時間が出来ると考えてしまったりします。
需要もないのに発信したくなってしまったりします。
私も、自己顕示欲の抑えられない陳腐な人間です。
いや、台本書けやって話なんですけどね。
人間社会で生きてますと需要と供給は必ず考えるじゃないですか。
仕事は全て需要があるからお金が発生し、供給元が如何に安く、如何に良質なモノをお届けするかしのぎを削ってるじゃないですか。
店前の小さなお店、以前携わった工事現場も、もう違うお店になっていたりします。
それはそのお店の需要が土地柄や時代に合わなく、戦略的判断として退いたのだと思っています。
私たちの仕事も無駄だったのではなく、チャレンジへのお手伝いをさせて頂いたと思っております。
やっぱり、自分の仕事が残らないってのは少し寂しくはあります。
たまに、どうせここも直ぐ無くなるんだろうなってお店も有ります。
なんだか、切なくなります。
でも相反して頑張ってるお店を見ると嬉しいし、誇らしいし、ちょっとでいいから自慢したくなったりします。
お店を続けてる努力をしているのは自分じゃないのにね。
そんな事を思うと舞台の事が脳裏に浮かびます。
やっぱり私も役者馬鹿なのです。
どうしようもなく、馬鹿なのです。
芝居の供給は非常に多くあります。
それはコンテンツの枠を超えて有ります。
需要のある所にはお金の流れが出来ています。
お金の流れが滞っているケースが有ります。
努力等ではどうしようもない部分もあります。
その打開策が私にはない。
供給を減らす権限は私にはないし、その為には一端を担う私からやめるべきだ。
なんでしょうね。作品は多々あれど良い作品良くない作品があって
完成度の高い作品もあり低い作品もあり
その二点が直結する問題でもなく
かといって目的が違えば人によって好い作品にも成り得。
作品を見に行くか役者を見に行くか、団体を見に行くか。
そんな需要が絞られないのが乱立する劇団の原因かもしれません。
名乗ってしまえばもう劇団。
セリフが覚えられればもう役者。
そんな感じが、するのです。
それ以上求めらるものって、集客以外何もないんじゃないでしょうか。
実力技術情熱。そんなものは。
集客は資金です。舞台をやる以上絶対必要です。
役者も次の仕事に繋げるには絶対必要です。
でも、作品によってはお客様を呼ぶにはあまりに申し訳ない時もあります。
そして呼ばないで自分の首を絞める役者達もいます。
偽善的で自分の事を棚に上げる人ですね。
私もそんな時もあります。
酷いと思うからこそもっともっと良くするために努力するのがしのぎを削るって事なのでしょう。
そうして質を上げて、お客様を呼ぶのがプロなのでしょう。
そうして呼んだお客様から個人に入るお金は微々たるもの。
一つの壁を越えて、やっと稽古場への交通費が賄えます。
大きなところに行けば衣装も化粧もヘアメイクも用意が有りますが
小さなところは全て自費。
劇団も自転車操業、劇場も現状維持が精いっぱい。
考えれば考えるほど、ドツボに嵌って行ってしまう。
打開策を、何か講じねばと。
スタッフさんへの未払いも聞きます。
酷い所だと「思った仕事振りではなかった」と払わぬ所も有るそうで。
泣きついて来て、仕方がなく時間を作って仕事をしたにも関わらず。
この業界、暗中模索。
闇しか見えぬ。光明が見出せぬ。
好きな事だから。何とかしたい。
そうなると、自分の武器、自分の力、自分の意義。
考える。分からない。
似たような言葉が並ぶが、五里霧中。
そんな私自身がもう何年もぶつかっている問題もあるというのに、業界なんて大きな事を考えてるゆとり等あるのだろうか。
この舞台役者ってやつに、需要と供給を当てはめて考えることから正しいのか。
形に成らない、この行いに。
とりあえず今はやるしかない。流れに身を任せるしか。
頑張るしかない。自分に嘘をつかず、できる限り誠実に頑張ります。
今日、頑張ります。