井上荒野さん2冊目。

これは、直木賞受賞作です。  


「静子の日常」は、大好きな分野だけど、

これは、ちょっと苦手な?恋愛小説。

でも私ももっと若い頃なら、

この主人公くらいの30代の始めの頃なら、

かなり感情移入して読んだのかもしれません。


「切羽へ」

離島で暮らす結婚4年目の夫婦。

小学校教諭の主人公と画家の夫。

夫は、私をずっと眺めている時がある、

それほどの

夫からの愛は充分すぎるほどで

幸せに満たされていると感じている。

自分も、夫との出会いの時から、

ささやかな出来事のあれこれ。

その時の風や匂いや音まで、全て覚えている。

それを大事に大事に持っている。

何の入り込む余地もないほど

愛し合っている夫婦。


春、新しく赴任してきた若い男性教師を

見た時、主人公は、「ミシルシ」を見たのだ

と思う。

宿命の出会い。


恋は、するのではなく、落ちるもの、

とよく言うけど、

それはさすがの私でも実感としてわかるけれど、

だけど、これほど愛し合っている夫がいて、

それでもまだそれ以上の宿命の人と思える人と

出会ったりするだろうか?と。

当然、主人公は、そのことに、自分でも

気づかないふりをしているし、

夫への愛も変わらずあるのだけれど、

もうどうしようもなく、その人の何もかもが

目に入り、気になり、

その人のことをいつも考えている。


ふたりの間には、何がある訳でもなく、

むしろ、別の女性教師が、突然、

彼と結婚する、と宣言したり、彼は、

その彼女の不倫相手と殴り合いの喧嘩をしたり…。

そして、また春、

彼は島を離れるのだけれど、

最後の一日、

主人公は、彼を島のトンネルの跡地に誘い、

「切羽」の話しをする。

トンネルを掘っていくいちばん先が、切羽。

いつも行き止まり、と。


彼も最初から主人公との出会いに

宿命のようなものを感じている、ということは、

言葉や態度の端々でわかるのだけど

だけどそれでも、つまり、切羽、なのだと

ふたりとも分かっている訳で…。


とても切ない恋のお話なのです。

ふたりの間に、何も起きてはいない、

言葉にもしていない、

ただ感じているだけの、

そして、終わる恋。


私も、もう少し、みずみずしい感情を

取り戻さなければ!と

思っています😅


そう言いながら、「養生訓」!

パラパラとめくっては読んでみて、

つくづく深く納得したり、感じ入っています!

一節。

人は、五十歳にならないと、血気が安定せず、知恵もまだ開けません。古今にうとく、社会の変化になれていません。言葉に誤りが多く、行動に悔いをたくさん残します。人生の道理や楽しみもいまだにしりません。

五十歳を超えて

長生きをすれば、楽しみ多く、益が多いのです。毎日、今まで知らなかったことを知り、今までできなかったことができるようになります。


人生50年の時代に、

50歳で、

からだもこころもいよいよ成長する、

ということです。

老いるのではなく、成長する!

嬉しいですね✌️