読み始めた途端、

あっ、ちょっと厄介なの読み始めたワ😅

と思ったのですが、

(軽くは読めないな、と)

もう引き返せない感じで💦


随分前に読んだ「緋の河」の続編でした

カルーセル麻紀さんをモデルにした物語


「緋の河」では、

主人公秀男の釧路での辛い少年時代、

色白で華奢で、アタチ、などという

秀男に父や兄は怒り蔑み、

友達は「女になりかけ」などと揶揄う

家を出て、札幌でゲイボーイとして働き

「カーニバル真子」として

芸能界に進出するまで、

そして、この

「孤蝶の城」では、

秀男が、モロッコで

性転換手術を受けるところから

始まります


「女になりたいわけじゃない、

女の体になりたいだけ

私はわたしの本物になるんだ」


50年前の日本は、

性同一性障害ということなどに

全くの理解もなく、まるで化け物扱い

それでも、たとえ

見世物としての面白さ、ではあっても

「カーニバル真子」としての矜持で、

女の体になって、舞台に立ちたい


命掛けの手術を終えて

痛みも苦しみも悲しさも、全部、

華やかな衣装とメイクとで中に閉じ込めて

舞台に立つ


だけど、

主人公の心の声も、語る言葉も

「カーニバル真子」ではなく

「秀男」として書かれています


女の体は手に入れたけれど、

だけど変わったのはそれだけ


何度も出てくる言葉は、

「女になりたかったわけじゃない

あたしはあたしになりたかっただけ」


この間、読んだ「エゴイスト」から

50年も前、

LGBTなどという言葉さえ

誰も認識していなかった時代

ひとり、昂然と胸を張って、

そういう人たちの立ち位置を

逆境の中切り開いていったパイオニア、

カルーセル麻紀さんをモデルにした

お話しです


桜木紫乃さんとカルーセル麻紀さんは

どちらも釧路出身、 

桜木さんが、

本に書かせて下さい、と

お願いしたそうです


懐かしい歌や、何となくあの人かな?と

分かるような俳優さんや歌手の人など

次々と出てきて

それも興味深い、読み応えのある

お話しでした


だけど、

この何度も出てくる

「あたしはあたしになりたかっただけ!」

という言葉、

もしかすると、誰でもそうなのかも

しれませんね


男だとか女だとかではなく、

「私は私になりたかっただけ」

「私は私として生きていきたいだけ」

そういうことですね




 

Amazon primeビデオで


是枝監督作品


子供は、無垢で純真で弱いから、

守ってやらなくてはいけない

教え導いてやらなくてはいけない

美しいものを見せて

それを信じさせてやらなくてはいけない


と大人たちは思っているけど、


子供たちは、全部知っていて分かっていて

そして、その上で

無垢で純真で弱いふりをしている

大人たちが可哀想だから


「怪物だーれだ?」

という呼びかけは、ちょっと気味が悪い


最後の、子供たちふたりの場面の

映像の綺麗さと、

坂本龍一さんの音楽の美しさが

印象に残りました


たぶんこれは映画より、

本として、(3章に分けて)

文章で読む方がもっと深く理解

できたと思います





 


おひなさま

持ち主同様にかなりくたびれてきて

お内裏さま、そっぽ向いてきた

やっぱり😓