「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか?」読了
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか?」をようやく読み終えました。
ようやくと言うのは、面白くなかった訳ではなく700ページ2段組というボリュームゆえです。
昔、「木村の前に木村無し、木村の後に木村無し」と呼ばれた不世出の柔道家木村政彦と、のちにその栄光よりも暗黒面の方がクローズアップされ非業の死を遂げた力道山のプロレス巌流島と呼ばれた試合がありました。
その試合で木村氏は、力道山に敗れてしまいます。
その試合の色々ないきさつ、木村氏の生い立ちから栄光への日々、堕落と堕落してもなおグレイシー一族に完勝した唯一の日本人と言う称号を得たこと、何もかも無くした後の拓殖大学との絆と傷跡を引きずりながらの再生と苦悩を描いた本です。
さらに柔道の戦前、戦後史の側面も持っています。
著者の高専柔道出身と言う立場が本に一定のバイアスをかけていますが、それにより普通の人が知っている柔道史自体が講道館柔道というバイアスがかかっていたのを知らされます。
筆者は勿論、木村氏の立場に立ち本を書いていますが、可能な限り木村氏の汚れた部分もさらけ出しています。
しかし、力道山との一戦に関しては、決して被害者では無いと読んだ後思いました。
木村氏は、力道山戦以降不遇を極めます。
ここで思い出したのが、田中一村です。
田中一村は、不遇の画家で中央で認められず、最終的に奄美大島で染色工になり、その僅かな給金が貯まると最低限の食事をしながら絵を描いて亡くなりました。
一村は、純粋な人と言われていますが、わずかに貯まったお金盗まれるのではとの疑心暗鬼から暴言などを繰り返し近所から変人あつかいを受けていたそうです。
しかし、残った作品は見るもの全て打つ気品あふれる物です。
一村は、純粋な人でも清貧でもありません。
描きたいという欲が何より強かったのです。
この辺りが、勝負にこだわった木村氏に似ているかもしれません。
画欲は突き詰めれば命より優先し、木村氏も負けは死という生き方を若い頃していました。
しかし一村は、絵を描くために粗製乱造した絵を売るという方法は取りませんでした。
一方、木村氏は、プロレスで大金を手にし勝ち負けを手放しながら、負け役に不満を持ち真剣勝負を申し込み、さらにそれも八百長にし大金を手にしようとしたのです。
負けた理由は、立ち位置の甘さなのです。
しかし、この本を読むと、木村氏の一般人には考えられないスケール、熊本弁でウーバンギャー(大番外)ぶりにあこがれを持ってしまいます。
きっと打ち上げ花火のような人だったのでしょう。
外で見る分には良いが、家の中いられたら堪らない人だったのでしょう。
しかし、木村氏がプロレスを始めた理由は、その家の中にいた奥さんの病気のためであったことも、更に、その妻への愛がギリギリの所で拓大の復帰につながったことも書いてありました。
奥様が今でも木村氏を愛していることも。
二段組700ページ読む価値あり!