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メモ的なブログです

スマートフォンを持っている人はちょっと裏返してみてほしい。何が見えるだろうか。おそらく、カメラのレンズとメーカーのロゴ、当局の技適証明などだろう。人によってはクールなデザインのケースに入れているかもしれないが、背面がそれほど代わり映えしないものであることはほぼ間違いない。そんな常識を変える気の利いたデザインを考えたのが、グレッグ・ムーンとヤシャ・ベフザディのふたり。

「ふたりとも印象的なイメージが好きで、ものの見た目をデジタルにパーソナライズする方法を考えていたんだ」とムーン氏は話す。ふたりはこれまで、このためのさまざまなアイデアを膨らましてきた。「ランチ帰りに『ある程度の大きさで、平坦なもので、視覚的に調整できる可能性があるものは何だろう』と思い浮かべていたよ」(ムーン氏)

これが携帯電話の裏側だと思いついたのがベフザディ氏だった。このアイデアから二人はE-インク画面 を備えたiPhone 5用のケース「popSLATE」を開発。この革新的なケースは米国時間29日にクラウドファンディングサイトのIndiegogoで公開された


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popSLATEケースは、ケース背面に電子ペーパーの画面を備え、iPhoneで写真を撮ればこのスクリーンに表示することができる。




popSLATEに備わるE-インク画面は、アマゾンの「Kindle」や楽天の「Kobo」といった電子書籍端末に使われているものだ。この種のスクリーンは画面が切り替わるときだけに電力を消費するので、常時オンにしていても問題ないというわけだ。

携帯電話の裏側に2つめのディスプレイを備えることで可能になることは多い。

popSLATEを使ったもっとも基本的なアプリは、撮影した写真を表示して自分だけのケースにするもの。これはムーン氏とベフザディ氏が最初に考えていたことだが、試験版のケースを利用した人たちは、しょっちゅう写真を変えて周りの人に見せたがったという。しかし、試験中もテストユーザーたちは新たなアイデアを発案し、さらなる機能追加を要望。これによって、ふたりも考えつかなかった斬新な発想が生まれていった。

「popSLATEが単なる写真プラットフォーム以上のものと気づいたとき、われわれの考えの幅が大きく広がったよ。実際、“常時オン”の機能はまったく新しいスマートフォンの利用法をもたらしてくれるものだ」(ベフザディ氏)

水星の北極にあるクレーターに少なくとも1,000億トンの氷と有機物が存在することが研究者らの調査で初めて明らかになった。この存在は、太陽系の惑星に彗星や小惑星の衝突で氷や有機物がもたらされたことの証拠とも考えられている。


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水星の北極にあるクレーターに少なくとも1,000億トンの氷と有機物が存在することが研究者らの調査で初めて明らかになった。

これは2011年から水星を周回しているNASAのメッセンジャー探査機 の観測で判明したもの。研究者らは、1992年のレーダー観測で北極のクレーターに明るいエリア が見つかって以来、その周辺に氷が存在する可能性を指摘していた。水星は太陽系のなかでも太陽のもっとも近くにある惑星で、表面温度が華氏800℃(摂氏427℃)まで上昇することもあるが、このエリアのクレーターは常に日陰になっており、まったく日が当たらない部分となっている

レーダー観測で見つかった明るいエリアに関しては、別の観点からも氷の存在の可能性が高まっていたが、メッセンジャーの今回の観測結果によって初めて確証が得られた。今回の観測結果は、11月29日に発行された「Science 」誌掲載の3つの論文に記されている。

メッセンジャーは中性子スペクトロメーター を利用し、水星表面から反射する中性子エネルギーを観測して氷の存在を確認。この観測では、水星北極点周辺のエリアで水を表す特徴的な中性子の兆候が見つかり、これによって同エリアに1,000億~1兆トンの氷であることが示されたという。しかし、中性子スペクトロメーターは数百マイル単位の観測では分析精度がかなり低いため、この水が確実にクレーター内にあるかは定かではない(クレーター内になかった場合、水は日中の気温で蒸発してしまっていると考えられる)

研究者らにとって今回の発見は、地球の歴史や生命の誕生についても理解を深めるヒントになる可能性がある。水星における氷の存在は、太陽系の惑星に彗星や小惑星の衝突で氷や有機物がもたらされたことの証拠になっており、同様のことが数十億年前の地球形成においても起こったと考えられている


マヤ暦・人類滅亡のXデーである2012年12月23日に、人類が本当に滅亡するかについては諸説あるが、仮に2012年を乗り越えても、それは人類滅亡の危機を乗り越えたことには決してならないという。迫りくる新たな脅威は無数にあるのだ。


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昨年、ウィーンで開催された国連の科学技術部会のセッション中に、とんでもない緊急議題があがった。それは「2014AZ5」と呼ばれる小惑星が現在、地球に向かっており、最悪、来年の3月にも地球に激突する可能性があるというのだ。


2014AZ5は、昨年1月に発見され、その質量や組成構造は現在のところ不明。

わかっているのは、幅が約290mほどだということだけ。

同程度の幅の小惑星の衝突例としては、1908年にシベリアで起こった「ツングースカ大爆発」などがあり、地球に激突した場合、被害の規模は最低でも、落下地点から半径30km以内にある建造物が跡形もなく吹き飛ぶという。

もし、これが東京に落ちたとすれば首都圏は壊滅だろう……。


これについて欧州宇宙機関(ESA)ソーラーシステムミッション部門のクアミ・ロイモ氏は、「2014AZ5の最接近は、2013年3月。それ以上のことは、現段階では不確定要素が多くて回答不能。

現在、世界中の政府と連携を取り合っているところだ」と多くを語っていない。


だが、全米各地のスパコンをフル動員した、北米小惑星調査プロジェクトのシミュレートによると、2014AZ5は来年3月17日に125分の1の確率でカリフォルニア州南部に激突するという結果を導き出しているのだ! 

ただ、この計算には、2014AZ5の正確な質量が入力されておらず、一般的な質量である場合と仮定されている。


実は小惑星は質量が小さく、ほかの天体の引力の影響を受けやすいために軌道計算が困難。

質量の大小で、軌道が大きく変化し地球最接近時の軌道は、1週間程度前でないとわからないのだという。

同プロジェクトによると、小惑星の質量が0.00001%軽いと地球への衝突を免れ、0.00001%重いと日本に、0.000012~0.00004%重いと中国に衝突するとのこと。


全米の研究者たちが皆、小惑星が予測よりも重いことを祈っていることはいうまでもない……。

 【モスクワ時事】国際宇宙ステーション(ISS)に4カ月間滞在した星出彰彦さん(43)ら宇宙飛行士3人を乗せたロシアの宇宙船ソユーズが日本時間の19日午前10時56分、カザフスタン北部の草原地帯に着陸した。宇宙航空研究開発機構によると、星出さんの健康状態に問題はないという。


着陸後、姿を見せた星出さんは、関係者と笑顔で話すなど元気そうだった。


星出さんは19日未明、ツイッターに「応援してくださった皆さん、ありがとうございました。この美しい惑星に生まれて、よかった」とメッセージを投稿。

午前4時すぎ、ISSに残る米ロの宇宙飛行士3人に別れを告げ、ソユーズに移動した。

同7時26分、ソユーズはISSから分離。同9時58分には大気圏再突入のためエンジン噴射を行った。

 

星出さんは7月15日、日本人4人目のISS長期滞在要員として同国のバイコヌール宇宙基地から飛び立った。滞在中、3回の船外活動でISSの配電盤などを修理。

宇宙遊泳は計21時間余りとなり、日本人で最長となった。



星出さん、おかえりなさい音譜

 テレビ朝日系の討論番組「ビートたけしのTVタックル」や読売テレビ系「たかじんのそこまで言って委員会」などに出演していた政治評論家の三宅久之(みやけ・ひさゆき)さんが15日午前8時46分、東京都内の病院で死去した。82歳だった。

 警視庁などによると、この日午前6時ごろ、目黒区の自宅で「トイレに行きたい」と話した後、倒れたという。家族が救急車を呼び、病院に運ばれたが、そのまま息を引き取った。病死とみられる。本人の遺志により、葬儀・告別式は密葬になる予定。喪主は長男・彰(あきら)さん。後日、お別れ会を開く。

 公式ブログなどによると、三宅さんは心肺機能が衰弱したため10月下旬に入院。消化器系疾患の手術も受けたが、今月8日に退院し、自宅で療養中だった。

 三宅さんは今年3月末、「話をしていても息があがる。賞味期限が切れた」として評論活動から引退。特別に出演を続けた「たかじんの―」も、最近はVTR出演する程度だった。最近は外出の際、車いすと酸素ボンベを使用していたという。

 早稲田大学第一文学部卒業後、毎日新聞社に入社。政治部の記者として、中曽根康弘元首相(94)ら政界関係者と太いパイプを築いた。読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役会長(86)とは記者時代からの友人として知られる。

 退社後にフリーの政治評論家となり、テレビ朝日系「やじうまワイド」などに出演。「―TVタックル」の出演で全国的知名度を得た。他の識者とも激しい論戦をいとわず、特にフェミニズムの第一人者・田嶋陽子氏(71)との激論は番組名物といわれた。

 ◆三宅 久之(みやけ・ひさゆき)1930年1月10日、東京都杉並区生まれ。東京府立十九中(現都立国立高校)、早大第一文学部を経て53年に毎日新聞社入社。政治部記者、静岡支局長、特別報道部長などを歴任した。76年に退社し、政治評論家に転身。78年からテレビ朝日「ANAニュースレーダー」のキャスターを務めるなど、テレビ、雑誌などで活躍した。




ご冥福をお祈りいたします。