猫と暮らしているみなさんも、暮らしていないみなさんも、こんばんは。
2020年6月9日、0:45にクロピは虹の橋を渡りました。
12歳8ヶ月の猫生でした。
今までクロピを応援して下さった方々に、心から感謝しています。
私のことも激励して下さり、ありがとうございました。
7歳になったばかりのクロピ。
ペットシッターのSちゃんの待ち受け画像を送ってもらいました。
クロピは6月5日までは食欲もあり元気に暮らしていました。
5月26日の血液検査ではBUN/140over, リン/14.1という慢性腎不全末期の数値を叩きだしたのに、クロピは食欲旺盛でお水も飲み、リハビリのトイレトレーニングも順調で。
ところがその3日後、先生はクロピが甲状腺機能亢進症に罹患しているのを つきとめました。
29日の心拍数は240、触診では左の甲状腺の腫れが認められ、すぐに血液検査をするとT4/5.5。
甲状腺機能が亢進しているから食欲はあるし、活力があり、血液の流れも良かった
だけど、この病気も治療しないと食欲不振になり甲状腺が繊維化してしまう。
5月29日から甲状腺合成阻害剤(メルカゾール)1/4錠を1日1回投与して様子をみることになりました。
甲状腺の薬の効果が現れるのに約1週間かかります。
甲状腺の治療を進めると、血流が悪くなり腎臓に負担がかかる。
網膜剥離と腎性高血圧を直すために降圧剤も使っている。
クロピは危ういバランスを取りながら、生きる力を振りしぼってきました。
起伏はあるものの、クロピの回復ぶりにはめざましいものがありました。
5月27日、座ってオシッコやウンチをできるようになった。
28日、猫トイレの脇まで3往復できた。
29日、キッチンまできてお座りしてご飯を待ち、猫トイレでオシッコを1回できた。
30日、リビングを歩きまわり、猫トイレで2回もオシッコしてウンチも1回できた!
体重も2.20kgになった!
6月4日、8cmもの見事な かりんとう型のウンチをした!
クロピは6種類ものお薬を飲んで頑張ってきました。
胃腸炎、膀胱炎、脂肪(組)織炎、尿道炎の順に治ったので、幾つか内容は変化したものの、生まれて初めてのシリンジで水に溶かした粉薬も飲み続けてくれた。
あんなにお薬が嫌いだったのに。
薬の内訳は以下の通りです。
降圧剤、鎮痙剤、甲状腺合成阻害剤、食欲増進剤、抗酸化剤、膀胱収縮剤(αアドレナリン作動薬)
普段はあまり薬を使わず 多剤処方を嫌う先生が、これだけの薬を処方してきたのに先生のクロピに対する治療の熱意を感じてきました。
脳神経に働きかける強い薬を 他の様々な薬と併用するのには、それぞれの量のバランスをとるのがとても難しいんです。
それでなくてもクロピは体重2kgそこそこしかないから、ほんのわずかな量でも多すぎたり少なすぎたりしてしまう。
投薬量や組み合わせが上手くいけば、クロピは必ずそれに応えて回復してくれた。
先生はクロピの生命力に賭け、多剤であっても必要最低限の薬を投与してくれたのです。
6月5日の診察日に、体重2.05~2.2kgのラインで自力でご飯を食べ、動いていられるのはなぜか、先生に尋ねました。
「この子は生命力が強いからです」と、先生はうれしそうに微笑んでくれました。
私もとてもうれしかった。
膀胱麻痺もかなり改善されてきたので、6月6日から膀胱収縮剤が変更になりました。
しかし、それは当時のクロピには負担が大きかったようです。
翌日の7日、粗相が復活し食べられなくなってきて、8日は全く食べず飲まずの状態で通院日を迎えました。
予想より早く薬が効きすぎて 心拍数が130まで落ちてしまったので、甲状腺合成阻害剤1/4錠を週5回に減らし、膀胱収縮剤も1日1包と半分に減らすよう変更。
制吐剤セレニアと食欲増進剤プリンペランを控えめな量にして注射。
クロピの体重が初めて2kgを切り、1.90kgになったからです。
3日前は2.15kgあったのに。
その数値を見て私は思わず「1.9kg?! 1.9って…!」と口にしてしまった。
輸液はいつものようにビタミン剤入りの250mlでした。
帰宅後、食欲増進剤の副作用が出たのと、頻尿のせいで日中あまり眠れなかったのもあって、クロピはケージでスヤスヤ眠っていました。
だけど、姿勢が3時間も変わらない。
私が寝かせたときの姿勢のまま22:00になろうとしていました。
22:30、先生に体を温めるように言われ、電話を切ったあと気づいたことが!
枕にしていたクロピの前足がビショビショに濡れている!?
1~3時間かけて鼻水が出続けていたようです。
「これは危険だ」と寝床を作り、ケージからクロピを私の隣に移動させて、湯たんぽをお腹と背中にあて、体温をゆっくりと上げようとしました。
肉球も全部冷たくて、私はクロピに声をかけながら両手で交互に握って温めていました。
クロピが目の前にいる私を捜すように首を上げ、あたりを見回すのを見て、私はたまらなくなって手を伸ばした。
「おいで、クロピ!」
クロピを膝の上に抱きました。
呼吸数は1分間で178、鼻水も止まらない。
先生の指示どおり頭を低くして何度もティッシュで拭いた。
「クロピ、あったかくなるからね。頑張って!クロピ、大丈夫だから」
必死の思いでクロピに声をかけながら、足先を握って温め、その小さな頭にキスをして。
だけど、クロピの呼吸は穏やかにはならなかった。
鼻水を見たときから私は半ばパニック状態になっていたのだと思います。
仕事を控えて帰ったSちゃんに、戻ってきてと連絡しました。
妹にもクロピが危険な状態だと知らせた。
二人と電話やメッセージでやり取りしながら、ずっとクロピの呼吸音に耳をすませ、顔を見つめていました。
日付が変わると、クロピの口から舌が少し覗いていた。
真っ白でした。
先生に電話すると「終末期に入っています。自宅でそのまま看取るか、病院にくるか。こちらに来たら検査くらいしかできませんが。今のその子は体を動かすことも危険です。こちらにくる途中で亡くなるかもしれません。ご家族で相談して決めて下さい」と静かな声で言われました。
0:30、戻ってきたSちゃんはクロピの舌を見るなり「病院にいこう!」と。
「助かる望みが少しでもあるかもしれない、先生のところにいけば」と言った。
クロピをバスタオルに包んで抱っこして連れていきました。
クロピの後足が時々痙攣しているのがわかった。
そのたびに頭を低くした状態で抱え直しても、クロピの体がズレてしまう。
病院の前でSちゃんにクロピの抱っこを交代してもらって、私が病院のインターフォンを鳴らしました。
0:45、病院の診察室に横たえると、クロピの呼吸は途切れるようになった。
私はクロピの左前足を、Sちゃんは右の前足を握って励まし続けていました。
冷たい肉球を必死で温めていたけど、診察室に入ってからのことは実際はよく覚えていません。
あとでSちゃんに聞いて「そうだった」と思い出した気分になります。
先生は聴診器をクロピの胸にあてていました。
診察台に置かれて、ほんの数分後(2分か3分?)のことだったと思います。
クロピは喘ぐように大きく口を開けて 2回息をしてーーそのまま呼吸が止まりました。
「クロピ?先生のところに来たから安心したんだね」
ホッとしたからクロピは「もう自分は頑張らなくていい、あとは先生に任せよう」という風に思った気がしました。
その瞬間を見る前から、隣でSちゃんが泣いているのが聞こえていました。
だけど私は泣かなかった。
どこか現実感がなくて。
頭の中が真っ白になっていた。
先生はすぐにモニターを取りにいって、クロピの胸元に繋げ、心臓マッサージをしてくれました。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」
先生が押すたびにクロピの口から空気を吐き出す音がする。
「クロピ、戻っておいで。もうしんどいか」と声をかけたのは覚えています。
15分経ち、先生が心肺蘇生措置をしながら、
「もう血流が止まっています」と告げました。
「ありがとうございました」
私たちは深く頭を下げ、クロピにもねぎらいの言葉をかけながら何度も何度も撫でました。
「クロピ、頑張ったね。お疲れさま。もう苦しくないよね。ゆっくり休んでね」
涙があふれて声が震える。
「よう頑張ったな。クロピ…クロピ…」
Sちゃんは言葉にならず、クロピの名前を呼び続けてた。
先生にクロピの目と口元を閉じてもらうとき、Sちゃんも一緒に瞼を下ろそうとさすっていたそうです。
私は呆然とクロピを見つめるばかりでした。
診察室の奥から先生がダンボール箱を持ってきてくれて、底にペットシーツを2枚敷き、クロピをそっと中に入れてくれました。
「先生、本当にありがとうございました。先生のお陰で、この子はここまで生きてこれました。どんな状態になっても手を尽くして下さり、この子を助けてきて下さったことを心から感謝しています。ありがとうございました」
二人で先生に深々と頭を下げました。
私がクロピの入っている箱を持ち病院を出ると、先生が外まで見送りに来てくれました。
「僕の家にも、この子みたいな黒猫がいるんですよ」
初めて聞いたので思わず私は、
「フルテイルでグリーンアイの黒猫ちゃんですか?」と訊きました。
「そうです」
「この子の分まで、先生の黒猫ちゃんが元気で長生きしてくれるよう願っています」
「ありがとうございます」
先生は深く頭を下げて、私たちを見送ってくれました。
立ち上がろうとして、踏ん張っているクロピ。
5月28日、骨折10日後の写真です。
クロピは容体急変から2時間15分あまりで亡くなりました。
食欲廃絶は約1日半でした。
長く苦しまずに済んだのは良かったと思っています。
最後に治療していたのは、慢性腎不全、膀胱麻痺、網膜剥離、腎性高血圧、甲状腺機能亢進症の5つでした。
5月3日には体重が2.50kgに落ち、19日には骨盤骨折までしながら、クロピは2kgあまりの体で頑張ってくれた。
もうとっくに体は限界を超えていたと思います。
最期は苦しんだけど、クロピは安心して幸せに旅立つことができました。
父親のように大好きなSちゃん(実は彼です)、1歳の頃から何度も命を救ってくれた先生、そして私、みんなに最期の最期まで大事にされて旅立てたのだから。
6月8日は10年目の「うちの子記念日」でした。
日付が変わってから旅立ったクロピを思うと今も胸が詰まります。
そして9日は骨盤骨折した日から、ちょうど4週間。
骨折は完全に治っていたんですよ。
クロピは本当に凄い猫です。
火葬に出すまで、静かに横たわるクロピにいっぱい語りかけて、いっぱい泣きました。
嗚咽がもれるほど泣いて、クロピに「あなたがこうなるとはわかってたけど。しょうがないなー」とか思われたことでしょう。
クロピは可愛くて、美しくて、面白くて、不思議な猫でした。
クロピ、大好きだよ。
この胸に抱えきれないほど愛してる。
クロピのこと、今でも愛してるの。
私と出会ってくれて、私と一緒に生きていくことを選んでくれて、ありがとう。
たくさん思い出を作ってくれたね。
クロピと過ごした12年間、とても幸せだったよ。
至らなくて間抜けな飼い主だったのに、私を頼りにしてくれて。
こんなに愛してくれて。
私のこと、大好きって仕草や鳴き声で伝えてくれたね。
当たり前で、ありがちな言葉ばかり言ってるような気がする。
でも、クロピへの思いは本当は言葉に尽くせないんだ。
クロピ、クロピ、クロピ……
名前を何度も呼ばせて。
最愛のあなたの名前を。

