朝から沢山のお友達からおめでとうと言っていただき
サプライズでプレゼントがあったりと
本当に涙涙の一日でありました
人は感動すると言葉が浮かばないのか
LINEで全力でスタンプおしました
そして今日、改めて強く感じたことは
誕生日は愛されていると言うことを実感する日だ
ということ
***
私、子供を産んだときに
もう死んでもいいなと思ったのです
なぜなら
この子を守るためなら死ねるかもと思ったから
だから
自分の誕生日に興味がなくなったのと同時に
自分の誕生日が尊くなった
一見矛盾してるんだけど
興味がなくなったのは
誕生日を祝われようが祝われまいが
そもそも存在しているという時点で愛されている
ということを思い出したからで
尊くなったのは
沢山の人たちの愛でここまで生きてこれたというのを感じて
心が震えて涙が出るから
だから誕生日は
プレゼントや言葉のようなわかりやすいものがあろうがなかろうが
愛されているということを実感する日
なんだと思う
まあ、わかりやすいやつはほしいんだけどね♥️笑
今、存在している時点ですでに、色々なものに愛されて守られていないと
"今の私"は存在できていないと本当に思う
少しでも違う友達
少しでも違う親
少しでも違う夫
少しでも違う国
もし、今まで起こったことや出会った人が少しでも違ったら
今の"みづき"は存在しないんだよね
だからこそ誕生日は
もう何歳だ、、
とネガティブな意味で嘆く日ではなくて
"愛してくれてありがとう""側にいてくれてありがとう""出会ってくれてありがとう"と
沢山の人に思う日でありたいなといつも思います
年齢を重ねる度に愛された記憶が増えていく
頭で忘れていても細胞は覚えていると思う
それはとても幸せなことじゃないでしょうか?
みづき