熊本・宮崎ツーリングダイジェスト 五日目 坂本~人吉。(1/2) | 水辺の土木遺産

水辺の土木遺産

水辺の土木遺産、冠水橋や流れ橋、石橋やレンガ樋門など、自転車で見て回りながら、ついでに狛犬なんかも追いかけています。

道の駅坂本を走り出して、

まずは昨日も周辺を走り回った葉木橋を渡って右岸の線路沿いへ。

 

 

こちらは橋を渡ってすぐにある葉木駅。

駅の時刻表やそのほかの看板は、付け替えられてそれほど立っていないように見えます。

 

しばらく走ると、

 

 

レンガ隧道が見えてきました。

この日最初の橋ですから、せっかくなので覗いてみましょう。

 

 

葉木駅付近はそれほど雑草もありませんでしたが、

もしかすると、地元の方が手を入れていたのかもしれません。

 

ですが、

この辺りではすっかり放置された状態です。

 

 

隧道の両岸だけは、

 

 

こんな具合に天井部分に真新しい補修跡がありましたが、

これは被災前からのものなのか、それとも被災後のものなのか。

 

ともあれ、

路盤は線路が埋まるほどの土砂に覆われて、

トンネル内まで水と土砂が流れ込んだことが良く分かります。

 

隧道を往復した後で自転車に戻って並走する道路を移動すると、

 

 

道路側にも、

コンクリート吹付ながら、良い感じの隧道が。

 

この隧道の向こうで道路わきを振り返ると、

 

 

一旦停止 踏切注意

の標識だけが、ここが線路跡だと押してくれる流木の山。

 

少しずれると、

 

 

流木が積みあがっていたのはプレートガーダーの橋の上でした。

隧道内に流れ込んだのは、このちいさな沢筋から溢れだした、

土石流だったのではないでしょうか?

 

そしてその先、鎌瀬駅の先にあるものが、

 

 

左岸側の1径間を残して流失した国登録有形文化財の球磨川第一橋梁です。

この道路の高さまで水が来たことを物語る、水圧か、流木かでへし折られたままの踏切標識。

 

残された橋脚ですらも半ばで圧し折られていますが、

GoogleMapsの写真を見ていると、被災から1年ほどは、へし折られた橋脚上部も

河川敷に転がり落ちたまま、取り残されていたようです(現在は残っていないため、片づけられたようです)。

 

地図から確認する限り、

この先にあるはずの鎌瀬橋は仮復旧を終えて強要されているようです。

と、いうか、一般の通行は、鎌瀬橋から人吉に向けては、

線路とクロスするように、こちらの右岸に移るようです。

 

 

最悪、鎌瀬橋が通行できない場合は葉木橋まで戻らなければいけなくなるところでしたが、

幸いにも想定通りに通行できたため、鎌瀬橋から左岸を少し戻りまして、

 

 

こちらが球磨川第一橋梁です。

この写真を撮影したのは一般道でして、

この先には民家があったようですが、今は納屋か車庫のようなものしか残っていません。

 

さて、

心行くまで球磨川第一橋梁を眺めたら鎌瀬橋に戻って、

一般車の通らない球磨川左岸をこのまま進みます。

 

 

第一橋梁からの隧道はここに抜けて、

 

 

最近までは舗装された線路の上が仮設道路として供用されていたようです。

道路が復旧したんだなぁ……と、思いましたが、

 

 

200~300mほどで、結局は線路跡を利用した仮設道路へ。

 

 

こちらは途中で覗いてみた瀬戸石隧道の中ですが、

私の頭よりも高い位置を渡された電線(?)には枯れ草が取り残されていて、

熊本豪雨災害の際には、隧道内がほぼ水没していたことを教えてくれます。

 

 

上流側(人吉側)の出口付近では、

ぎりぎりで枕木が浮き上がらない程度に、枕木の下にだけ土盛りが残されて、

枕木と枕木の間だけが洗堀された状態になっていました。

 

 

そしてこちらは瀬戸石駅があった辺りと思われる辺りですが、

枕木やレールが積み上げられて、どこに駅があったのかもわからない有様です。

瀬戸石駅はアニメ夏目友人帳にも駅名だけ変えて登場するくらいに風情のある駅だったらしいのですが

……残念です。

 

この先で、正面から走ってきた自動車が追い抜いた直後に停まって、

降りてきた人に話しかけられました。

 

熊本豪雨災害の経過を記録している地元の新聞社の方だということでしたが、

「下流の方を見てごらん、ひときわ高くなった岩山が突き出ているでしょう?

 あそこには民家があったそうですが、それさえ流されてしまったそうですよ」

そんな話も伺いました。

 

 

こちらは線路の路盤が仮設道路になっている海路駅。

ですが、この辺りでは一般道は線路の路盤の下の一般道が元通りに使用されています。

 

 

ですが、

この付近、線路が残された場所はこんな具合。

 

家があったはずの平場も、線路の様子も、

それに通行する車両の大半が復興工事を担うトラックばかりなのも、

震災から1年後の陸前高田辺りを思い起こすような光景です。

 

長くなったので続きます。