2020年9月末に7泊8日の旅程で自転車で訪ねた高知ツーリングの六日目、
連泊していた道の駅ゆすはらに併設の太郎川公園キャンプ場でテントを畳みます。
初日は主にオートバイ客で込み合っていたキャンプ場でしたが、
二日目は平日(私は9月にようやく夏季休暇を取れてのツーリングでした)だったため、
キャンプ場の宿泊客は私一人という寂しい状況。
自分ひとりしかいないキャンプ場で朝食を取り、テントを畳んで出発!
なのですが、道の駅でこの後の進路を確認していた時に、
今更のように見落としに気づきました。
道の駅のキャンプ場に連泊しましたが、
キャンプ場は道の駅からは奥まった場所にありました。
そして、温泉を利用したのはとっぷりと日も暮れて、温泉の営業終了直前。
そのため、駐車場も真っ暗で見落としていたのですが、
道の駅併設のホテルと、道の駅併設の温泉とをつなぐ渡り廊下、
それがなんと木製の刎橋(はねばし)だったのです!
場所はこちら。
分かるでしょうか?
道の駅の駐車場とは仕切られた向こう側、
駐車場内にも木が植えられているために、前を走る国道からは見えない奥まった辺り、
ここにひっそりと建っているわけでして……そりゃ見つかりませんよ。
ここで簡単に刎橋について書いておくと、
日本三大奇矯の猿橋に見られる構造です。
ここなどは非常に切り立った断崖絶壁の谷底を川が流れているような地形なので、
江戸時代の技術では橋脚を持つような橋を築くことはできませんが、
さりとてアーチでもなければ1径間では越せません。
そして、当時の日本にはこんな大規模なアーチ橋を築く技術はありません。
それを解決するのがこの刎橋という形式で、
刎ね木の上には、対岸に向かって更に少しせり出した刎ね木を載せる、
その上に載せる刎ね木は更に対岸に向かって突き出したものにしてやる、
そしてそれらを一番上に載せる桁橋は、木橋の1径間で越せる最大長で越えてやり、
全体としてはアーチに似て非なる物理的な構造物として落ち着くという、
とても面白い木橋の1形態となります。
ただし、この猿橋なども実は内部構造は金属製で、
現存する刎橋は存在しない(Wikipedia先生談)らしいのですが……。
この橋の場合、
従来の木橋とはずいぶんと異なる構造ですが、
橋脚に載せられた刎ね木に載せられた刎ね木は更に外側に突き出し、
そこに載せられた刎ね木は、更に外側へ。
これが橋脚から高所にあるホテルと、低い位置にある温泉施設のエレベーターという、
橋の長さの方向だけでなく、橋の幅員の方に対しても広がりを見せるという、
橋の長さ方向と幅員方向とに橋脚の1点から広がっていく、
とても面白い構造をしています。
途中の橋脚部や、温泉施設側が金属橋脚になっているし、
見たところ、長さの方向にも金属桁が一部補強として使われているように見受けられます。
純粋に木橋としてはカウントされないのでしょうが、
橋脚部分と刎ね木部分に関していえば、しっかりと木製であるはずです。
近代木橋はどうしても色眼鏡で見てしまう私ですが、
これは面白い!
まぁ、もしかすると、中央に一本、金属橋脚が入っているかも? ですが(^-^;
それでも全体としての刎橋構造はとても興味深い近代木橋です。
折角ですから、通過してみたいところですし、
本来はこの連絡橋の中が梼原町の木橋資料館として開放されているはずなのですが、
政府主導のGoToトラベルという名のコロナ拡散キャンペーンが強行された2020年9月とは言え、
コロナ対策でホテル宿泊客以外は利用できない状況でした。
……残念です。
ついでに、この道の駅に二泊も泊まっていたのに、
見上げる構造物を撮影するのには不向きな出発の朝になるまで気づかなかったことがまた残念。
それでもせめて、出発直前に気が付けて良かったと思うべきなのでしょうね(^-^;
さて、二日前の夕刻に走った道を四万十川まで戻り、
旅の主題となる沈下橋巡りを再開します。
この道中、二日前にはスルーした大わらじに寄り道した部分だけ既に記事にしています。