても、同じ環境にどっぷりつかっている人には見えていないことが多いのである(見えていない又は見ようとしない→改革を実施しない→危機を招く)。
この状況で「これは何かの間違いに違いない」と考えて思考停止状態になってしまったら
一歩も前に進まないことになる。
これでは危機に対応できない。
危機にあってリーダーに求められる一番の資質は、
今起こっている事態を冷静に見つめ判断する知性である。
更に時には自分の常識を変えなければならない状況ならば勇気を持って変えなければならない。
これが知的不調を乗り越えて行く思考力であり、最も必要でありながらかなり困難な資質でもある。
それができないリーダーなら組織はそのリーダーを変えるという荒療治もあり得る。
リーダーを変えることで多くの混乱が起こるだろうが、
組織のパラダイムを変える必要がある時はそういう荒療治もありうる。
生き延びるために求められる資質はいろいろあるけれど、
そのすべてを一人のリーダーが持っている必要はない。
足りないところは誰かが、サブリーダー的な人が保持していて、その資質をリーダーの求めに応じて発揮できれば良いのである。
生き延びるためには、主となるリーダーとそれを支えるサブリーダーで構成されるリーダー群で運営されてよいと思う。
そうすると諸々の資質の奥にある究極のリーダーの資質というものが見えてくる。
リーダーが生き延びるために活動しているように、
サブリーダーもその下に従っている人たちも生き延び生き残るために活動している。
彼らの究極の思いはただ一つ、このリーダーについていって良いのかどうかである。
「一緒にやっていける」と部下が思えること、これが究極のリーダーの資質である。
当時システム開発に関わった人たちの集いであり、いわば同窓会である。
「同窓会ってね、その本質は祭りなんだよ」と、ユング心理学の大御所が語ってくれたことがある。
神戸から祭りに行く気分で会場のある東京に朝の新幹線で出かけたのだが、
その場の気分と先生の言葉を照らし合わせると、先生の言葉に間違いはないと納得するしかない。
このパーティーに300名の人たちが参加したのだから、人の賑わいだけでも凄い。
当時の開発に従事していた社員は約500人だから、25年経っての出席率も相当なものである。
自分はこのシステム開発が一段落した時に別の部署に移っていったので、25年ぶりにお会いした人は多い。
25年も経てば髪の色も体型も違っているのだが(人のことだけではなく自分も)、
皆さん持っている雰囲気は総じてあまり変わっていなかった。
当時仙人みたいだった人は(多分仕事をリタイヤされているのだろう)白くて長い髭を伸ばされていて、長い杖を持っていたらまさしく現代の仙人である。
当時入社したてでキャピっとしていた新人女性は、家族を持って落ち着きは身につけているけれども、他の女性と比べればやっぱりキャピっている。
因みに前の会社というのは某銀行であり、25年前に開発したシステムはOSやハードの変遷はあったけれども、未だに現役として日々のシステム処理の主役を堅持している。
開発パートナーだったI社のK元社長が言うには、25年間もシステムが存続している例などこれ以外に知らないそうである。数々のシステムに関わっている会社の社長がいうのだから、そうなのだろう。
そういう祝辞を受けて、集まった人々の気分が高揚していった。
パーティーに、このシステム開発のプロジェクトリーダー(当時専務)であったK元会長をはじめ、システム部長だったY元副頭取、副部長だったK元会長も来た。
一番ご高齢のK元会長は車椅子での参加だったのでスピーチされなかったが、Y元副頭取とK元会長はスピーチをした。それも熱く長々と。
長い話が聞いていて嫌にならないこともある。
思い入れが強く且つ当時注いだエネルギーが尋常でないから言葉が溢れてくるのであって、
そういう言葉ならば聞き飽きるということはないのである。
話した内容は異なるのだが、二人とも言わんとしていたことは共通していたと思う。
我々は先人が築いてきたものを台無しにしてはいけない。
このプロジェクトは石に噛り付いてでも成功させなければならない。
このシステムは基幹であり、礎であり、柔軟であり、永遠でなければならない。
「今」の問題に対応することが一番大事ではあるが、先を見通すということも必要である。
しかしプロジェクトの進行は常に遅れ、もうダメかという局面を何度も迎えながらその都度ギリギリでくぐり抜けてきた。いつもギリギリなのである。
そのギリギリのシステムが、永遠を目指して今も稼働し続けている。
このプロジェクトは、それに関わった人々のエポックメイキングである。スピーチする二人もそうであるし、集まった人みんながそうであるはずだ。
まあ、こんなところだった。
自分は当時ペーペーだったが同感である。
このプロジェクトは別のリーダーによって進められていたのだが、状況は最悪でフリーズ状態に陥っていた。
当時のI頭取の大英断により、プロジェクト責任者を替えK、Y、Kに役割分担させた。
プロジェクトコードは6210と言われ昭和62年の10月にスタートするプロジェクトが、
そのたった2年前の昭和60年にこの改革が実施された。
銀行基幹システムを入れ替えるプロジェクトとしては、時間の猶予がない状況の決断だった。
この改革を仕掛けた(と噂されていた)K専務とI頭取を別にすれば、Y部長とK副部長は命令によってプロジェクトに参加することになったのである。
二人ともシステム開発に関わったことなど、全くない。
今まで開発を行っていたシステム部員からすれば、システム素人が突然自分たちのボスになったのである。
その時のシステム部員の気分は、「進駐軍がやってきた」と内うちで囁いていたことでご理解いただけるであろう。戸惑い、今後に対する不安、反発などがカオスのようになっていただろう。
(自分はこのプロジェクトのために外からきた人間などで、やや中立の気分だった)
着任したお二人も多いに戸惑っていたに違いない。
「何で俺がやらなければならないんだ」という気持ちがあったろうと思う。
同じ会社とはいえ、ある種隔離した仕事をしてきた部署に来たのであるから、システム部独特のルールに戸惑ったであろう。
リーダーを替えたぐらいでプロジェクトは好転しなかった。
日常的の発生する問題に対応する以前に、お互いが何を考えているのかを理解するために多くの時間が必要だったのだ。
システム専門家がどういうロジックで物事を考え何故そういう進言をするのか部長副部長が理解するのに時間がかかったし、
部長副部長が何故そういう質問や指示をするのかシステム専門家が理解するのに時間がかかった。
それでも徐々に場面場面で決定が行われるようになったので、徐々にゆっくりではあるが少しずつ回転しだした。
そうするとそれまでああでもない、こうでもないとぐるぐる回っていた個々の会議が結論を出す会議に変わっていった。
物事が決まり出すと、開発の前線業務に従事している者たちも何をすべきか、要求されていることも明確になり、それに応えようとして作業もはかどるようになった。
しかし行員だけで500人、外部企業のエンジニア1000名という人が携わっているプロジェクトである。そして行員の半分強の人間は自分を含めシステム知識がない全くの素人なのである。
伝達ミスや間違った思い込みなどのヒューマンエラーが絶えず発生したし、
それも思わぬところで発生するのでエラーの予測も成り立たない。
一つ解決したらその先に3つのエラーが待ち受けていることが常だったので、
開発は遅れもうダメか間に合わないと諦めざるをえないような局面が多発したのである。
第三次オンライン導入というイベントは銀行にとってとても大きなエポックである。
監督官庁である大蔵省(今なら金融庁)の承認をとって進めるし、
そのリリースに向けて本部も支店も準備を進める。
そのリリースが予定の日にできないとなるとその再調整に要するコストは甚大であるし、
逆に不十分なままリリースしてシステムダウンにでもなったら、
お客様に多大な迷惑をおかけするしマスコミをはじめ社会から厳しい避難を浴びることはまぬがれないのである。
だから一発勝負という何が起こるかわからないリスクは取れない。
プロジェクトにいくつかのフェーズというものを設けて、そのフェーズの移行前に移行判断をするのだ。
そしてその全ての判断時期に問題が残っていて、その問題をどういう風に解決するのかという道筋を決めて次のフェーズに移行するということを腹を括りつつ決めてきたのである。
そんな局面をギリギリであっても乗り越えてこれたのは、
石に噛り付いてでもやり遂げる意思であり、
その意思の出どころは先人が築いてきたものを台無しにしてはならない思いであったと思う。
そして多くの人々が(嘘でも)そう思っていたのは、厳しい状況にあってぶれないリーダー達がいたからだろう。
当時の頭取も専務も部長も副部長も人間である。
内心はダメかもしれないと思っていたかもしれないし、多分そんな気分で眠れない夜を過ごしたことがあるに違いないのだ。
それでも他者に対してぶれない態度を貫けたのは、
簡単に聞こえるかもしれないが、そのプロジェクトを背負っていたからだろう。
死んでも背負った荷は降ろさないと思えば、人はぶれないものである。
なかなかできないこととはいえ人は自らの態度をぶれなくできるが、
それでも判断はぶれるものである。
偉い人でも判断ミスは免れ得ない、と思う。
もしも判断ミスをしないという人が仮にいたとしても、
その人に判断する情報を提供する人が思い込みや推測、果ては知的不調のもとに情報をまとめたならば、判断は間違ったものになる。
ましてやプロジェクトのミドル層や下っ腹の判断ミスは排除できない。
だからプロジェクトを遂行する上で、間違った判断をしないという前提は失敗の元となる。
そうではなくて、
いかに判断ミスを少なくするか、
判断ミスとわかったらいかに早くリカバリーするか、
ということが勝負の分かれ目である。
小さな判断ミスをぐじぐじあげつらいそこから進もうとしない上司やリーダーで構成されていたら、プロジェクトの成功率は著しく低下する。
リーダーはいかに判断ミスを少なくするかと判断ミスとわかったらいかに早くリカバリーする集団に作り上げるかに、エネルギーを注がなければならない。
そこには、学習進化と相互扶助というキーワードが生かされるはずだ。
学習進化が判断ミスを減らす。
相互扶助が判断ミスのリカバリーを成し遂げる。
そういう集団環境を作ることがリーダーの大事な仕事である。
こういうリーダー観を自分はこの開発プロジェクトを通して醸成したようだ。
そのことが、このパーティーに出たことでよく解ったのである。
リーダーの資質や振る舞いを整理すると、
責任を背負える気概、
必ず成し遂げるという意思、
目標を他者に明示できるデザイン力と説明力、
先を見通す力、
知的不調を乗り越えて行く思考力、
諦めない精神力と忍耐力、
学習進歩力(学ぶ力)と、
相互扶助の精神、
となる。
しかしこう並べてみると、巷間で語られる流行のリーダー論とは大きく異なるかもしれない。
流行のリーダー論ならば
責任を背負える気概よりも勝負を勝ち抜く戦略性が優位を占めるだろうし、
知性不調を乗り越えて行く思考力など説いているリーダー論など見たことがないし、
学習進歩力よりもできる人を集める力がもてはやされているだろうし、
相互扶助の精神よりもこの世は強いものが勝つと言われているだろう。
巷ではグローバルスタンダードというルールが今ももてはやされている。
世間の常識は今も右肩上がりの経済状況下でのリーダー論であり、
勝負に勝つためのリーダー論である。
それに対して自分のリーダー論は「生き残る」(サスティナビリティ)ためのものである。
状況が悪い時でも何とかして生き延びるにはどうすればいいのか、
それを誰よりも深く考える人がリーダーであるという発想である。
勝ち負けではなくサドンデスにならずその上で少しでも良い状況になるためのリーダー論である。
2012年の現在はもはや右肩上がりの経済状況にはなく(この説明は今日はしない)、
右肩上がり状況を前提にしたゲームに勝つためのリーダー論では現実対応ができないと自分は考える。
その中でも危機に必要な資質がある。
危機とはどういう状況かというと、
想定された状況に比べて現実の方が著しく悪い状況である。
「あってはならない」状況が目の前に展開されている、それが危機である。
危機はリーダーにとって困難な状況に違いないが、
色んな危機の中で最も対応が容易なケースは、外敵出現による危機である。
外的に襲われないようにするという方向性が固まるので、
内部の結束が容易だからである。
しかし危機が外部ではなく内部事情によって引き起こされている場合や
周りの状況変化に対応しきれずに危機を招いている場合は困難さが増す。
「あってはならない」ということは、
自分の常識に照らして考えたら起こらないはずのことが起こっているのだ。
ところが内部要因が危機を招いている状況であればあるほど、
自分の常識では危機を招いている要因が見えないことになっている。
冷静に分析すれば危機の要因を特定できても、同じ環境にどっぷりつかっている人には見えていないことが多いのである(見えていない又は見ようとしない→改革を実施しない→危機を招く)。
この状況で「これは何かの間違いに違いない」と考えて思考停止状態になってしまったら
一歩も前に進まないことになる。
これでは危機に対応できない。
危機にあってリーダーに求められる一番の資質は、
今起こっている事態を冷静に見つめ判断する知性である。
更に時には自分の常識を変えなければならない状況ならば勇気を持って変えなければならない。
これが知的不調を乗り越えて行く思考力であり、最も必要でありながらかなり困難な資質でもある。
それができないリーダーなら組織はそのリーダーを変えるという荒療治もあり得る。
リーダーを変えることで多くの混乱が起こるだろうが、
組織のパラダイムを変える必要がある時はそういう荒療治もありうる。
生き延びるために求められる資質はいろいろあるけれど、
そのすべてを一人のリーダーが持っている必要はない。
足りないところは誰かが、サブリーダー的な人が保持していて、その資質をリーダーの求めに応じて発揮できれば良いのである。
生き延びるためには、主となるリーダーとそれを支えるサブリーダーで構成されるリーダー群で運営されてよいと思う。
そうすると諸々の資質の奥にある究極のリーダーの資質というものが見えてくる。
リーダーが生き延びるために活動しているように、
サブリーダーもその下に従っている人たちも生き延び生き残るために活動している。
彼らの究極の思いはただ一つ、このリーダーについていって良いのかどうかである。
「一緒にやっていける」と部下が思えること、これが究極のリーダーの資質である。