朝起きてすぐ、自分が棺桶に入っているところが画像として出てきた。

なんとビックリマーク

キリスト教式のひつぎだった爆笑


昨日も忙しく過ぎてしまったことを後悔した。

もうすぐ棺桶に入る身分なのに…

なんてこったー


早く悟らなければいけない、という欲望が

自分をせき立てる


もうそのものだよ!

誰一人例外なく、、

奇跡からやってきた

神仏そのものの存在


それは知ってる

想いが

まだまだマダラなのだ


知ってるのと

骨の髄まで分かるのとは違う


何もかも!


預けたらもったいないもの


1.子供

共働きが、当たり前の世の中で、子供を保育園や幼稚園に預けないほうがいい、なんて言うと、お叱りを受けそうだし、預けないと働けないと言う現状もわかってる

けれど、私が子育てしている時は、乳幼児は家で見るのが当たり前だった。

それでもちろんストレスもいっぱいあったけど、楽しみもいっぱいあった。

子供は毎日、昨日できなかったことが、今日できると言う瞬間があって、育てる喜びを感じたものだった。

子供が成長する喜びを1番見ているのは保育士さんかもしれない。今は…。

それが少し残念

でもあり、時代の流れもあるので仕方ないと思う。


それと預けていることで、そのできた瞬間の喜びは子どもと共有できない、と思うだけで腹をくくれるプンプン

こんな話は、時代錯誤かもしれないけども。


2.感情

私が感じる憎悪、嫌な気持ち、恨み、怨み

悲しみ、苦労、気だるさ、罪悪感

もうものすごくいろんな感情を感じるけれど、それを人に預けないで欲しい。


あの人がこうだから、こんなふうに落ち込んだ。

あの人がこう言ったから、私は被害を受けた。


落ち込んだり被害を受けたと思った。その嫌な気持ちを人のせいにしないで全て自分が作ったと言うことに気づくとほんとに良い自覚になって、

自分の魂がどんどん成長すると思うのです。


この感情がどこから出てくるのか、自分のどういうところから出てくるのか、なぜ出てくるのか

自問自答して、そうすると必ず何か見えてくる。


それを人のせいにしてしまうと、そこでそれ以上の成長は見込めない。


だから、どんなに辛い時でも、感情を人に預けるのはもったいない。



「一念三千(いちねんさんぜん)」とは、
12月17日、年末助け合い募金のために、周囲をグルっと回りました。
団扇太鼓を叩きながらの行進。

久しぶりに疲れました〜。
10年前に僧侶の資格のため、身延山に篭り、唱題行脚をしたときはそれほど疲れなかったのに、、。

歳を感じました!
太鼓を叩きながら、
大声を出しながら
エネルギーを非常に使います。

お坊さんになるために、仏教の勉強をするのですが、

信仰について勉強している、と仰る方がいました。

そこで私は、お釈迦さまが最大、最後に説きたかったのは

「一切唯心造」ですね。

と伝えたら、一念三千じゃん!

と仰ってくれたので、なるほど、そうも言うね!と改めてAIで調べてみました。

以下です。

一瞬の生命(一念)の中に、地獄から仏の世界まで(十界)のあらゆる世界(三千)が具わっており、互いに影響し合っているという仏教の教えで、日蓮大聖人が法華経の教えとして特に重視し、末法における成仏の根本法(仏種)とされました。この教えは、天台大師の「理の一念三千」を受け継ぎつつ、日蓮大聖人が「事の一念三千」として、南無妙法蓮華経の唱題によって誰でも(凡夫)

南無妙法蓮華経
を強く信じて唱えること

を強調なさった。

脱宗教を目指す私には
少し前まで、よく分からない内容だったが
たしかに
南無妙法蓮華経
には、
自分が尊いものだという記憶が蘇るような呪文かもしれない

と思う今日この頃です。

悟りの順番は


情報

考察 そうなの?どうなのか?

省察 自分の持ってる情報と比較

洞察 できる限り深く考えてみる

理解 受け止める

気づき あっ!そうか!という閃きの段階

気づきを超えて、分かる、という段階

悟り 線香花火の火花が散るイメージ

大悟 大きく悟る


これまでに大悟の自覚に至った方々


今、そのような覚者に出会えて、直接教えを受けられる幸せな部類の人間たち。


私は本当に幸せものだと思う。


あとは私が実践するのみ‼️

お釈迦さまのお話しは待機説法と言われている。

待機説法とは?

人によって、話しの観点を変えること。


お釈迦さまの周りには10人の直弟子がいて

話しを聞きに来る人もいて


人によって、話す内容を変えたというのです。


私も法話をする時がありますが、

前に立って、、向き合っていると

どのくらい理解しているのか?

面白いと思っているのか?

つまらないと思っているか?

関心がない、、と思っているとか


不思議にわかります。


何ででしょうか?


前に立つと、分かるのです。


それで、

私もお釈迦さまの待機説法を真似て

違う角度からの話しをしたりするのですが


あ、、今、自分を良く見せたかったんだね。

とか

相手の気を引きたくて、誇張したね。

とか


結局、自分が一番、自分を省みることになるのです。

相手に合わせるのも大事だけれど、その時々の

感じることを、そのままお伝えしてみよう!

とも思います。